目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
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第二話
鋼 と宝石 -
Intermission
清陰の、あれから - 第三話 王者はいない
- エピローグ スタンド・バイ・ミー
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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エピローグ スタンド・バイ・ミー
4. WE ARE BACK HERE
「あー。山吹さん写真頼まれてる」
そう言って小さく口笛を吹いた亜嵐の目線の先を見ると、女性の二人組が山吹に話しかけていた。高校生くらいの女子と、もう一人はかなり年齢が違うので母親だろうか。山吹がなにかひと言ふた言話して頷くと、二階スタンドの通路からオレンジコートを背景に母娘が交互に山吹の隣に立って片方が写真を撮るということをやりはじめた。
愛敬を振りまくというほどでもない軽い「ニコッ」で山吹が母娘の感謝に応える。それがなにやら相手をよろこばせ、娘が母の腕に腕を絡めて華やいだテンションで去っていった。山吹のあんなよそいきの「ニコッ」を灰島は一度も向けられたことがないので寒気がした。
「すげ、親世代まで……。山吹さんって女の人とつきあった経験豊富なんかな」
その光景に引いた顔をしつつも羨ましそうに言った黒羽に「違う違う」と、豊多可が小馬鹿にした言い方で否定して曰く、
「あの人のアレは“つきあいたい”んじゃなくて“モテたい”だけだからな。だから中身はまあまあアホなんだって」
「実際練習の虫だから、女の子とつきあう暇ないもんね」
と亜嵐が一応フォローを入れた。
山吹が羨ましいらしい黒羽とて注目されていないわけではない。ただ違うのは、遠巻きに向けられる視線のほとんどが会場を行き来する出場校のバレー部員たちのものだという点だった。
「春高でてた人じゃない?」
「動画見たことある。ジャンプ力えぐかった」
「去年の景星の人たちも応援に来てる」
「すご……あそこ有名人ばっか」
そんな声が灰島の耳に聞き取れた。
芸能人でもインフルエンサーでもないが、この会場に限って自分たちは“有名人”のようだ。かつて高校トップレベルで名を馳せ、今日ここに応援や観戦に戻ってきているOBたちに現役の高校バレー部員たちの憧憬や興味やミーハーな視線がちらちらと向けられざわめいている。
「ほんなら冬になってからなんか? ポーランド行くんって」
「そーそー。七さんは行ける条件が揃ってるなら早く行けって言ったんだけど、篤志さんは全カレまででるって言って」
人いきれの中でも頭一つ高いところでなんなく交わされる黒羽と豊多可のやりとりが灰島の注意を引き戻した。
「いいなー。おれも行ってみたい」
亜嵐が脳天気に羨む。
「弓掛さんが第一弾ってことは第二弾もあるんやろ? リベロはけっこう受け入れ先見つかりそうやし、豊多可は行けるんでねぇんか」
「えーでも……英語できねぇし……」
亜嵐が乗り気な一方で豊多可のほうは意外に尻込みするので「なんやー? 豊多可ってほーいう臆病なとこ……ん?」からかおうとした黒羽がふと視線をポケットに落とし「電話鳴ってたわ」とスマホを引っ張りだした。
「もしもーし? なんやって? よう聞こえん。今まわりうるさいで――」
わざとのようにぞんざいな態度で応じる相手は誰だろうか。黒羽が会話から外れると亜嵐が灰島に話を振ってきた。
「チカは? ヨーロッパ挑戦、やっぱ興味ある?」
「当然だろ」
ふんぞり返って即答したが、
「もし行けることになったら大学の大会でないですぐ行く?」
他意がなさそうに亜嵐が重ねた問いには即答できなかった。
――“今度は四年間絶対に離れんなや、って真剣に思ってるよ”
棺野の声が頭の中で再生された。
あれはたしか入学して間もない四月に言われた言葉だったか……。
「どーゆうことや、ヨーロッパって!?」
顔を背けて電話の相手と喋っていた黒羽がそのとき素っ頓狂な声をあげた。電話に噛みつく勢いで怒鳴ったと思ったら「ちょ……まっ……」と口をぱかっとあけてただ顎をかくかくさせ、
「……おまえに怒鳴っても埒あかん。監督とじいちゃんに聞けばいいんやな?」
と最後は諦めたように脱力して電話を切った。
ヨーロッパという単語に耳が反応し、豊多可と亜嵐、そして灰島も三人揃って黒羽に問う視線を向けた。
「なんか……知らんうちにおれ、ヨーロッパ挑戦することになってたんやけど……」
「はあ?」
黒羽自身も当惑した顔で言ったことに三人の裏返った声がハモった。
『なんかごめーん祐仁。わたしもぜんぜんそんなつもりなかったんやけど、ほら、五月の終わりごろ祐仁が言ってたことちょっと話題にしたら、おんちゃんたちの中で祐仁がヨーロッパ挑戦したがってるってことになっててー。ほんでなんか盛りあがってもて勝手に計画進めてたみたいでー……』
旅行会社のヨーロッパ支社に赴任している親戚がちょうどいたので、その親戚を介して現地のコーディネーターを雇って受け入れ先チームを探してあらかた絞り込む段階まで話が進んでから、今日、所属チームの監督である星名に相談の連絡を入れた――。
というのが、絃子からの電話の内容らしかった。
その場で黒羽が星名に電話して事実確認をした。うちの親戚がほんとすんませんすんませんと電話に平謝りし、電話を切ると肩を落として深々と溜め息をついた。
「びっくりしたー……。留学でもさせられるんかと思ったら、来年の春休みに一ヶ月くらいやって」
「それだって普通の感覚じゃ十分びっくりだけど」亜嵐が感心し、
「すげーなボンボンは、自分ちの金と人脈でトントン拍子に海外挑戦決まるって。篤志さんの場合は監督が準備に何年もかけて、クラファンの支援使ってやっとチャンスできたのにさ」豊多可が思ったことをそのまま口にだす。
「苦笑いしてたわ、監督。大学入ってからはおとなしくしてたと思ったんに……なんでうちのおんちゃんらは先走るし、なにやるんも大袈裟なんやー! あーっもう、恥かいたわ! 監督は夏解散あけてからでいいって言ってたけど、明日話しに行ってくるわ」
「え? 断んのか? 嫌味じゃねえって、ごめん」
と豊多可が慌てるのを聞いてとっさに灰島は口を挟んだ。
「おまえまさか弓掛に後ろめたいなんて理由で断る気かよ」
「うーん……いや、行ってみようかな、と」
「あ? 行くのかよ」
黒羽の答えが意外だったのでまたとっさに言ってしまい、「けしかけてるのか行かせたくないのか、チカはどっちなんだよ」豊多可に突っ込まれた。
「今から断ったら動いてくれた人たちに迷惑かかるやろ。ほやし……どーやったらもっと強くなれるんか、方法がわからんかったけど……海外なんかで揉まれたらなんかしら掴めるかもしれんし。そりゃ自分で苦労したわけやないし、お膳立てしてもらっただけやけど……ほーゆう境遇含めて、おれは“そのまま真っ直ぐ”、でかくなればいいんやろ?」
以前三村に言われたことを引用し、片方の犬歯をちらっと覗かせて黒羽が照れ笑いした。灰島に言わせればいつもちょっと頼りなくてもどかしくなる顔で――三村や弓掛や、同世代のライバルたちからするときっと、底の知れない脅威を感じさせられる顔で。
「ほーゆうことやろ? まだなんか不満あるんか?」
灰島のリアクションがないので黒羽が首をかしげた。
「ないけど……」
黒羽の決意になにも不満はない。灰島を満足させる会心の返答だった。
とはいえど。
「先越されるとは思わなかった。おれだって行きたい」
という点には釈然とせずぶすくれる灰島だった。
さっき亜嵐に訊かれて自分は躊躇したのに、おまえはあっさり決めやがって。なんかわかんないけど、むかつく。
「あ、Cコートも終わったみたいだよ」
亜嵐が額に手をかざして真下のAコートとは二つ離れたコートを眺める仕草をした。
「ほんとや。景星見てから移動しようと思ってたけど、かぶってもたなあ……灰島、おまえどうする?」
同じ方向を眺めた黒羽に訊かれて灰島は「え? あ……」と離れた二つのコートに交互に視線をやった。
Aコートでは景星学園の選手たちがもう公式練習をはじめている。チャコールグレーにイエローの斜線が入ったユニフォームは灰島も二年間身に着けたものだ。Cコートのほうは試合を終えた二校が引きあげるところだ。次に行われる試合に向けて二階スタンドの応援団優先席の入れ替えが進んでいる。
「いいから祐仁と一緒に行けよ」
助け船をだすように豊多可がCコートのほうへ顎をしゃくった。母校の応援団優先席に鼻高に目配せし、
「こっちの応援は厚いから気にすんな。それにこんな序盤じゃ負けねーから。今日じゃなくても、応援はセンターコート行ってからできる」
「お、言ったなあ? うちかって負けんぞ」
黒羽が小鼻を膨らませて対抗し、「灰島、行こっせ」と促した。通知が届いているスマホを振ってみせて「大隈先輩からもちょうど催促来たわ」
全校応援で溢れるほどに埋まった景星の応援団優先席に比べると、移動してきたその応援団優先席はあきらかに閑古鳥が鳴いていた。すいているので一般の観戦客や他の出場校の部員たちも後ろのほうに座っていく。前方の数列だけに保護者中心の小規模な応援団が入ったところだ。耳に馴染みのあるイントネーションで年配者たちががやがやと話す声が聞こえてきた。
スタンド応援の音頭を取る部員もいない。今年の部員数は十三名らしいので、インターハイでベンチ入りできる十二名にマネージャー格の一人を入れて全員がコートフロアにおりているはずだ。現役部員のかわりにメガホンを持って最前列に並んでいるのは、私服姿のOBたち――
「遅ぇぞーおめぇらー。どこで油売ってたんじゃー」
座席の脇の階段を駆けおりていった灰島たちに一番端にいた大隈が気づき、メガホンを振りあげてがなった。
「お疲れ、二人」と大隈の向こうで棺野がメガホンを軽く掲げた。「灰島も一緒か。景星もはじまるみたいやけど」
「あったりまえやろ! こっちの応援来んのが筋やろ」
大隈が鼻息を荒くし、棺野が面倒くさいやろと言いたげに肩をすくめてこっちにウインクする。棺野の向こう隣にいる二人が一瞬誰だかわからなかった。二人が振り向いたとき、懐かしい顔に灰島は驚いた。
「内村先輩と外尾先輩!」
黒羽も声を高くして二人の名を呼んだ。
「ひさしぶりやなー」
と爽やかな笑みを見せた外尾は男気が増したような印象で、
「へへ。来てもた」
とふんわり笑った内村はなんだか洒落たパーマヘアになっている。
「福井で同期会やろうって言ってたんやけど、話してるうちにこっちで集まって、ついでに応援行こうってことになったんや」
「末森さんもこっち向かってるしなあ、棺野?」
説明する棺野を大隈が肘で小突いて冷やかす。「二人でTDLでもしけ込んできていいんやぞ?」にやにやする大隈の尻を棺野のメガホンがはたいて黙らせた。
「おいおい、応援のほうがついでか?」
そんな同学年四人のさらに向こう隣に隠れていた小柄な人物が苦笑まじりに言ったので、灰島はまた驚かされた。
「小田さん、なんで――」
その向こうから、小田よりちょうど頭ひとつぶん背の高い人物がシニカルな仕草でメガホンをひらひら振った。
「昨日思いたってな、大阪から二人で夜行バス取って今朝着いたわ。ひと晩バス乗ってたら身体バッキバキや。小田と違ってやっぱ運動不足やな」
「おれはいいけど青木にはバスの座席は狭いでやろ」
首を倒して鳴らしてみせる青木に小田が笑う。二人と実際に会うのは三月以来になる。小田はウエイトトレーニングにハマっているという近況を聞いていたとおりまたすこし身体の厚みが増したように見えた。
「真ん中入れ、真ん中。ほら、これ持って」
と灰島は黒羽とともに列の中に押しこまれて二年と三年のあいだに挟まれ――いや、この六人が二年と三年だったのは三年前だ。時間感覚が混乱してぼうっとしたまま青いプラスチックのメガホンを手に持たされた。
“あの年”の八人――清陰高校が全国大会初出場を果たした年、ともにコートに立った八人が揃い、オレンジコートを目の前に見下ろすスタンドに並んだ。
「下に集まってきたな。もうすぐや」
隣で小田が手すりから身を乗りだして下を覗き込んだ。三年も歳を重ねたのに、きらきらと輝く小田の瞳は現役の高校時代、初めて「2.43」のネットが張られたオレンジコートに立った日と変わっていない。その横顔が眩しくて灰島はつい目を細める。
かつて高校生だったバレーボーラーに共通する、ここは特別な場所だった。
自分たちの学校の体育館で汗を流してボールを打ち、繋ぎ、ときに仲間と噛みあわず衝突し、けれど県予選では抱きあってよろこび、あるいは敗退に涙して肩を寄せあい、届いた者も、届かなかった多くの者も、みんながこの場所に夢を馳せた。
卒業し、今は進む道が分かれても、顧みればいつでも――いつまでも、原風景がここにある。
「おっ、でてきたぞ! せーーーいん! せーーーいん!」
大隈がメガホンをハリセンみたいに使って音頭を取り、後列の保護者の応援を煽る。小田や棺野たち、黒羽もメガホンを口にあてて声を揃える。
ミカサのボールが積まれたボール籠を先頭に押しだして、選手たちが威勢のいい声とともに防球フェンスを越えて駆けだしてきた。
黒地にブルーのラインが入った懐かしいユニフォームがいくつも目に飛び込んできたとき、灰島はその中に、いるはずのない二人がまざっているのを見た気がした。
“はやくしろよ、黒羽”
“コートは逃げんって、灰島ぁ”
連れだって駆けていく7番と8番の背中が一瞬見えて、オレンジコートに溢れる光の中へと溶けていった。
【2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years ―完―】
(2023年夏単行本化予定です。最新情報は「2.43 清陰高校男子バレー部ポータルサイト」、集英社文芸ステーション、集英社文芸書Twitterなどでお知らせします)
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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