2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years

著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

第三話 王者はいない

16. EVEN WITHOUT 10 MORE CENTIMETERS

 Aコートのアナリスト席に残してきた機材をすぐ運びだせるようまとめておき、忘れ物や不備がないか今いちど指さし確認。「よし」と一人頷いてなんとはなしにBコート側を見ると、座席の隙間で染谷の頭が六十度くらい傾いていた。

 越智は一階におりる前にBコートのアナリスト席に立ち寄った。

「染谷くん。表彰式はじまるでもう下に並ばんと」

 と声をかけたが、

「おれはパスで。主務に怒られるまで一瞬寝まーす」

 染谷は座席にばたっと倒れてジャージを頭までかぶってしまった。あっという間にくぐもった寝息が聞こえてきたので唖然とする。まあ越智も同様に寝不足なので共感はできた。

 ただ自分には今日まだ重要な用が残っている。

「……お疲れさん」

 いわば同業他社のライバルであり、けれど今後もアナリスト席を並べるであろう戦友であり、学ぶところも多い先輩アナリストの労をねぎらってその場を離れた。

 スタンドに残って表彰式の開始を待っている一般客の姿もあるが、試合中に比べるとずいぶんまばらになっていた。予定時間が押して式は十九時半開始とアナウンスされている。全六試合のうち三分の二がフルセットにもつれるという、十二校の熱気が最後まで冷めやらない最終日となった。朝十時の開場からスタンドに座っている一般客にとっても長い一日になったろう。

 女子マネージャーらフロアに並ばない部員たちもスタンドにあがってきていた。冷えてきたからかチームジャージを着込んだ女子たちが仲よさげに詰めて並んでいる姿がそこここに見られる。

 冷房が効いているが湿度は高くなっていた。一日中屋内にいたので意識していなかったが外はどうやら雨模様になっているようだ。ここのところ五月らしい気持ちのいい晴天が続いていたが、今日は朝から雲行きが怪しかった。

 越智が一階アリーナに入ると十二校の部員たちが三々五々集まりつつあった。集合は不揃いだがどの大学も揃いのチームポロシャツにロンパンで統一している。けだるいささめきが湿気とともにフロアの底に沈んでいる。男子学生らしいふざけた笑い声の泡がときどき浮きあがってはすぐにはじけて消える。

 湿気とささめきが浅瀬の波のようにたゆたう床の上で十二枚のプラカードが揺らめいていた。

 正面のマイクに向かって横一列に置かれた十二枚のうち『八重洲大』のプラカードがある場所の後ろのほうで越智は足をとめた。マイクの背後には長机がだされ、これから各賞で授与されるカップやトロフィーが並んでいる。

 まもなく太明が裕木と喋りながら現れ、自然な仕草でプラカードを拾いあげてその場に立てた。太明のすぐ背後には四年“上一うえいち”の破魔が衛兵みたいにぴたりと直立する。太明の隣には一年生の上一が竿に巻きつけた部旗を携えてやや緊張気味に立ち、その後ろに残りの部員が二列で並んでいく。身長順で二年の中で一番小さい越智は一年生のすぐ前に位置取った。他の大学もプラカードを持った主将と一年生の旗持ちを先頭に二列を形成していく。

 役員や監督たち、それに男女とも黒のスーツをきりりと着た各大学の学連委員たち(ただし足もとは体育館シューズだ)が選手たちと向きあう形で前方に並ぶと、雑談の声が自然と静まっていった。去年は裕木が黒スーツでしゃちほこばってあっち側の列の中にいたものだ。

 今年の学連委員長を務める横体大四年生がマイクの前に立った。今年度最初の大会の運営を無事に終えた安堵感と、最後の大仕事を請け負った緊張感とがないまぜになった学連委員長の面持ちに、学生たちの注目がいたわりの念をもって集まる。

『成績発表』

 学連委員長がクリップボードを手に声を張った。

『総合優勝、十一勝0敗、慧明大学』

 フロアの参列者からもスタンドからも拍手が起こった。越智も拍手をしながら踵を浮かせてターコイズブルーのポロシャツが作る列のほうへ目をやった。

『第二位、十勝一敗、八重洲大学。

 第三位、九勝二敗、欅舎大学。

 第四位、八勝三敗、横浜体育大学。

 第五位、七勝四敗、東武大学』

 大学名が読みあげられるごとに短い拍手が起こる。

『第六位、四勝七敗、セット率0・814、楠見大学。

 第七位、四勝七敗、セット率0・640、臨海国際大学。

 第八位、四勝七敗、セット率0・615、督修館大学。

 第九位、四勝七敗、セット率0・535、成田学院大学』

 六位から九位まで続けて読みあげられると会場がざわついた。四校の勝率が並んだうえ、特に七位と八位はセット率でも非常に僅差だ。最後の最後で順位をあげたチーム、惜しくも順位を下げたチーム。それぞれの悲喜、悔しさ、安堵がこもったざわめきを当のチームや周囲からの拍手がねぎらった。

『第十位、三勝八敗、秋葉大学。

 第十一位、二勝九敗、大智大学。

 第十二位、0勝十一敗、山王大学。

 以上です。続いて表彰に移ります。優勝した慧明大学の代表者三名は前にでてください。賞状、優勝杯、ウイニングボールが授与されます――』



「ユニチカー! 写真撮ろうぜ」

 表彰式に続き閉会式をつつがなく終えて閉会宣言がなされると学生たちの列がばらけだした。整然と列を成していたとりどりの色のポロシャツが緊張感のほぐれた話し声とともに雑多に交ざりあう。慧明の一年生、佐藤と荒川が欅舎の列のほうへさっそく駆けてきて黒羽・灰島とともに自撮りで記念撮影をはじめた。

 越智も佐藤たちと同じ方向を目指して移動してきたのだが、

「……あれ?」

 どこ行った?

 列をゆるめて集まっている欅舎の部員たちの中に捜している頭が見あたらない。

 きょろきょろしていると、式中にいたはずの場所とは別の方向から三村が人ごみの中を戻ってきた。

「なんや越智、こっちいたんか。八重洲のほう捜し行ってもたわ」

「ああ、そっちも捜し行ってたんか」

 同じ発想をしてすれ違いになったようだ。

 インカムで越智から一方的に伝えた言葉を除けば今日話すのは初めてだ。やっと面と向かって話ができる段になった。

 話したいことがいくつもある。立ち話では語りきれないくらいのことが。昨夜途中になった電話の続き、今日の試合中のこと……なにから話したらいいのか。

 一刻もはやく直接会って話したかった。三村にとってもそうなのだろう。

「統――」

「なあおまえ知ってたんか? 清陰の監督いたやろ。あのじいさんがうちの星名監督の恩師やって、ほんとけ? あのじいさん、関東で私立の監督やってたんか?」

 と越智の肩を揺さぶらん勢いで三村がまくしたてた話題はしかし、越智の頭に浮かんでいた話題のどれでもなく、

「ああん?」

 ついがらの悪い声が口をついてでた。

「聞いたことねえけど、ほんとなんけ?」

「おれもはっきり聞いたわけやねえけど、福井の公立でいっぺん定年なってから復職したような歳で監督やってる人っちゅうたら、おれが知る限り清陰の監督しか思いあたらんし……」

 顎に手を添えて小難しげに首をひねる三村の顔を見あげるうち、腹の底からふつふつと怒りがわいてきた。

「統ー……」こめかみがぴくぴく震える。「開口一番おれに言うことがほんとにそれでいいんか? もっとほかにおれに話したいことはねぇんか? 胸に手ぇあててみて思いあたることは?」

 ドスを利かせた越智の声色に三村が今ごろぎくっと頬をひきつらせた。

「あっ……えーと……ああ……すまん。いろいろあるな。なにから話そう」

 人の気も知らんと、まったくこいつのこういう肝心なことで変に淡泊な面には何百回煩悶させられたか……こいつが直面してきたものを思えば、そういう面が必要だったのだろうが。溜め息をついて怒りを腹の中に押し戻す。

 越智から話の腰を折ってもしょうがない。そんなことより重要な

「統! 越智!」

 高い位置から聞こえた声がまたしても話の腰を折った。

 学生たちがそこここに作る雑談の輪を高杉が掻き分けてきた。手にはスマホを持っている。

「おっ潤五。七位浮上驚いたわ。すげぇな――」

「もー面倒でおれの手には負えん。おまえがどうにかしろ」

 三村の祝いの言葉を遮って高杉が越智の頭越しに三村の目線にスマホを割り込ませた。不思議そうに三村がその画面に目を落とした途端、

『統先輩!? 統先輩ですか!?』

 画面から唾まで飛んできそうな勢いの声が聞こえた。越智も三村の脇から背伸びをして覗き込むと、映っているのは予想にたがわず、高校時代は毎日見飽きすぎて鬱陶しく思うくらいだったが今となっては懐かしい後輩の顔だった。

「工兵か」

 三村がその名を呼んだ。相手の画面にも三村の顔が映ったのだろう、すでに涙で濡れていた戸倉の顔が余計に歪んだ。鼻をずるずる啜って涙声で喚く。

『試合、ライブで見てましたあー……』

「お、おう。さんきゅ。勝てんかったんは悔しいけどな」

 感極まった戸倉の様子に三村が引き気味に応じたが、

「ほうけ。見ててくれたんけ」

 と頬をゆるめた。

『統先輩最近試合でてるんやったらでてるって誰か教えてくれればいいのに、誰も教えてくれんかったんですよ。ひどいと思いません? 智紀ともき慶太けいたも、壱成いっせい先輩とか勇飛ゆうひ先輩とかまで。みんな薄情っすよぉ』

「おまえがずっとうじうじしてるで西の連中も気ぃ遣ったんやろが」

 高杉が面倒くさそうに画面の外から突っ込みを入れる。愚痴を言い募っていた戸倉が図星を指されて『うぐ……そうですけどぉ』と言い淀む。

『ほーです……薄情なんは、おれです……』

 福蜂工業高校の一つ後輩の戸倉工兵は関西に進学し、関西一部リーグでバレーを続けている。決して頭の出来がいい奴ではないが母校運動部からはスポーツ推薦で進学できる者が多い。戸倉も県トップレベルのエースとして全国大会にもでた選手なので推薦で行ける大学はいくつかあっただろう。

 しかし関東は選ばなかった。福井からは西日本に進学するほうが多数派なのでなにも不自然な選択ではない。自分たちの同期では高杉は関東に来たが、朝松壱成や猿渡さわたり勇飛は関西に行っている。

 “工兵のこと聞いたけ? 大阪こっちに来るって。おれに進路相談してきたわ”

 戸倉の志望先を最初に知ったのは朝松が同期のグループメッセージに送ってきたこの報告だった。意外やな、あいつは絶対統を追っかけてくと思ってたけどな、とグループ内で他の連中も訝しんだ。高校だって三村に憧れて福蜂に来たことを公言してやまない奴である。三村を追って関東に行くほうが自然だと思われていたのだ。

 越智は浪人でまだ地元にいたが同期は大学一年の秋のことだ。思い返せばあれは三村がどん底にいる時期だった。東京に進学して半年が過ぎてもパフォーマンスが戻らず、コートに立ててもいなかった。

 あれほど統先輩統先輩と懐いていた戸倉が、半年経つうちに三村と疎遠になっていった。

『ずっと連絡せんで……なんて言っていいんかわからんくて、できんくて……今かってどの面下げて統先輩と喋ってるんか……おれ、あの……』

「わかってる」

 涙声で言い募る戸倉に三村が微笑んで言った。端的なひと言だったが、優しい声だった。

 “エースでキャプテン”としていつも自信に満ちた笑顔でみんなの中心にいた三村を何年も追いかけてきた戸倉が――そういう戸倉だったからこそ、復帰に苦しむ三村の姿から目を背けてしまった心境は越智にも理解はできた。理想とほど遠い三村に失望したとか、そんな理由ではないこともわかる。三村もわかっていたはずだ。自己肯定感が低い奴ではないからそんな卑下した思考はしない。ただ当時三村のほうから戸倉になにか言葉をかけてやる余裕がなかったのもたしかだ。

「工兵」

 三村の声に画面の中で戸倉が目をあげた。真っ赤になった目をしぱしぱさせ、唇を噛んだまま『ふぁい……』と答える。

全日本インカレ全カレで会えるんが楽しみやな」

 多くを語らない言葉が、多くのことを伝えていた。

 関西を選んだ戸倉の決断の後ろめたさを拭い去り、ポジティブな意味を与える言葉だった。

『はい……はいぃっ……』

 戸倉が顔をくしゃくしゃに崩してこくんこくんと何度も大きく首肯した。

『統先輩……おっ、おっ……おかえりなさいぃぃぃぃ』

 福井のエース時代のファン代表みたいな奴に、三村の帰還が届いた。

 まだ今年これから続く選抜や大会が重なるごとに、次第に地元にも報が届くようになるはずだ。

 春高バレー福井県代表決定戦での敗北以来空白だった、“三村統”の名前が、きっと再び福井の人々の口の端にのぼりはじめる。

「福蜂の御仁ごじんら、ちょっとこっちこっち」

 カシャッ

 ふいにかけられた声につられて振り向いた先でシャッター音がした。

 スマホの背面カメラがこちらに向けられていた。ガタイのいい陽気な男、大智大の大隈がスマホの向こうから悪戯っぽい顔をだして今撮った写真が映った画面を見せた。

 肩越しに振り向いた瞬間をカメラに捉えられた、三者三様三色のチームポロシャツ姿の三人――三村、高杉、そして涙ぐんだ越智。

「ちょっ……!」一気に涙も引っ込んだ。「いきなり撮らんでもっ」

「黒羽にでも送っとくで転送してもらえや。三人集合しといて記念写真の一枚も撮らんのじゃつまらんやろ。のちのち酒のさかなに困ることになるぞ」大学行っても越智は泣いてんのかとまさに同期が集まった席で肴にされそうな写真である。

「棺野ー。写真撮ろっせ。末森さんに送ってやれや」

「って大隈、おいっ」

 こっちの動揺などおかまいなしに大隈がきびすを返して大股で去っていく。「せめておれに直接送れっ。な、連絡先交換しよっせ、同学年やし仲良くしよう!」同期内ならまだしも黒羽になんか転送されたら死ぬほど体裁が悪い。

「越智ー。話あるんやけどー」

 と三村の声がかかった。越智は早足で歩きだした足をとめて振り返り、

「U-23の合宿やろ! もう染谷くんに聞いたわ!」

「へ? まじけや。驚かそうと思ったのに、なーんや」

 拍子抜けしたように口を尖らせた三村に高杉のほうが驚いて声を裏返らせた。「なんやって!? おれは初耳やぞ」

「自業自得や。もったいぶらんと昨日話せばよかったんじゃ。次なんかあったら絶対すぐおれに言え!」

 三村のほうへ人差し指を突きつけておき、大隈の背中を追いかける。いかつい肩幅の後ろ姿が意外に器用に人の波を縫って離れていく。

「反省したで次からそうするわ」

 小走りで駆けだした越智の背中に殊勝な声で三村が言った。

「あとさっき、試合中の、感謝してる。まじでー」



 外シューズに履き替えるのももどかしく足を突っ込んだだけで弓掛は体育館から飛びだした。

 正面玄関のひさしの下を一歩でたところで顔に触れる湿り気を感じた。

 顎をあげて空を仰ぐ。霧雨が降りだしていた。弓掛にとっては傘を差すほどの雨ではないが、近づきつつある梅雨入りの気配を初めて感じた。

 五月下旬の長い陽もすっかり暮れている。日曜なので横体大生の姿は少ない。一般の観戦客は閉会後すみやかに退場を促されたので、今はもう周囲には体育館からばらばらと帰路につく各大学のバレー部員たちの姿しかない。やはり男子学生の誰もこれくらいの雨で傘は差していない。黒いポロシャツがいないか目を凝らしたが見える範囲には一人もいなかった。

 閉会式が終わっても優勝を祝ってチームの円陣があらためて組まれたり、スポーツ記者や大学新聞部の取材に掴まったりしているうち、気づいたら八重洲のポロシャツ姿が体育館からいなくなっていたのだ。八重洲にとって総合二位は本意ではない成績だ。大会終了後に長居はしなかったようだ。

 八重洲の部員たちは神奈川から茨城まで大学のバスで引きあげる。蟹沢記念体育館は横体大の正門から入ってキャンパス内を四、五分歩いたところにある。バスはおそらく正門のロータリーに迎えにくるはずだ。

 正面玄関前の二十段ばかりの下り階段と、そこから続く正門への道を外灯が照らしているが、遠くまでは見通せない。

 まだバスが出発してなければいい。焦りが募って駆けだそうとしたとき突然つんのめった。

「!」

 結んでいなかった右足の靴紐を左足が踏んでいた。前のめりで階段に突っ込むところを危うく体幹を締めて踏みとどまる。弓掛自身は右手をついただけで転げ落ちるのを免れたが、掴んだまま持ってきたトロフィーがその拍子に手からすっぽ抜けた。

「あっ」

 金色の小ぶりなトロフィーが霧雨を浴びながら階段の下まで放物線を描いていく。

「おっと……!」

 と、地面に激突する寸前でぱしっとそれをキャッチする手があった。

 白い二の腕より上は外灯の灯りの外で黒く沈んで夕闇と同化している。しかし走り込みざまトロフィーに下手したてを突っ込んだのは誰あろう、

「ふう。間一髪」

 黒いポロシャツと黒いロンパンに包まれた長身をすっと起こした浅野がトロフィーを手にこちらを見あげてにこっとした。

「あっ……ナイスディグ、直澄」

 はっと気づいてしゃがんだまま靴紐を手早く結んだ。立ちあがって一段飛ばしで階段を駆けおりる。最後の三段は大きく蹴って、アスファルトを白く照らしだす外灯の円の中で待つ浅野の前に降りたった。

「もうバス乗ったんやなかったと?」

「部車に荷物積むの手伝ってた」

「直澄?」

 とそこへ別の声が聞こえた。振り向いた浅野の肩越しに見ると浅野と同じ上下黒の服装の、しかし八重洲の部員にしては小柄な人影が立っていた。越智というアナリストだ。三村と同郷だとリーグ初日に聞いた。

 浅野を挟んで弓掛の姿を認めた越智が一瞬驚いたが、なにか納得したような顔になり、

「裕木さん引きとめとくわ。部車の時間は気にせんでいい」

「助かる」

 浅野が微笑で礼を示した。越智がぺこっとこっちに会釈してきたので弓掛もぺこっと返した。階段を駆けあがって体育館内へ消える越智の姿を首をひねって見送ってから、浅野の顔に目を戻す。

「部車に乗せてもらうよ。まだ篤志と話せてない。今日会って話そうって言ったろ」

 浅野がふと気づいたように目線を軽く下げた。弓掛の顎にまだ貼られている絆創膏をちらっと見やり、また目をあげて、トロフィーを差しだした。

「大事にしないと、トロフィーも自分も。MVPおめでとう」

 優勝杯は四年生がチームを代表して受け取った。三十センチ長ほどの細身のトロフィーは、続いて行われた個人賞の表彰で弓掛が最優秀選手賞として授与されたものだ。

 ベストスコアラー賞とサーブ賞も弓掛が獲ってトリプル受賞となった。ブロック賞に破魔、スパイク賞に大苑、サーブレシーブ賞に浅野。これらの各賞はリーグ通算の規定の数字をもとに算出される。慧明や欅舎はリーグ途中で大きくメンバーが入れ替わったのに対し、リーグ通してメンバーが安定していた八重洲が多く獲ることになった。

 敢闘選手賞とリベロ賞を八重洲の太明がダブル受賞。三位の欅舎から灰島がセッター賞、四位の横体大から45番の一年生ミドルが新人賞を授与された。

 弓掛はトロフィーの胴を掴んで浅野の手から受け取った。

「優勝おめでとうとは言わんでよかよ、直澄の立場で」

「まあうちの主将的には言ってもぜんぜんよさそうだけど、言わないでおくよ。王者が王者の顔をしてないもんな」

 と言われて弓掛はきょとんとした。

「どうせ一度座ったそこにおとなしくあぐらをかいてる気はないんだろ。渡欧の日程っていつ決まるんだっけ。たしか向こうのシーズンインもVリーグと同じで十月だよな」

「直澄? ポーランド行き……」

「やめとけって思うのも、やっぱり半分は本心だ」

 柔らかく喋っていた浅野の声のトーンが低くなり、真面目な口調に変わる。弓掛はみぞおちに力を入れて身構える。

 当たり前だがやめろと言われて弓掛もやめることはできない。昨日の不毛な押し問答の繰り返しになるのを承知で自分の思いをぶつけるしかない。

「なにが待っとっても、やってみる前からやめるって選択肢はおれにはなかとよ。やってみてできんなら、できるまでやる。おれは特待生やけん、国内で選抜してもらえんならほかの方法で結果ださんといかんし」

「半分だって。もう半分がある」

 浅野が声を被せてきた。人の台詞を途中で遮るようなことを普段の浅野がする印象はない。

「おれは、篤志、でも、自分でも矛盾してるとは思うけど」

 浅野らしくない、文脈がいま一つ通らないつっかえた言葉につい勢いを押されて弓掛は口をつぐんだ。

「篤志は世界で戦えるって疑ったことはない――あと十センチがなくても、、、、

 はっとした。

 自分の独白と同じだった。

 浅野に言ってもらえたことで、自分だけの独白だったものが何倍にも増強される。身体の横で掴んだMVPのトロフィーを強く握りしめた。

「おれが一番信じてるって思ってた。だから、なんかちょっとだけ悔しい気もするけど――天安監督もそうだったんだ。本気で信じて、篤志を自分の手もとに呼び寄せて、手段の限りを尽くして実行に移してくれる人が、篤志のそばにいてくれた。それを心からありがたいと思う」

 いつも湿度の低い浅野の声が妙な熱を帯びて抑揚が強まる。雨の微粒子が色の白い顔を湿らせ、外灯に照らされていつになくぎらついて見える。雨の下で浅野から感電したみたいにぱりぱりした刺激が駆けのぼってきて、弓掛の身体の中もざわめかせる。

「国内で正当に評価されないなら、欧州で認められればいい。日本が――日本だけじゃない。世界中が思い込んでる固定観念を、覆してこいよ」

 驚いた――弓掛以上に浅野が秘めていた反骨心のほうがでかくて。




著者プロフィール

壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】

沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。

閉じる

  • twitter
  • facebook
  • �C���X�^�O����
S