湯沢スナックママ失踪事件、自称「小説家」の疑惑


 ab29cc0bb34133b17f3364d4fc924c11.jpgAmazon Kindleは出版に至らないいささか泡沫的な、中に
は価値を持つ電子書籍を販売している。もちろん、ダウンロ
ードしてKindleで読むわけで有名既刊本も多く重宝して入る。
で出版に至らないAmazon電子書籍として数多くの犯罪モノ、
特に「真犯人もの」がダウンロード販売されている。別に
電子書籍に限らないが内容はほぼ全てなにかの引き写しでし
かない。どこかに書いてあることを、引き写すだけで、これ
何も無名な電子書籍ライターに限らず有名作家でも盗作、盗
用は日常茶飯事で、あるいは代作してもらっているか、が多
いのだから仕方がない。小説家だって自分で実際に見聞、経
験できることなど僅かなものだし取材だって容易ではない。

でAmazonのKindleでダウンロード販売の「真犯人もの」の
中に「未解決事件 語られている真犯人象」というものがあ
る。「語られている」というぐらいだか、どこかに書いてあ
ることをわずかに自分の意見も入れて引き写しているだけで
ある。まあ、それは誰でもそうだ。自分で見て歩いて取材し
てなど現実、割にあわない無駄な労力である。

 しかし「語られている真犯人」結構多くの事件の「真犯人
象」を書いて入るが当然(誰でもそうだが)どこかに書いてあ
ることの引き写しである。・・・・・・だがたった一つ、あ
まりというか、ほとんど一般には書かれてもいな事件、を述
ベ、その真犯人と目される自称小説家を全く自分自身が発掘、
捜査しているかのような筆致でのべている。他の単なる引き
写しの事件とは全くスタンスが異なるのでらう。この著者自
身がこの事件の発掘者であるがごとく、・・・・・事実はど
うなのだろうか。もちろん、基本は何かを参考にしたとしか
思えないが、まるで当事者であるかのような書き方である。
異常な熱意で書かれている、際立った一篇である。

 タイトルがまた悪くない

 「雪国」から消えた、小説家Dとスナックママになにがあっ
たのか

 である。「雪国」を出しているのは舞台が川端康成の「雪
国」と同じ湯沢、また小説家と自称するDが「雪国」の中の
人物と同じ、無為徒食だからでもあるだろう。

 1990年5月、越後湯沢でスナックを経営していた女性、51
歳が突然店を閉め、自宅の土地、建物(湯沢にあるプライベー
トな自宅?)を売却し、3000万を得て故郷の福島県に変える予
定がそのまま失踪したという事件である。

 女性が失踪後、ある男がその金を引き出している事がわかっ
た。スナックママは失踪前から自称小説家というDなる男といい
仲になっており、引き出したのはこのDではないかと疑惑を持た
れているという。まだATMにカメラなどが設置されていなかっ
たのだろうか。

 スナックママは1940年12月生まれ、生きていたら今年はもう
81歳になる。1970年頃、30歳で叔母が湯沢にいた関係でその叔
母を頼って母親と一緒に湯沢に越してきた。

 母親はホテル従業員となり、スナックママのFはとうにまだ存
在していた映画館で働いていた。1975年34歳でスナックを開店
、地元の常連が中心に結構盛況となった。

 1977年の冬からママが36歳のとき、東京在住のDガスキーで
訪れるようになった。Dは年に三回は湯沢を訪れるようになっ
た。この頃からスナックに出入りしていたと想像もされるが、
確認できない、

 1986年頃からDは月に数回はスバックに来るようになった。
Dは「自分は小説家で川端康成の『雪国』に影響され、湯沢が
好きでたまらない。湯沢を舞台の小説を書きたい」と本気か
どうか話していたという。閉店後も店にいるなど、懇ろな関
係になったと思われるフシがある。

 Dはついに1987年春に湯沢にアパートを借り、家賃3万。
地元旅館経営者が保証人になった。この部屋に東京から来た
と云う若い女性Kが通い始めた。Kはロングヘアーの美人だっ
たという。Dは「Kはが大学を出たので結婚した」といってい
た。KとDが手をつないで湯沢の町を歩いているのも目撃され
ているという。一緒によく二人で良好出かけていた。1989年
4月からDとKが湯沢で一緒に暮らし始めた。近所には「結婚し
た」と言っていた。しかし後日の調査で入籍はなかった。

 1990年3月末に50歳のスナックママは「老後のこともある
ので実家に帰り、そこで暮らす」と周囲に話した。4月にスナ
ックを閉店した。もう母親も他界し、ひとり暮らしだった。

 湯沢に会った自宅の土地建物を地元のホテルに3000万円で
売却した。これからの生活資金をエて4月21日、湯沢を離れた。

 その後5月20日、ママは再び湯沢を訪れ、友人と長岡の温泉
に旅行に行っている。湯沢をまた離れた。

 5月末に叔母に連絡を入れ「横浜のマンションでDと暮らし
ている」という内容だった。これを聞いて叔母は横浜のその
マンションに遊びに行っている。その後、ママから叔母に「
Dから私の居場所を教えたと激怒された」と行ってきた。「
Dと一緒に北海道旅行に行く」という連絡を最後に行方不明と
なっている。

 この直後、ママの銀行口座から預金3000万ほどが都内の
別の銀行に移されている。複数回にわたって2000万円ほど
が引き出された。防犯カメラにはDの後ろ姿らしきものが
撮影されている。

 6月になってDはKと一緒に湯沢を離れた。8月にDとKは
練馬ナンバーの車でハスキー犬も連れて湯沢に戻った。何
か金が入ったような裕福さになったようだった。

 8月15日、ママが必ず8月15日に行っていた実家の墓参り
にも姿を見せなかった。

 9月、長岡の運送業者からママの親族に「引越荷物を預か
っているが取りに来ないから困っている」と連絡があった。

 妙高高原にDとFは旅行に行った。

 11月26日、ママの失踪を叔母夫婦か警察に届けた。12月
Dが叔母夫婦の家に「なぜ警察に届けた!」と怒鳴り込んで
きた。その後DとKは姿をくらました。

 1991年10月、地元紙が「湯沢のスナックママ、謎の失踪
、1年5ヶ月」と報道、

 1992年4月、Dは移り住んでいた練馬区大泉学園の部屋に
遺書めいた書き置きを残し、失踪した。DとKはその後も警察
が行方を監視し、把握していたが捜査もやる気がないのかそ
のまま迷宮入りとなった。

 ーーーーーーー

 という事実関係で、ここから「真犯人象」をのべている、が
変わっているのはこの事件だけこのライターが当事者でかるか
のようなスタンスであることだ。

 この篇だけはこの電子書籍に秀逸である。もちろん引き写
しにせよ、執念深い書き方である。ライターはDは東京で詐欺
か何かで金を得て湯沢に逃亡していたと推測する。小説家と
いう偽装はそのためだという。

 「Dは典型的な詐欺人生を送る人物である」とライターは述
べてりう。まあそうだろう。犯罪者であル。だが妙に捕まらな
い。経歴は中央大学で国文を研究していたなどは全くの捏造で
ある。ただ「女性に惚れさせるという技術があるという」詐欺
で得た金で女と遊んで暮らす人生だという。中央大学で研究な
どという自称の経歴も全てウソである。

 ライターは「練馬区のKの家を訪れたが別の家になっていて
名義も変わっっていた」という。Kは共犯とも目されたがどう
か?Dの名前は検索しても出てこないという、起業もしていない。
一切のデーターがない、警察にも逮捕歴がない。

ン「3000万円では残りの人生を生きてはいけない、さらに詐欺
を続けたのであろう。生きていれば70歳を超える。

 ライターは

 「類似事件の情報を探し、Dを今後も追い続けてみる」

 と言って終えている。他の篇とは全くスタンスが異なってい
る。だが、見つけ出す手段はないであろう。

 私見だが警察のやる気の無さがよくわかる事件ではある。
だがママ失踪は殺人が絡んでいる、だが遺体は上がらない。
証拠がないからどうせ無理と思っているのだろう。世の中
そんなものである。

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