目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
-
第二話
鋼 と宝石- 1. COLORFUL RELATION
- 2. TAKE ON THE MISSION
- 3. CITIZEN AMONG MONSTERS
- 4. REMOTENESS
- 5. HOWL OF SORROW
- 6. MASTER AND SERVANT
- 7. FIRED
- 8. TIPSY ALONE TOGETHER
- 9. STEEL VERSUS JEWEL
- 10. FAIR AND AGGRESSIVE
- 11. BREATHLESS
- 12. SAVAGE PLAYMAKER
- 13. SHARP TONGUE AND RIGHTEOUS
- 14. BIG SERVERS
- 15. MACHINE’S OVERLOAD
- 16. COMMON KING
- 17. EUPHORIA
- 18. WILD-GOOSE CHASER
-
Intermission
清陰の、あれから - 第三話 王者はいない
- エピローグ スタンド・バイ・ミー
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
-
沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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第二話
3. CITIZEN AMONG MONSTERS
甲子園球児みたいな奴だな。
というのが、
いや実際の甲子園球児は知らないので甲子園球児という記号が持つ勝手なイメージでしかないが──くそ真面目で堅物。対外的には品行方正で謙虚な優等生。その実プライドが高くてエゴが強い。
まあエゴとプライドが人より抜きんでているから高校野球というカテゴリのトップに居続けられるのかもしれない。
破魔も高校バレーというカテゴリのトップに居続けていた奴だ。
将来Vリーガーになるんだろうなという飛び抜けたレベルの選手は県大会に何人かはいるものだった。綺麗事では差を埋められない絶対的ななにか──“素質”としか言いようがないものが現実にはたしかに存在している。その“素質”を持つ奴らが一般人以上に並々ならぬ努力をしてすら、日本代表に選出されるようなトップクラスのVリーガーになれるのは、その中のごくひと握りだ。
ところが関東学連一部にはその“ごくひと握り”になりうる才能が
各県に一人いるだけで化け物扱いされるようなレベルの奴らが集まって、化け物オブ化け物を競っているような世界、それが関東一部なのだった。
その関東一部に属する国立八重洲大学は全日本インカレ優勝回数最多。日本の大学の最高峰といえるチームだ。二部に落ちたことは一度もない。
ばりばりの体育会系部活動出身ではないという違い以前に、知識のなさにおいて自分が浮いていることを自覚した。
スタートラインが違うという堅持の言葉どおり、フィジカル、テクニック、知識のすべてでチームのレベルに追いつくまでが第一段階だった。そうこうしていると堅持の見込みが一つ外れて、想定より一年早い大学二年の終わり、破魔・
栄誉ではあるが、大学にとっては予定外の戦力の欠落だ。大学の大会スケジュールは国際大会のスケジュールを考慮していない。主要な大会で主力を三人も代表に引き抜かれるという状況が発生する。
太明に課されたミッションも一年早まって三年の春から発動した。
だが出場機会が少なかった春季リーグでは存在感を示せたとは言えず、チーム内での扱いもまだ変わらなかった。
六月下旬、東日本インカレ開幕を控えた夜、寮での最終ミーティングで一回戦のエントリーメンバーと予定スタメンが発表された。
一回戦は関東二部チーム。一部にとってはBチームに経験を積ませる相手というのもあるとはいえ、スタメンに初めて自分の名前が入った。
おし、と太明は内心でガッツポーズした。
「明日は第二試合だから八時出発。七時四十五分にバスに集合厳守。部車組は六時半に先発。あとスタメンは予定だからな。監督が当日変えるかもしれないからエントリーメンバーは全員準備しとくように。──太明。おれの対角を頼む」
と主将の
原則としてコートに二人入るウイングスパイカーの仕事は無論スパイクで点を取ることだが、もう一つの仕事にリベロとともに三枚でフォーメーションを組むレセプション(サーブレシーブ)がある。得点力のあるウイングスパイカーでもサーブで狙われてレセプションをあげられないと交代することも往々にしてあるので、レセプション力はスパイク力と同等に重要だ。レセプション力の高いウイングスパイカーがいると味方の攻撃も安定する。
一七七センチは普通に日本の街を歩いていれば十分に長身の部類だが、バレー選手としてはいかんせん上背がない。でかい奴が揃う八重洲の中で自分が必要性を見いだされるには守備固めのウイングスパイカーになるしかないと割り切って目標に据えてきた。
東日本インカレ一回戦、二回戦とフル出場でき、迎えた最大の難所、三回戦。
春季リーグで初優勝を果たして勢いづく慧明大に主力を欠いて臨む試合で、太明個人としては初めて“九州の弩弓”弓掛篤志と対戦した。
サイズは同じ一七〇台半ば。それどころか弓掛のほうが太明より二センチ小さく、学年は一つ下だ。二年の浅野
ライトプレーヤーのオポジットとレフトプレーヤーのウイングスパイカーはネットを挟んでマッチアップするポジションだ。両チームベンチからコートインし、弓掛と向かいあった。
茶色味が強い虹彩に囲まれた瞳孔がはっきり見える瞳と相対したとき、ヒトやサルの仲間とは違う動物、鳥類とか爬虫類とかの瞳を覗き込んだような異質さを感じ、ウォーミングアップで汗が滲んだ背中が薄ら寒くなった。八重洲コート全体を視野に収めて見開かれた瞳が、主力を欠く八重洲をまるごと食らわんがごとく
瞳の印象の強さに加え、まばたきの少なさが異質に感じた原因だと気づいた。
異様に長い間隔で瞼がまばたき、もとの大きさに見開かれる。
サイズは人間サイズだが、まるで獲物を捕食する小さい肉食恐竜だ。
こいつも化け物かよ……。
ていうかターミネーターがいて恐竜がいて、関東一部はハリウッドか。こんな化け物どもの中にまじって戦う
スクリーンの端っこで簡単に撃ち殺されたり食い殺されたりするエキストラみたいなもんだよな……絶望感に襲われながら、それでも生き延びるすべを探して必死で抗っているようなものだ。
東日本インカレは三回戦で敗退し、勝ち残れば試合があった土日がオフになった。
急にオフになっても予定も入っていなかったので遅めの午前中に起床した。考えることはみな同じなのかバレー部員の部屋が並ぶ階はまだ寝静まっていた。昨日の三回戦敗退の失意から未だ立ちなおれていない沈んだ空気が廊下に漂っている。
八重洲大学スポーツ科学群スポーツ科学類の学生は特別な事情がない限り入学後一年間は大学の敷地内に建っている体育寮に住むことになっている。二年生になったら寮をでていいのだが、キャンパスが通学に不便な茨城県の
ちなみに八重洲大学の起源を遡ると江戸時代、オランダ人に
今どき畳の和室での共同生活だ。「よく言えば毎日修学旅行」、「悪く言えば刑務所」、「外観は廃病院」などと実際に住んだことがある学生からは言いたい放題だったが、学内に住めるという唯一の利便性からなんだかんだ愛されている。
部屋は四人部屋で、バレー部では人数の余りがでない限りにおいて一年と三年、二年と四年の組みあわせで部屋割りをしている。創部以来の試行錯誤の結果、隔学年で組むのがトラブルがもっとも少なかったらしい。
新一年生は入寮すると二人組で三年生二人の部屋に組み入れられる。二年間は原則として部屋替えは認められない。三年になるときに同期の協議でペアを変えることができる。そして三年が新一年生を二人選んで自分たちの部屋に組み入れる──
廊下の洗面台の前に先に起きていた
「おはよー」
カミソリで髭を剃っていた裕木が横目でこっちを見て「おー。おはよ。昨日はお疲れ」
太明も裕木の隣に立ち、気が抜けたあくびを漏らして歯ブラシに歯磨き粉を絞りだす。壁に貼られた鏡に映る自分を見るとトーンの高いアッシュブラウンに染めていた髪の根元がだいぶ伸びていた。大学生協でカラー剤を買ってきて自分で染めているのだが、ここのところ暇がなくて買いそびれたままになっていたのだ。
今日やるか。オフの予定が一つできた。
「あとでカラー買い行こ。裕木、なんかいるもんある?」
キャンパスがばかでかいのでキャンパス内を移動するためのバレー部共有のチャリンコがある。生協に買い物に行く者がまわりの部員に御用聞きをしてまとめて済ますのも日常茶飯だ。
「はあ?」
と、首を傾けて顎まわりにT字カミソリをあてていた裕木がその角度のままぎろりと目を剥いた。怖いって。
「おまっ、また染めんの!? せっかく伸びかけてんのにっ」
「いやでも、みっともねえし」
「みっともねえと思うならこのまま黒にしろよ。黒くしたらおまえの秋リーグ用の写真撮りなおすから」
リーグ戦の大会プログラムに掲載される選手プロフィールの写真を撮っているのが今年学連委員をやっている裕木だ。
「おれだけ撮りなおさなくても、春のやつ気に入ってるしあれでいいじゃん。裕木が撮ると写真写りいいし」
「よくねんだよっ! おれが撮りなおしたいんだよっ! 人の気も知らねえでもおっ、ばかばかーっ!」
「カミソリ持ってヒス起こすなって。怖えよ」
太明の茶髪をほとんどの部員はよくも悪くも見て見ぬふりをしていた。直接言及してきたのは入学直後の破魔くらいだが、そのときの太明の返しが気に障ったようで、それもその一回きりだった。
そんな中で何度も口酸っぱく苦言を言ってくるのが裕木だった。茶髪っていうだけで評価が下がるのが現実なんだからわざわざ不利になることをするなと。裕木が選手ではない立場だからというのもあるだろう。選手間であれば茶髪を理由に別の選手を
「──はい。ほしたらお疲れさんでした。おやすみなさい」
と、すこし離れた部屋のドアがあく音がし、姿を見せた部員が中に一礼してドアを閉めた。
八重洲の部員の中では特に小柄な一年生だ。名簿上では部員四十一名の中で41番を振られているが、ナンバーがついたユニフォームは持っていない。
八重洲大学は国立ながらスポーツ推薦枠があり、強豪であるバレー部は枠を多めに持っている。しかしこの一年生は一般入試だと聞いた。一浪とのことなので年齢的には太明の学年と一つ違いだ。入部すると自動的に四年生の
閉めたのはその和久の部屋のドアだった。和久は例外的に一人部屋に住んでいる。今年は部員数に端数がでたのもあるが、同室になった経験がある部員から「生活パターンが選手と違いすぎる」「あいつ二十四時間寝てない」といった苦情がでたのも理由らしい。
「越智」
水道の前から声をかけると、越智が慌てたようにあくびをしかけた口を閉じて振り返った。
「あ、お疲れさんです」
「いや、こっちはたっぷり寝て起きたとこだけど。もしかして徹夜?」
「ああ、はい。和久さんと一回戦から三回戦のデータの分析とかビデオ見直してポイント探したりとか」
「うへえ。昨日帰ってきてからずっと?」
午前中もずいぶんまわった時間だが、越智は昨日試合会場から帰陣したまま着たきり雀と思しきチームポロシャツ姿で髪もぼさぼさである。ノートパソコンと軽くまとめた電源コードを小脇に挟んでいた。
思い返せば和久も越智もみんなで帰ってきたバスには乗っていなかったのではないか。自チームの敗退後も残って他の試合のビデオを撮っていたのだろう。
和久は四年のアナリスト。越智は今のところその助手だ。
「データの変態につきあわされんのもたいへんだなあ」
裕木が和久をそう称して越智の労をねぎらった。
「いや、ひっで勉強になります。和久さんとことんやる人なんで。こんな細かい数字まで時間費やしてだす意味あるんかって思っても、そこから有意なポイント見つかることもほんとにあったりして」
出身は福井だそうで柔らかい抑揚の
「ゆっくり寝ろよー」
「はい。失礼します」
一礼して自室のほうへ歩きだしたが、
「あのぉ、太明さん」
となにか思いだしたように越智が足をとめた。「あ」にアクセントがあり、「のぉ」で下がって語尾が伸びるのが越智の訛りの特徴だ。
「高梁さんが秋リーグも太明さんスタメンに推すって言ってたんで、頑張ってください」
「ん? うん、ありがと」
もう一度軽く頭を下げて背を向けてからこらえられなくなったように大きなあくびをし、ふらふらと遠ざかっていった。
「なんで太明、急に最近主将に買われてんの? 賄賂でも贈ったのか?」
「知らんがな」
裕木に疑惑の目を向けられて半眼を返したとき、ぎい、と越智が今しがたでてきた部屋のドアが再びあいた。
「太明が対角に入ってるときの高梁の効果率がいいんだよ。値自体はちょっといいってくらいだけど、対角が誰かではっきり傾向がでてる」
苔むしたような無精髭を生やした
「おれにあがる本数が少ないから対角の打数が増えるだけじゃないんですか?」
「アタック効果率は打数の多寡とはぜんぜん別の基準よ。決定率は単純に決定本数を打数で割った数字だけど、効果率はそれに被ブロック数とスパイクミスも加味して算出する。まあ破魔神馬大苑入ってる試合はレセプの精度もあんま関係なく全体的に数字あがるんだけど、それはあいつらの強さが圧倒的だから。その試合抜かした春からのデータでは、太明がレセプに入ってると高梁の効果率がいい。ミスや被ブロックが少ないってことね」
「へえ……アナリストってそんな細かい数字もだすんですね」
和久と個別に話したことは今までほとんどなかったので、試合や練習時のビデオ撮影やミーティングでの情報提供といった目に見えてわかる仕事以外でアナリストが具体的にどんなことをやっているのかは特に考えたことがなかった。
「これね、見つけたのは越智なんだよ。練習で春からBチームのデータ取らしてて越智はBチームをよく見てたから。太明が起用されるようになってからの違いになんとなくピンと来て、試しに数字切りだしてみたらはっきりでた。ちっちゃいデータだけどね。そっから映像と紐づけて見えてきたのは、太明がワンをしっかり引き受けてるぶん高梁が余裕もって入って工夫して打ててる、ってこと」
「へえー」
とつい声が高くなった。
コートの上でその瞬間に目に見えるプレーではなく、データで評価が変わるっていうことがあるのか。
一つ一つではなにかが見いだせるわけではない極小の数字がアナリストによって抽出されたり結びつけられたりすることで、意味のある数字が見いだされるのだ。
東日本インカレ前に高梁にわざわざ名指しで対角での働きを期待されたのにはそんな背景があったのかと、思い返して腑に落ちた。
「本人見るより数字見たほうが色眼鏡抜きで評価があらたまったってことだろ。見た目のせいだよ見た目の」
「褒められてんだからいい気分にさせといてよー」裕木の冷たい突っ込みに太明は鼻白んで、「和久さん、あとで越智借りて勉強会していいすか?」
和久がにやりとした。
「選手からデータやビデオに興味持ってもらえるのはアナリストの
とぬらりと手を振って引っ込んだ。
「裕木も来るだろ、勉強会」
「カラー買いに行くのやめるなら行く」
「なんでそこ交換条件なんだよ。関係なくね?」
「せっかく信用されてきたのを台無しにすんなっつってんの!」
「わかったわかった。じゃあやめるから、カミソリ向けるのやめようって」
T字カミソリを突きつけて喚く裕木をどうどうと手振りでなだめたが裕木がますます目を吊りあげ、
「へらへらすんな! そーやって毎回のらくらはぐらかしやがって! 何百回言わせれば……今なんて言った?」
「うん。しばらく黒くしとくよ」
裕木が口をぱかっとあけた。
「はあー? 今さらあっさり主義変えるくらいなら最初から言うこと聞けよっ!」
と、それはそれで不服そうに顔を赤くして怒りだした。そっちが黒にしろ黒にしろって耳タコなくらい言ってたくせになんなんだ。
「もとから主義なんかないって。たかだか茶髪に」
破魔にも昔主義を訊かれたなと思いだした。たいそうなこだわりがあって然るべきと思われているようだが、高校時代の環境が茶髪を普通に許容していたからという、本当にそれだけでしかない。
「信用されなきゃはじまらないってことだろ。信用得るためだったら髪の色なんか何色でもいいよ」
フィジカルの鍛錬も、テクニックの
日曜の夜に越智に来てもらい、東日本インカレ三回戦までの試合映像やデータを見ながら勉強会をしているとき、破魔がオーストラリア土産のカンガルージャーキーを持って訪ねてきた。破魔が太明の部屋の前に立ったのは初めてだった。入学当初のファーストインパクト以来まあどう考えてもこっちを嫌っていた破魔との距離を縮める光明を太明が掴んだのがこの日だった。
三年生の初夏、一つ一つの小さな積み重ねが結びついて、手応えを感じはじめた。
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
-
沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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