目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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第三話 王者はいない
14. NEVER STOPS EVOLVING
「弓掛、出血か? ちょうど移動してたで目ぇ離してた」
隣の座席に尻を滑り込ませてきた越智に浅野はちらと横目をやった。すぐにコートに目を戻し、
「灰島にツーを落とされたところにリベロと二人で飛び込んで、リベロが弓掛に頭突きする感じになった」
感情を抑えて客観的に事実を説明する。「危ねぇな……起こりがちやけど……」状況を把握した越智が嘆息した。
「あっちにいなくていいんだ?」
コートを見下ろしたまま浅野が言うと「え?」と越智がきょとんとし、「ああ」と気まずそうに言い淀んだ。
「すまん。最後はやっぱチームん中でみんなと見届けんとって」
欅舎のアナリストとともに対面のスタンドにいる越智の姿を浅野は見つけていた。八重洲の試合が終わって一階廊下でミーティングがはじまっても降りてこないと思っていたら、そういうことだったかと――ミーティングは手短に切りあげてBコートを見届けるため全員でスタンドにあがってきてから納得したのだった。
「はは、こっちもごめん。別に嫌味で言ったんじゃないよ。……気持ちはわかる」
越智が反応に詰まって浅野の横顔を窺ってきた。
「三村は大丈夫だったみたいだな」
「あ、ほや。ネット際で接触したってことやったんやけど、どうやら大事には至らんかったで……」
「……で?」
語尾に含みがあったので浅野は続きを促した。越智が使う訛りに頻出する「で」や「やで」は関西弁でよく聞く印象のある断定の語尾ではなく、順接の接続助詞にあたるとこれまでの越智とのつきあいで読み取っている。「至らなかったから」――まだ続きがありそうだ。
「……ああ。ほやでたぶん合宿も問題ない、って」
「合宿……もしかして来週の」
「おれも今あっちのアナリストに聞いたばっかなんやけど、追加で統もU-23に呼ばれたんやって。怪我かなんかで欠員でたらしいで、おおっぴらによろこぶのもなんやけど」
そう配慮しつつも越智の声からは抑えきれない興奮が感じ取れた。
「そっか。実力考えたら驚きはないよ」
いいトスの決定力はもちろんだが欅舎戦で直接戦ったときの印象では悪球を捌くのも上手かった。身長も協会が求めているであろう基準に適っている。怪我人のほうは誰だろうか。浅野の耳にも今のところ入っていないが知っている誰かである可能性は高い。関東以外に進学した者にも中高からの知己は多い。
「人見知りせん奴やで大丈夫やろけど、まあ新入りやでよろしく頼む」
「三村とちゃんと喋ってみたかったから、おれも楽しみだよ」
浅野が経験してきたアンダーカテゴリの代表チームはいつも弓掛のキャプテンシーに引っ張られていた。その弓掛が呼ばれない今回の合宿はどんなチームになるか想像が及んでいなかったが、弓掛とは方向性が異なるムードメーカーの資質を備える三村が加わればきっとまた違った雰囲気のチームになるのだろう。
ピ――。
慧明のタイムアウト終了。ホイッスルと同時に主務が両手をぱっと降参のような形にあげて弓掛の前から離れた。F1レースでタイヤ交換するピットクルーの職人技を彷彿とさせる手際で、応急処置にかかった時間三十秒。五センチ角ほどの大判の絆創膏を顎に貼った弓掛が逆にいちだんと戦意を増したくらいの気合いの声を発して味方の誰より先にコートに駆けだしていく。
ひとときざわめいていた八重洲の面々が口をつぐんでコートに注意を戻した。越智もそのまま浅野の隣で観戦する姿勢になる。
四年の面々は浅野たちの前の列に横並びになっていた。裕木、太明、破魔、その向こうに大苑らも並んでいる。低い背もたれに腰を預けて脚を組みリラックスしている様子の太明と、寄りかからずに背筋を伸ばして胸の前で腕組みをしている破魔の姿勢が対照的だ。破魔に関してはそういう歴史上の将軍の銅像が世界のどこかに実際にありそうな居住まいである。
慧明15-16欅舎から再開する。
灰島のツーでサーブ権を奪った欅舎がローテをまわし、サーバーはその灰島。ぎりぎりまで時間を使ってからコートに戻った慧明に対し、先にコートインした灰島はサービスゾーンの最後方、板張りの壁際に立って待機していた。
結果的に灰島の奇襲で豊多可と弓掛が交錯することになった。アンスポーツマンライクにあたるようなものではもちろんないが多少は責任を感じて手加減してもいいところだ。
が、それとこれとは別問題とばかりに容赦ないサーブが慧明コートを襲う。豊多可が飛びつくも大きくはじき、欅舎側に直接返るボールになった。
ずっとビハインドを負っていた欅舎が押し返し、いまや慧明が不利に陥った。欅舎がこれを決めればデュースを勝ち取る。三村、福田、バックから黒羽とレフト側に最大数の三枚攻撃が入り、ライトからは柳楽。守る慧明のブロッカーは三村とマッチアップするライト側から山吹、亜嵐、鳩飼。
山吹が51のストレートを締めたが、亜嵐が31に反応してしまったためブロックが揃わない。割れたブロック間を三村がクロスで抜く。と、亜嵐が右に流れながら右手を大きく振ってコース上に伸ばした。リーチの長い手がボールの通り道に届き、バガンッと手のひらにあてた。
「うお、ワンチ取った」
「今なに起こった? なんだあのブロック」
八重洲勢のほうぼうからどよめきがあがった。
フロントゾーンに落ちるこぼれ球に弓掛が突っ込んで繋ぐ。慧明が攻撃権を奪い返すなり、
「持ってこい!」
即座にぐるっと助走に膨らんで攻撃に入った弓掛が怒鳴る。
「篤志頼む!」
「弓掛来るぞ! とめろとめろ!」
欅舎側は三枚ブロックで迎撃する。「フェイントあるぞ!」浅野の隣で越智がまるで自分のチームに助言を送るかのように口にした。
弓掛が決めねばならないボールだ。このラリーを落とせば負けが決まる――ブロックが揃い守備側が有利――そんな厳しい状況でラストボールを託されるために、オポジットはそのポジションを担っているのだから。
フェイントでブロックを躱したとしてもフロアで拾われれば決勝点のチャンスを相手に渡す。灰島がそんな機を得て最大に活用しないはずがない。どの引きだしをあけて決勝点を取りにくるか、こうして広い視野で俯瞰していてすら灰島の手は予想しづらいのだからコート上の選手の目線では言わずもがなだ。
篤志、どう攻略する? 弓掛の思考に浅野は自分の思考をシンクロさせる。
“冷眼冷耳 冷情冷心”
全身から放たれる太陽のごとく燃えたぎる闘志に目を眩まされるが、弓掛の頭の中はこの試合中ずっと冷静だ。今この瞬間も感覚神経を研ぎ澄ませ、視野を最大に広げて情報収集し続け、あらゆる状況を想定して考え抜いている。
フェイントでは決め切れない。となると、
「リバン!」
浅野が口走るのとほぼ同時にコートでも「リバン!」と山吹の声が響き、ネット際にいた亜嵐がパブロフの犬みたいな反応でしゅんっとしゃがんだ。
ジャンプの落ち際まで空中でボールインパクトを待ってから弓掛がフルスイングせずブロックにあてた。ネット下に落としたボールに亜嵐のリーチが届き、フロントゾーン上空に掬いあげた。豊多可がバックゾーンから嬉々としてそのボールに片足ジャンプしセット体勢に入る。本職のセッター顔負けのジャンプセットでライトへ飛んだボールに弓掛が助走に下がって再チャージしている。
リバウンドからあっという間に立てなおして慧明が攻撃有利な状況を作りだした。
欅舎のマッチポイントを凌ぎ、慧明16-16欅舎。
ちょっと前に弓掛を吹っ飛ばした一年生二人が無邪気に歓声をあげて弓掛を囲んだ。
安堵の息をついた浅野に越智が物言いたげな顔を向けてきた。
「気持ちはわかる……って言いたいとこやけど、さすがに……」
「……うん。越智が正しいよな」
八重洲の者としては欅舎の勝利を望むべき状況だ。理屈ではわかっているし、自校の優勝を本心から望んでもいる。わかってるけど……。
「まあどっちが勝ってもうちの功罪じゃないんだから、好きに見届ければいいよ」
と前の列から太明が振り向いて苦笑した。
「八重洲の部員が負う責任は八重洲の十一戦の中にしかない」
髪の色と同じく明快な主将の言葉に、欅舎側に傾倒して見ているのがあきらかな越智もちょっと気まずそうに首を竦めて太明に目礼した。コートに目を戻して取り繕うように話題を変える。
「慧明があんなばらばらなブロックをありにしてる意図はなんなんですかね……ほやし弓掛も前衛んときやってましたけど、ワイパーみたいにブロック振るんも、もし八重洲でやったら怒鳴りつけられるやつでないんですか」
慧明も八重洲と同じく、中央で待機するバンチシフトからリードブロックで反応して壁を揃える堅固なブロックシステムが強みのチームだ。しかし先ほどからライト寄りのデディケートシフトに変えていた。欅舎の厚いレフト三枚攻撃への対策なのは間違いないが、単なるデディケートにしては、ライトブロッカーとセンターブロッカーがタイミングを揃えて跳んでいないように見える。
それにブロックに跳んだ場所から手を振って塞ぐコースを変えることは後衛との連係が取れないワンマンプレーになるため、八重洲では禁じ手とされている。弓掛がやっているのを亜嵐も真似してやりはじめたようだ。
だがそのおかげで抜かれたと思ったコースに一拍違うタイミングで流れてきた隣のブロッカーの手がでるということが起こっていた。
太明の隣で破魔が振り返った。一つの地点に据えられていたカメラアイが突然向きを変えたような、モーター音が聞こえてきそうないつもの動作に後列の後輩たちがびくっとした。
「bickを含めた四枚同時攻撃が当たり前の戦術になって以降、最大三枚のブロッカーに対して攻撃側が数で有利になった。それに対抗するためのブロック側の新たな戦術が世界レベルでずっと模索されている。慧明がやろうとしているのはその対抗策になり得るものだ」
「けど危ういシステムですよね。今までいいって言われてたやり方が崩壊しかねんですし……ほんとに有効なんかは、もっとデータが積みあがらんと判断できんです」
越智がアナリストらしい意見を慎重に述べる。
「だからこそやってみる意味はあるだろう。あの男は……弓掛篤志は……決して思考停止しない」
抑揚に乏しいバス・バリトンでロジカルに説明していた破魔の声に、脅威におののくような震えがまじった。
眼下のコートで亜嵐が弓掛の胴を抱えあげてくるくるまわる。一年生二人の頭より高く担がれた弓掛が拳を天に突きあげた。
昨日の八重洲戦で一時囚われていた、悲壮な覚悟のようなものは今日の弓掛からは感じなかった。自分より身体的ポテンシャルが高い選手に囲まれる中でも諦める気なんか毛頭なく、相手を超えるすべを探求し、全身全霊をもって実践し、いつか必ず攻略することを、結局弓掛自身が己の内から渇望しているのだ。
なんていう苦難の業を背負ったんだと思うけれど……ああ、見たいな、と思わされる。
おれだって見たいよ。篤志が世界で戦う姿を。
今ああして楽しそうな亜嵐や豊多可に抱えあげられているように、海外の大きな選手たちの中にあっても、誰よりも強靱な精神力と反骨心で仲間を引っ張り、信頼を勝ち得て、必ず認められるに違いない姿を――夢物語じゃなく、きっと現実になる未来として浅野は脳裏に思い描ける。
慧明がローテをまわして亜嵐がサーブに下がり、前衛には波多野が戻る。山吹のサーブまであと一つ。
「9番はレセプしてからのほうが打ちやすいくらいだろ?」
と太明がコートでサーブを受ける三村に目配せすると、
「はい。自分でレセプしてからの効果率のほうがしないときより高いです」
越智がまるで自分のことのように即答した。他校の特定の選手の数字が即座にでてくるのもどうかとは思うが、ともあれその数字があれば重宝されるウイングスパイカーになるだろう。オポジットが“攻撃の要”であるのに対してウイングスパイカーは“攻守の要”。守ってから攻撃する能力の高さが評価される。
亜嵐の強烈なスパイクサーブの直撃を受けても三村は体勢を崩さず踏みとどまり、そこからぱっと助走に切り返して黒羽ら他のスパイカーと同じテンポで攻撃に加わる。そして通過点を高く維持して相手の深いゾーンへ打つスキルに長ける。
ただ慧明側にもデータはあがっている。サーブからバックライトの守備に入った亜嵐がコースを張っていた。胸に刺さるボールに「あいたっ」と身体をはじかれながらもカットした。
最終セット、デュースに入って双方まだ集中力を保って一歩も譲らない。「ラリー……!」スタンドに詰めた他の十大学の部員たちが息を呑んで見守る。
直線的なボールがニアネットに返る。ネット際で山吹が飛びついて波多野にワンハンドセット。欅舎側で福田、そして三村もヘルプに間にあい、二枚ブロックに引っかかったボールが直上に跳ねあがった。
「統、押し込め!」
越智が前のめりになった。慧明側からも波多野がもう一度ジャンプして押し込みにいく。両者の手がネット上でボールに届く。一瞬、両者の手に挟まれてボールが空中に縫いつけられる。三村がボールをねじ切るようにして自コート側のサイドへはじきだした。
主審のジャッジは欅舎のポイント。波多野が最後にボールをさわったという判断だ。
巧いな、と浅野は感心した。自コート側でアウトになれば相手側がボールを押しだしたと判定される。ただ昨今の傾向では押しあい中のキャッチの反則を厳しく取られやすくなっている。頭の上でネット際のプレーを厳格にジャッジしている主審とのぎりぎりの駆け引きがそこに発生する。
慧明16-17欅舎。欅舎に三度目のマッチポイントが点灯する。慧明はマッチポイントを三度凌ぐ側になる。
黒羽が前衛にあがり三村がサーブに下がる。慧明のほうはここを凌げば弓掛が前衛にあがり、山吹にサーブをまわせる。
「黒羽はさすがに燃料切れかもしれんな。灰島もトス減らしてるように見える」
越智の評価に浅野も頷いた。灰島が立て続けに黒羽を使っていたセット序盤から中盤に比べると黒羽の打数が減っている。将来性では恐るべきプレーヤーだが、まだ一年生。つい二ヶ月前までは高校生だ。
「篤志と完全にマッチアップする負担は生半可じゃないよ。一セット通しただけでも十分よくやった」
「まあ統がえんあいだよう身体張って頑張ったしな……」
欅舎側が「ライトライトライト!」と弓掛をマークする。追い込まれている側の慧明が弓掛に託す可能性は高い。だが、
誠次郎、雑に逃げるなよ。浅野は胸中で呟いた。欅舎側で福田の足が弓掛のほうへ向きかけた瞬間山吹が真ん中、鶴崎のbickを使った。うん、それでいい。くたびれてるだろうがセンター線を敵の意識に刻み続けることに意味がある。
弓掛のマークに注力している黒羽の反応が遅れた。だが力を振り絞ってヘルプに行く。勝手にねぎらって今日の活躍を終わりにされるのは心外だと文句を言うかのように。
福田・黒羽の二枚に鶴崎が阻まれた。
ピィッ!
大きく波打ったネットの下にボールが沈み、ホイッスルが鋭く響いた。シャットアウト……!
「勝っ……!」
と越智が尻を浮かせた。周囲の八重洲部員たちも身を乗りだして見届ける中で浅野は思わず息をとめた。
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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