2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

第三話 王者はいない

15. MAN PROPOSES, GOD DISPOSES

 ブロックポイント、欅舎に十八点目――

「17-17だな」

 と、悠長に構えた太明の声が試合終了を否定した。

 八重洲の陣営に広がりかけた歓喜の波紋が戸惑いの波紋で塗り変わった。浅野もすぐには把握できないままフロアに目を戻すと、主審がネットに触れるハンドシグナルをだしたあと慧明の得点を示した。

「タッチネット……!?」

 ブロックポイントのホイッスルではなかった――欅舎の反則に吹かれたホイッスルだ。

 どよめく部員たちのリアクションに太明がニマリとし、

「23番がブロックおりるときネット蹴ってた。ど真ん中に膝蹴り入ってたよ。慌てて跳んでむしろ跳びすぎたって感じ」

 ボールが落ちたときに見えたネットの波打ちはタッチネットのせいだったようだ。浅野にはそこまで見えていなかったが太明の視野はいつも広い。

「は? 冗談だろ」裕木が声を裏返らせた。「どんだけ跳んだらブロックでネットのど真ん中に膝入んだよ。化け物か」

 ネットの縦幅は一メートルなので、二メートル四十三センチの高さに張られたネットは下端でも一メートル四十三センチになる。横に流れながら跳んだブロックで人の顔の高さあたりに意図せず膝が入ったことになる。

「燃料切れかなんて言ってた矢先に、なんちゅうっちゃ……」越智が掠れ声を漏らす。

「笑うしかねえよなあ」

 太明が座席にもたれなおして金髪にくしゃっと指を突っ込んだ。

 コートキャプテンの三村が審判台に歩み寄って確認を求めたので一時的に試合がとまる。ただ黒羽がチームメイトを拝んで謝る姿が見えるのでタッチネットの自覚はあったのだろう。まず覆ることはない。

「23番……もしかしたら“ターミネーター”とも“九州の弩弓”とも違うタイプのモンスターに化けるかもしれねえな、あいつ」

 裕木が薄ら寒そうに呟いた。

 思いつきで口にしただけかもしれないが、あながち軽口でもないと浅野は思う。

 黒羽祐仁という選手はおそらく人並み以上に広大な、ただしまだほとんど真っ白で漠としたキャンバスを持っている。今のところ色がついている範囲は九割がた灰島によって塗られているが、この先どんな環境で誰にどう塗られていくか次第ではあろう――本人の手で積極的にビジョンを描き込むタチでもなさそうなので。

 仲間のもとへ戻った三村がぱんぱんと手を叩いて空気を盛りあげる。慧明17-17欅舎で再開となる。

 命拾いした慧明がサイドアウトを取り、弓掛が前衛にあがる。サーバー山吹。慧明のブレイク率がもっとも高い絶好の機会を迎えた。

 際どいコースを攻めたサーブがサイドいっぱいに入った。黒羽が飛び込んであげたものの欅舎の攻撃態勢を大きく崩した。コート外まで滑り込んでいった黒羽をマークから外して慧明が余裕を得る。三村のbickにタッチを取って繋ぎ、逆に攻撃権をもぎ取った。

 欅舎の勝利に一瞬わいた流れがあっという間に逆転した。攻撃に遅れた黒羽もなんとかブロックには戻って欅舎が迎撃態勢を敷く。

 山吹から短いトスがふわっと浮いた。弓掛のマークをぎりぎりまで外せなかった黒羽が遅れ、福田・柳楽が波多野の11に食らいついて跳ね返す。豊多可が拾ってまだ慧明ボール。もう一本山吹が真ん中を使うが、今度は鶴崎のbickに振った。黒羽もヘルプに間にあって欅舎がこれにもワンタッチ。

 双方の領空の境界線上にボールが浮いた。どっちのボールだ、とコート上の両チームもスタンドの者たちもボールの行方を凝視する。

「オーライオーライ!」

 豊多可が怒鳴ってネット前にでてきた。

 わずかな空気抵抗が慧明側に微笑んだ――空中でぶれたボールがネットに沿って慧明側に落ち、低く構えた豊多可が丁寧に掬った。

 慧明の攻撃チャンスが三本続く。欅舎が三度みたび守備の陣形を敷きなおす。長くなったラリーに見ている者たちの息まで詰まる。一本目、二本目とセンター線と来て、ずっと弓掛をマークしていた黒羽がついセンター側に引っ張られた。その瞬間山吹からバックセットがライトへ飛んだ。

 黒羽がはっとして戻るも斜め跳びになり、そのブロックの上から弓掛が叩き込む。アタックライン上を穿ったボールに深い守備を取っていたディガー陣も動けないまま、鋭角に跳ねあがって天井近くまで届いた。

「ブロックの上からあんな角度で打てんのか!?」

 黒羽が見せたジャンプ力の印象を上書きするような弓掛の驚異的な高さにスタンドが戦慄でどよめいた。

「今のは山吹の組み立てがよかったな……黒羽のポテンシャルには驚かされるけど、やっぱ負荷は効いてる。弓掛のほうはまだ動き鈍ったように見えんで余裕ありそうや。山吹が温存してたんやろな」隣で感想を漏らした越智の声はからからにしゃがれている。「二十点超えるか……」

 慧明18-17欅舎。デュースに入って初めて慧明が前にでた。十五点先取をすでに大きく超えつつある。

「まずここ切るぞ!」

 三回のマッチポイントをものにできず逆にマッチポイントを許した欅舎は苦しいところだが、三村が柱となり集中力を繋ぎとめる。すでに順位が確定している欅舎はとにかくただ最終戦に勝ってリーグを終えたいという気力だけで戦っているだろう。繋ぎとめてきたその気力を、慧明の気迫が圧する。

 “十センチでよかった”

 三年前の春高で清陰に敗北したときの弓掛の姿を、浅野は今も決して忘れることがない。東京体育館のバックヤードのうら寂しい通路で一人うずくまり、タオルを自分の口に突っ込んでまで意地でも嗚咽を殺して泣いていた、誰よりも強いのに、近くで見ると華奢きゃしゃな背中を。一度たりと「高さ」を言い訳にしたことがなかった弓掛が、血を吐くようにようやく漏らした本音を。

 “あと十センチ欲しかったって思うんは……贅沢か……?”

 “あと十センチあったら、絶対おれが日本を変えてやるのに”

「篤志……勝てよ……」

 破魔清央のほかにもまだ国内で倒していく相手がいるだろ。

 勝って――日本を飛びだせよ。

「山吹さんナイッサ! エースで決めちまえ!」

 豊多可が威勢のいい発破をサービスゾーンに飛ばす。ただ針の穴を通すような山吹のサーブはサーブミスと表裏一体でもある。

 試合序盤はミスも目立つスロースターターだが、終盤の山吹の勝負強さには浅野が太鼓判を押す。欅舎がフォーメーションを調整し黒羽を端に寄せて負担を軽減した。そのきわめて狭いエリア、エンド側から見下ろしているとまさにサイドライン上、五センチ幅の白線めがけて山吹のサーブが攻める。黒羽がジャッジに一瞬迷ってから手を突っ込んだ。

 高くあがったが返球位置は逸れた。灰島がボールに走るあいだに黒羽も体勢を立てなおして助走を取る。「よしあがった!」「行け行け!」浅野の周囲で欅舎の追撃に期待をこめる声が起こった。

 スパイカーが揃えばこのローテの決定率は高い。灰島と一緒に移動してきた福田が灰島のすぐ背後からA1に入る。灰島のフロント側に前衛レフトの黒羽。三村がコート中央からバックアタック。灰島から近いこの三路線に慧明のマークが向く。

 フロントかバックか、フォームが読めない灰島の両手の中にボールが入るや、背中を反らしてバックに飛ばした。浅い弧を描くボールがぎゅんっと伸び、コートの端から端まで、九メートルのロングバックセットが柳楽まで届く。上から俯瞰しているスタンドの者たちの意識からも柳楽の存在は抜けていたので全員驚かされた。鳩飼・波多野の二枚ブロックがなんとか追うもののストレートは締められない。

 上から見ればストレートがあいているのが明白だったが、柳楽が打ったコースは安易にクロスになった。そこに、、、打っても、、、、

 オフブロッカーにまわった弓掛が二枚ブロックのインナーを抜けたボールを追って身をひねった。ライトいっぱいに入るボールをフライングレシーブ。パンッとワンハンドでコート上空にはたき返した。

 厳しく言うなら灰島の失策だった。セットの質は完璧。慧明の守備に対する判断も申し分なかった。しかし長試合、そして欅舎が置かれた状況を思うとスパイカーは気力体力とも限界だ。ストレートを自信を持って入れるのは難しい。とっさの思考力も落ちている。その考慮が足りなかった。

 攻守が逆転した。「守ってくれ!」隣で越智が祈るように口にする。欅舎ブロッカーは弓掛を警戒しないわけにいかないが、山吹が一本目をセンター線で引きつけることも頭に刻まれている。ブロッカーの集中力も焼き切れる寸前だ。

 山吹からここでレフトへ。欅舎のブロックを剥がして鳩飼がノーマークで打つ。決まったか――、

 ぼぐんっ!

 濁音が響いて欅舎エンドでボールが高くあがった。後衛センターディガーは三村!

 ボールをあげた反動で後ろにはじかれた三村も踏みとどまって転倒をこらえた。キュッとシューズの摩擦音を響かせて前に飛びだし、

「チカ! 持ってこい!」

 さっきの失策の理由に灰島が気づいているならば、この一本を託せるスパイカーは三村しかいない。浅野がセッターでも三村に託す。

 三枚ブロックの壁を相手に三村のバックセンター。決め急げば間違いなく捕まる。灰島が素早くネット下で三村のカバーに構えた。――リバウンド狙い! ハーフショットでブロックにあてたボールが灰島の手が届く範囲に落ちる。灰島がしゃがみ込んで拾ったボールをレフトへ送った。

 同時にレフトで踏み切った選手がいた。

 黒羽がリバウンドボールを直接打つ。ノーブロックで黒羽に打たせたらフロアで拾うのは難しい。「よしっ、同点」と拳を握った越智を横目に浅野は奥歯をぎゅっと噛んだ。

 そのときネット際で弓掛が神速果敢に反応するのが見えた。まだだ――。



 リバン――!

 ネット下に灰島が潜り込むのを目が捉えるなり弓掛は次に起こりうることに全神経を研ぎ澄ませた。「にじゅさん!」背中から飛んだ豊多可のコールを最後まで聞く前に足が動く。バックスイングをつけてネット沿いをダッと蹴って跳びあがり、レフトまでの残りの距離を空中で詰めながら身体の向きをひねってネットに正対する。コートの景色がびゅんっと視界を過ぎる中、黒羽のスパイクフォームにピントをあわせる。

 弓掛にとって高校最後の試合となった、三年前の春高の三回戦――あのとき、最後のホイッスルが鳴る前に足がとまった。またこういう奴らが現れて、また勝てないのか、と……フルセットの長試合で限界まで疲弊した心の隙間に諦めの感情が入り込んだとき、意志に反して足が動かなくなった。

 今日はまだ限界は来ていない。足はまだ思うように動く。

 ああ、誠次郎か。

 ふいに胸に落ちた。フルセットに達したときに弓掛に賭けるための、五セット分のシナリオが山吹の頭の中にはあったのだ。

 黒羽なら丁寧に打てば一枚ブロックを抜くコースは見つけられる。それができる高さと滞空時間に恵まれたプレーヤーだ。あるいはもう一度リバウンドを取って仕切りなおすのも取り得る手だ。ただしこの一瞬でそれを考える余裕も、ミスなく遂行する体力的な余裕ももう黒羽に残して、、、。このセットを費やして、そして高校のときとは違う五セットのフルセットマッチを費やして削り取ってきた。

 甘いコースに黒羽が打ったスパイクを五指の中に捕まえ、ネット下に撃ち落とした。

 が、そこへ滑り込んできた影があった。灰島、また拾いよる! 腹這いで手の甲を突っ込んで床すれすれで救った。低いボールに黒羽が着地ざまとっさに右足をだした。まだ繋ぐ! つま先で蹴りあげたボールがサイドラインを大きく越える。後衛の三村が身をひるがえしてダッシュする。「統ー!」「繋げ繋げ!」仲間の懸命の声が飛ぶ。

 ラリーが切れない。諦めようとせず何度も足掻く欅舎に慧明側が焦りを衝きあげられる。

 弓掛は汗を散らして味方に怒鳴った。

「何ラリーになってもよか! 最後は取る!」

 腹からだした声が浮き足だちかけた味方コートに楔を打ち込んだ。

 無人になったAコートまで全力疾走していった三村が素早く振り向いてコートに一瞥をくれた。ボールの先にまわり込んでアンダーで高く打ち返す。

 三打目、ラストタッチだ。体育館の天井の下を斜めに割ってボールが戻ってくる。「豊多可、慌てんな! 丁寧に返せ!」山吹が指示を飛ばす。

 欅舎側のネット際で黒羽が祈るようにボールを目で追う。灰島がいつでも次の行動に移れる構えで待つ。ホイッスルが鳴るまで戦闘態勢を解く選手ではないが、ボールをひたと見つめる灰島の険しい表情から、その軌道をすでに正確に予測していることは間違いなかった。

 三年前の試合のラストボールが弓掛の脳裏で重なった――今の三村のようにコート外まで全力で追っていった伊賀が、結局清陰側まで返すことが叶わなかった――ネットを越えられずに箕宿みぼし側へと落ちていったラストボールが。

 三村が返し損じたわけではない。アンテナ内を通して慧明コートに返すにはどう足掻いても角度が厳しかった……それだけだ。

 あのときは自分たちのボールが清陰に届かなかった。

 だが今日は、届かない相手のボールを待つ側に自分が立っている。

 ボールがネットサイドのアンテナ上空を越えたとき、四人のラインズマンがいっせいにアンテナを左手で指さし、右手のフラッグを頭上に振りあげた。コートの声もスタンドの声もいつしか消えていた横体大体育館に、ばさんっ、ばさんっと、コートの四隅で四旗のフラッグが左、右と歯切れよくふた振りされる音が際立って響いた。

 ピッ

 ホイッスルと同時に灰島が鋭い目つきでこっちを振り向いた。

 慧明に十九点目。そして、

 ピィ――――ッ!

 ネットを挟んで灰島と視線が絡んだまま、続けて吹かれた長いホイッスルを弓掛は聞いた。

 第五セット――終了。

 敗戦を迎えた直後の欅舎のコートには、感情の行き場がどこか定まらないような放心した空気が漂った。

「あーっ! くっそ!」

 感情を露わにした第一声はコート内ではなくコート外から響いた。

 ラストボールを打ち返した場所でヤンキー座りした三村が天井に向かって喚いた声だった。

 アップエリアにいた控えの仲間が三村を立ちあがらせて肩を抱きながら一緒にコートに集まってくる。よくやったとかしょうがないとかいう慰めを三村が言わなかったことで、コートの空気も明確に方向づけられた。放心ぎみだった選手たちがうなだれたり悔やむ声をあげたり、それぞれ感情を吐露しだした。

 灰島が膨らませたほっぺたから空気を抜いた。弓掛の背後にじろっと視線を移し、拗ねたように唇を突きだしたまま目礼だけすると、ぷいと顔を背けて黒羽に声をかけにいった。

 その黒羽は試合終了を迎えた場所で急にしゃがみ込んで頭を抱えていた。終盤のタッチネットがなかったら。足で蹴りあげたボールが返せる場所に飛んでいたら。仲間の誰も責めはしないだろうが本人の自責の念は強いはずだ。

 たった今胸を苛んでいるような後悔を幾度となく重ねて、たぶんこのルーキーは、次にやるときにはもっと脅威になっている。

 身体の中に溜まっていた熱い空気をふうっと強く吐きだし、最後に弓掛も臨戦態勢を解いた。

 慧明コートにもアップエリアやベンチから仲間が飛びだしてきて、欅舎と対照的に歓喜にわいていた。弓掛が振り返るまで待っていたように背後に立っていた山吹が握手を求めてきた。その向こうでは豊多可が亜嵐の背中に飛び乗ってはしゃいでいる。

 山吹の右手を取らず、試合中と同じ声のトーンのまま言う。

「これで安心しよったら、次は取れんよ」

 山吹が目をみはり、力を抜いていた顔を引き締めた。ぴりっとした空気に気づいた豊多可が「やべっ」と亜嵐をつついた。

「……けど、やっぱ嬉しかぁ」

 弓掛は相好を崩し、握手のかわりに両手を広げて山吹に抱きついた。

「待って篤志さん、おれ何気にふらふらなんでっ……」

 ところが山吹が予想外に踏みとどまってくれなかったのでそのまま二人一緒に倒れ込みそうになった。亜嵐が豊多可をおぶったまま「わーっ」と山吹の背中を支えに飛び込んできた。


 “あと十センチ”が、なくても、、、、――。


 春季リーグ第十一日 Bコート第三試合

  セットカウント 慧明大3-2欅舎大

    第一セット   23-25

    第二セット   25-23

    第三セット   25-20

    第四セット   26-28

    第五セット   19-17

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

  • twitter
  • facebook
  • �C���X�^�O����
S