一日目・朝 崩壊した街、そして……
「他には……。やっぱり何もないか」
画面全体を再び触れるが他の反応はない。
唯一、スキルの欄だけが触れれば何度でもスキル説明文が出てきた。
「どうしよう」
相変わらずステータス画面しか表示されないゲームを見て、俺は途方に暮れる。
ゲーム内のチャットで助けを呼ぶ、という目論見は見事に外れた。
周囲を見渡して考える。
廃墟同然となった街に人影はない。
アパートが倒壊し、結構大きな音が鳴ったけれど誰かが様子を見に来る気配もない。
この街には、俺しかいないのか?
「何が、どうなってんだよッ!」
苛立ちを隠すことなく、俺は声を出した。
「誰か、誰かいないのか!? 誰でもいい!! 誰か、居たら返事してくれ!」
声を荒げた俺の声が、廃墟と瓦礫の街に吸い込まれて消えていく。
「田中さん! 斎藤さん! 早川さん!」
知っている限りの近所の人の名前を叫ぶ。
けれど、いくら叫んだところで俺の声に反応する人はいない。
ただ俺の声だけが静かな街に響いていた。
「誰か、誰かいないのか……」
俺は、崩壊した街に向けて歩き出す。
アパートの隣の家には田中さん、という気の優しいサラリーマン一家が住んでいた。毎朝、俺が大学に通うときにすれ違っては簡単な世間話を交わす仲だった。
田中さんの家は屋根を突き破って大きな樹木が生えていた。
屋根はあちらこちらが落ちていて、二階建ての部分はほとんど瓦礫に埋もれている。
かろうじて無事な一階部分は蔦や草木に覆われていて、人の気配は全くと言っていいほどなかった。
田中さんの家を覗き込み、誰もいないことを確認してから俺はふらふらとまた歩き出す。
田中さんの家の目の前、鉄筋アパートが建っていたその場所には斎藤さんという大学の先輩が住んでいた。
学部の違う先輩だったけど、暇さえあれば幾度となく部屋に遊びに行き、夜遅くまで騒いだ。
だが、斎藤さんが住んでいたその部屋も、倒壊した瓦礫に埋もれて消えている。
念のために斎藤さんが居た部屋の場所に行ってみたけれど、積み重なる瓦礫の山はそこに誰もいないことを教えてくれた。
俺は駅前へと足を向けた。
駅前に行く道の途中には早川さんという女性が住んでいた平屋建ての小さな家があった。
斎藤さんと同じく、早川さんも俺と同じ大学に通う学生だった。
学部も俺と同じだったが、学年は一つ下。家が近い、ということもあってか学内で顔を見合わせれば世間話をするし、学食で見かければ一緒にご飯を食べる仲だった。
早川さんは両親と暮らしていると、聞いたことがあった。
その家も、周囲と同じ様に蔦と苔に覆われて、草木によって浸食されていた。
けれど、他の家屋に比べれば倒壊は浅い。ところどころ屋根が剥がれ落ちてはいるが、まだ家の体裁を保った廃墟となっていた。
草木をかき分けて、俺は早川さんの家の敷地内へと入る。
蔦に覆われた扉を無理やりにこじ開け、玄関へと侵入する。
目が覚めたボロアパートと同じく、玄関には長い間誰も踏み入っていないのか白い埃が積もっていた。
並べられたパンプスは埃とカビに塗れて、誰も足を通していないのが分かった。
「早川さん!」
玄関から家の中へと呼びかける。
けれど、やはりと言うべきか返事はない。
それから何度か俺は家の中へと呼びかけたがいずれも返事がなかった。
やっぱり、俺以外には誰もいないのか。
何が起きているのか分からない恐怖と不安で、胸が押しつぶされそうになる。
諦めて他の場所を探そう、そう思って玄関から出ようとしたその時だった。
「げへ」
どこからともなく聞こえてきたその声。
ひどく濁ったその声は、男性のように低い。
明らかに人間が出しているような声ではなかった。
「誰だ! 誰かいる、んですか!?」
俺は玄関から家の中へと呼びかける。
しかし、いくら待っても返事はない。
あまりの人恋しさに、俺が耳にした幻聴だったのだろうか。
……いや、そんなはずはない。
確かに聞こえた。聞いたんだ。
確実に、この家の中には誰かがいる。
その事実を確かめるべく――いや、どちらかと言えばその希望に縋りつくように、俺は家の中へと足を踏み入れた。
腐った板の廊下が俺の体重を支えて悲鳴を上げるかのように鳴った。
一歩ずつ中へと踏み込むたびに、埃が分厚く積もった廊下に俺の足跡だけが残っていく。
早川さんの家は小さい。
廊下も短く、ほどなく奥の居間に続く扉が見えた。
居間に続く扉は開いていた。
細く開いたその扉の向こう側に、俺は小さな影を見つける。
大人の背丈の半分ほどのその影は、俺の気配に気が付くと居間の奥へと消えていった。
「誰だ? 早川さん?」
言って、俺はそんなはずないと自分の考えを否定した。
早川さんは両親と三人で暮らしていた。
早川さんに子供がいたことも、妹や弟がいたことも聞いたことがない。
だとすれば、さっきそこに居たのは誰だ?
恐怖で全身が粟立つ。
こんなありえない状況だからこそ、頭の中にはありえない想像が浮かび上がる。
「だ、誰ですか!?」
俺は扉の向こう側へと呼びかけた。
「ぎひっ」
すると、俺の言葉に返事をするかのように、あの声が聞こえてくる。
その声は扉の向こう――今しがた影が消えた、居間のほうから聞こえてきた。
やっぱり、誰かいる!
ようやく見つけた人の気配に、俺は胸の内が明るくなったのを感じた。
「よかった。なあ、そこから出てきてくれないか? 目が覚めたら街が急にこんな感じになってて意味が分からないんだ」
言いながら、俺は足を進めてピタリと止める。
全身に広がる、ぞわりとした悪寒。
理由もなく震えはじめる身体に、俺は足を進めることができなかった。
それは、まるで全身が、いや本能がこの先へと進むことを拒否しているかのようだった。
……この感覚は、なんだ?
「げひひ!」
再び、あの声が聞こえた。
その声の主は笑っているかのようだった。
汚らしく濁った低いその声に、さらに全身の悪寒が強くなる。
それは、人間の持つ本能の叫び。
身体が、心が、本能がこの場所が危険だと叫び声をあげた。
早く、一秒でも早くこの場所から離れるべきだと言っていた。
「ッ!」
声を出しちゃいけない。
本能的に俺は悟った。
そっと、その場から離れるために一歩後ずさったその時。
気付かれないよう逃げ出そうとする俺の考えを打ち砕くように、無情にもポケットからあの声が響く。
≫≫事前登録者特典であるチュートリアルクエストを受信しました。
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