目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
-
第二話
鋼 と宝石- 1. COLORFUL RELATION
- 2. TAKE ON THE MISSION
- 3. CITIZEN AMONG MONSTERS
- 4. REMOTENESS
- 5. HOWL OF SORROW
- 6. MASTER AND SERVANT
- 7. FIRED
- 8. TIPSY ALONE TOGETHER
- 9. STEEL VERSUS JEWEL
- 10. FAIR AND AGGRESSIVE
- 11. BREATHLESS
- 12. SAVAGE PLAYMAKER
- 13. SHARP TONGUE AND RIGHTEOUS
- 14. BIG SERVERS
- 15. MACHINE’S OVERLOAD
- 16. COMMON KING
- 17. EUPHORIA
- 18. WILD-GOOSE CHASER
-
Intermission
清陰の、あれから - 第三話 王者はいない
- エピローグ スタンド・バイ・ミー
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
-
沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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第二話
2. TAKE ON THE MISSION
三年生の六月。
八重洲は金曜日の三回戦で慧明に敗れてベスト16にとどまり、土日に駒を進めることなく会場を去っていた。
ベスト8の中から下馬評どおり慧明が優勝し、初の東日本タイトルを手にするとともに春に続いて二タイトル目を獲った。
「破魔、神馬、大苑戻りました。迷惑をかけました」
夜、成田空港から茨城の大学寮に帰り着くなり土産を携えて主将の部屋に帰寮を報告した。
主将は神馬の対角のウイングスパイカーを担う四年の
「いや。こっちこそ不甲斐ない結果に終わって申し訳ない」
部屋の戸口で応対した高梁が謝罪して頭を下げた。
「自分たちが不在だったせいなので」
破魔は直立したまま高梁の脳天を見下ろして言った。謝罪自体を拒否はしなかった。チームの不甲斐なさも単に事実なので否定しなかった。
春季リーグでも代表の合宿日程が終了するなり合宿先の九州からとんぼ返りして大学の試合に合流したが、その時点でもう優勝は望めない黒星を重ねていた。自分たちが戻ったときにはいかんともしがたい状況になっていたことにどうしても不満は持っていた。
三人で手分けして他の部屋にも挨拶しつつ土産を配ってまわった。三年が不在の部屋が多いのを不思議に思いつつ最後になった部屋の前に立つと、ドアの向こうに感じる人口密度があきらかに高かった。
この部屋の部屋長は
東日本インカレの結果を鑑みると失意に沈んでいてもおかしくなかったが、意外なほど活発な声が飛び交っていた。
ひととき声が途切れたタイミングで破魔がドアをノックすると、
「あいよー」
という声が聞こえてドアをあけたのは上下スウェットの部屋着姿の太明だった。戸口に立った破魔の顔を見るなり「おっ」と目を丸くしたが、
「お疲れー。今日帰国か。オーストラリアだっけ」
とすぐに笑顔でねぎらいをよこした。破魔のほうは反応に迷った末にたぶん岩のような顔になった。
春季リーグから太明は神馬の代打のウイングスパイカーに起用されるようになっていた。無論神馬に比べるとサイドの高さががくんと落ち、スパイク力・ブロック力も遠く及ばない。
みんなここにいたのか……。太明の頭越しに中に目をやると同期のほとんど全員が畳の部屋に集まっていた。
それから細い一年生が一人、恐縮した居ずまいで三年に囲まれて座卓についていた。一瞬ぎょっとしたがリンチを受けていたふうではない。
アナリストとして今年入ってきた越智だ。今は四年のチーフアナリストの補佐をしている。
「土産。部屋のみんなに」
滞在したホテルの近くのスーパーマーケットのレジ袋を言葉少なに差しだした。
「文節短くね? 日本語忘れて帰ってきてないか? 大丈夫か?」
言いながら太明が物珍しげにその場でレジ袋の中を覗き込み、食品の大袋をがさがさとだした。「おー。なんか袋がすげー外国産っぽい。この絵カンガルーか。なんかすげーオーストラリアっぽい」
ぺらぺらと軽薄によく喋る男だと破魔はちょっと閉口し、
「カンガルージャーキー。他の部屋にはもう置いてきた」
部屋の中の連中にも言ったとき、視界の下端に入った太明の頭の色が二層になっていることに気づいた。一年生の頃から懲りもせず明るい茶色に染めている頭髪の根元が数センチ黒くなっていた。
「越智におとといの慧明戦の映像とデータ見せてもらって復習してたとこ」
と太明が二色の頭を巡らせて部屋を振り返った。座卓の上でノートパソコンを開いた越智が恐縮しつつ、出身地の
「おれもまだ見習いですけど、説明するんは自分の勉強にもなるんで……」
福井と長野とはバレーボールの大会の分類では同じ北信越ブロックだ。男子マネージャーだったらしい越智の印象は破魔の中には残っていなかったが、
「まざってかないか?」
太明に誘われて答えに迷ったが、
「いや。まだ荷物が片づいてない」
とっさに断る言葉が口をついてでた。
「そっか。破魔にも見てもらって意見聞きたかったけど、帰ってきたばっかりだしな。わざわざ土産さんきゅー。ゆっくり寝ろよー」
「いや……短時間なら」
さほど疲れて帰ってきたわけではないし、意見を聞きたいというなら力になれることがあるだろう。
「太明。映像でたって」
前言を翻そうとしたが、ちょうど部屋の中から
「おっでた? 見して見して」
カンガルージャーキーが入った袋を提げて太明は中へ戻っていった。裕木が自分と越智のあいだに太明を入れる。同期が太明を囲んでノートパソコンを覗き込む。破魔が知らないうちにそうすることが当たり前になったかのように、同期の中心に太明がいた。
強豪国立大バレー部に入ってくるような連中の中で毛色の違う太明は最初の頃は同期からあきらかに浮いていた。はっきり嫌悪を示す者は多数派ではなかったが、裕木なんかは何度も太明の髪の色に苦言を言っていたのを破魔は聞いている。
「このへんの映像が特にわかりやすいです。慧明はサイドが強いんで、左右に意識引っ張られてスプレッドしてきてます」
「あーなるほど。しかもここのおれ完全にゲスってんな」
少々白けた気分で破魔は戸口に突っ立って活発なやりとりを眺めていたが、黙って部屋をあとにした。
“キーパーやらないなら入れてあげない”
ふいに脳裏に蘇ったのは子どもの頃の誰かの声だった。
*
東日本インカレ後のオフを挟んで週明け火曜から練習が再開した。破魔としては約十日ぶりに大学体育館での練習に参加することになった。
「今日からこのチーム分けでやります。とりあえず夏解散まで。八月以降はバランス見てまた変えるけど、なるべくこのままで行きたいつもり」
高梁がホワイトボードに書きだしたチーム分けは破魔を絶句させるものだった。
Aチームがいわゆる主力。公式戦で基本的にスタメンを構成するメンバーだ。Aチームには東日本インカレでスタメンとなった面々の名前があり、破魔、神馬、大苑の三人の名前はBチームに振り分けられていた。
壁際に下がってミーティングを見ているだけの堅持に破魔は目をやった。最終目的の全日本インカレで完成させたいチームの形に向けて四年生で練習内容を立案し、堅持に了承をもらうのが八重洲のやり方だ。つまり堅持も同意済みなのだ。
九月にはじまる秋季リーグも試合がある週末に限って代表のスケジュールと重なっている。破魔たちが参戦できるのは春と同じく九戦目から、終盤の三戦のみになる予定だ。そして秋季リーグの組みあわせでは、合流直前の七、八戦目にもっとも苦しい二連戦を迎える。春季リーグ二位の楠見、そして一位の慧明。春は慧明戦が十戦目だったので合流が間にあったが、八重洲が順位を下げたため秋は対戦日が早くなるのだ。
「秋リーグも半分以上いないから自分たちはBチームに降格されたということですか」
たまらず破魔が発言するとホワイトボードの脇で高梁が首を振った。
「そうじゃない。破魔、神馬、大苑にはAチームの練習のサポートをしてもらいたい」
「は? サポートって」
「おれたちにサポートメンバーにまわれってことですか」
神馬、大苑も不満げに破魔に続いて口を開いた。
「大学ナンバーワンで日本代表のミドルに練習相手になって欲しいんだよ」
答える声は、高梁と向きあって集まっている部員たちの中からあがった。身長では集団に埋もれているのに髪の色でその部員の姿は容易に識別できた──太明。
反感がこもった三人の目を太明が臆さず受けとめ、破魔、神馬、大苑、一人ずつと目をあわせた。
「──それと、日本代表ウイングと日本代表オポに。秋リーグ、九戦目まで絶対に優勝の可能性は消さない。おまえら三人が留守のあいだ優勝圏内の白星は死守する。そのために力になって欲しい」
同期の三年だけでなく、以前は太明を歯牙にもかけなかった四年生まで全員が決意に満ちた顔で太明の言葉に頷いた。
──どんな魔法を使ったんだ。
同期の中のみならず、いつの間にかチームの中心に太明が食い込んで、チームの心が一つにまとまりつつあった。
根元が黒くなりはじめた頭は今までと比べたら格段に部内に同化し、まるで擬態するみたいに不自然なくみんなに受け入れられていた。
八重洲に入学した頃、部内で耳にした話があった。
北辰高校から入学予定だった自分や神馬、大苑が在学中に日本代表に招集されることを堅持は予見していた。主力が不在になる期間を想定し、その留守中にチームをまとめる柱になれる人材を探して堅持は地方の県予選にまで足を運んでいたらしい。
その話と太明を部内で
堅持が探していた人材こそが、太明だったということなのか──?
*
大会の来賓の誰だかが髪を染めている選手がいるのに目をとめ、高校生バレーボーラーがうんたらかんたらと苦言を呈している、というのが、太明が聞いた話の端緒だった。ただ大会本部から戻ってきた
「一応注意されただけだからー」
さゆちゃんの言い方がこんな感じだったせいもある。なにかペナルティがあるほどのものだとは思っていなかった。
自校の試合時間を待つあいだにさゆちゃんが再度本部から呼びだしを食らった。
一つ前の試合がはじまり、そろそろ自分たちも準備にかかった頃、さっきと様子が違う顔色で駆け戻ってきたさゆちゃんがまくしたてた話によると──。
「はあー? 試合できないって……」
チームの出場を認められないとかいう事態にいつの間にか悪化していた。
絶対どっかの段階で話をこじらせた奴がいるだろと太明は確信した。発端の来賓の誰だかに出場を停止する権限があるはずがないのだ。
「えー、どうすんの先生」
困惑顔の部員たちに問われてさゆちゃんも「どーしよー」と泣きそうな顔で頭を抱えた。
「どうすればいいー?」
「しっかりしてよ先生ー」
愛知県立橋田高校。可もなければ不可もない県立高だ。顧問もバレーボールの指導者というわけではないどころか部活を受け持つのもこの部が初めてという新任三年目の教諭だった。世代差を感じないので部員からは親しまれていたが、頼りにはならない。
男子バレー部も可もなければ不可もないレベルのうえ支部の学校数も多い地区にあったが、太明が三年の年には春高バレーの支部予選を突破して愛知県大会に出場を果たした。
「おれのことだしおれが釈明しに行くよ。誰んとこ行けばいいの」
「わたしもわかんないよー。たぶんもう来賓のじじいとか関係ないんだよ。なんかもう誰が言い張ってるのか誰もちゃんと把握してないのに誰かがインターセプトしてるんだよっ。ていうかさ、今どき茶髪くらいでねちねち言うとか馬鹿じゃねーの!? 地毛の子だっているんだよっ。老害がうぜーんだよっ」
「さゆちゃん、どーどー。先生なんだからさ仮にも……」
逆ギレして鼻息が荒くなってきたさゆちゃんをどっちが顧問だかわからんと思いながら太明はなだめる。さゆちゃん自身地毛が茶色味がかっているのでなにか腹立たしい経験が蘇ったのだろう。
「どーする、
チームメイトの視線が太明に集まった。校則で染髪が禁止されていないので橋田高校の生徒は運動部でも茶髪は珍しくなく(野球部はさすがに短髪だったが)、バレー部員にも髪を染めている者は何人もいた。ただ、まわりの部員のほんのりした栗色が相対的に黒に見えるくらいに太明の髪は飛び抜けて明るかった。夏休み中にはっちゃけて特に明るいアッシュブラウンにトーンをあげ、二学期もそれで過ごしていたのだ。
「いや、不戦敗にはさせねーよ。そこまで言われんなら別におれ今から黒染めしてもいいんだし。でも時間なくなっちまったよな……」
カラー剤を買ってきて染髪している時間も場所も今からでは確保できないだろう。最初に聞いた段階でこの事態が予測できていればまだ時間はあったかもしれないが。
「カミソリ持ってきてる奴いるよな? 電気シェーバーあったらそれが一番いいや」
高三にもなると夕方には口まわりがうっすら青ずんでくるチームメイトもいるのである。「あるけど……倫也、まじで?」電気シェーバーを持っていたチームメイトが意図を察して信じがたい顔をしつつ提供してきた。
「さゆちゃん、頼める? 自分で前髪とか切るよね女子。ハサミで大雑把に短くしてから剃っちゃって」
「えっ、待って待って、やめなよ倫也! 台無しだよ! 坊主はわたしが嫌!」
「野球部泣いちゃうからそんなこと言わないでね……。大丈夫だよこれくらい。髪すぐ伸びるし」
ミニチュアダックスフントみたいで可愛い、と夏休みあけにさゆちゃんに言われた髪を太明はつまんでみせ──ミニチュアダックスフントにもいろんな毛色があると思うのでさゆちゃんの頭の中にどんな犬がいたのかわからないが──あっけらかんと言った。
コートに現れた橋田高の選手の中にスキンヘッドに近い坊主頭が一人いるのはすぐに会場の目を引いた。あれ太明倫也かよ? どうしたんだ?──などとスタンドや相手チームがざわついた。県内で顔をあわせる面子の中では太明の茶髪はもともと有名だ。
「お。相手ビビらしてるじゃん。アドバンテージ取ったぜ!」
競技委員が飛びだしてきて出場を阻止される可能性はまだなくはない。太明はあえて明るくうそぶいて萎縮している仲間を励ました。
文句あるか、とコート外に作られた役員席にドヤ顔で視線を投げる。長机とパイプ椅子が連なる役員席にまばらに座っている背広やブルゾンのおとなたちの誰とも目があわなかったが、関係者出入り口の脇の壁際に立っていた人物と唯一目があった。どきっと心臓が跳ねた。
誰だ……? あのおっさんがものいいをつけてきた張本人だろうかと思ったが、背広姿ではないから来賓ではなさそうだ。黒いポロシャツに黒いブルゾンをはおった、黒ずくめの壮年の男だ。異様に凄みがある面相で二校が練習をはじめたコートを見据えている。これでもまだ難癖をつけられて出場を阻止されたらどう
やがて出入り口を通りかかった他校の監督が男に気づき、やけに低姿勢に挨拶した。あれって優勝候補の私立校の監督じゃ……。
男がコートから視線を外してそれに応えたタイミングで太明も男から注意を外し、仲間に向きなおった。
「さゆちゃんとでる最後の大会だ。楽しもうぜ!」
橋田高は二回戦まで勝ち進んだが、そこで代表枠を毎年争う強豪私立に玉砕し敗退となった。結果は県ベスト16。そもそも全国大会を目指すようなレベルでやってはいなかったので、この大会をもって三年は引退する前提で臨んだ春高予選だった。
支部予選から約百五十校が出場する愛知県で十六強に入れば上々だ。
三年間楽しかったし、それなりに納得いく結果もだして、後悔はなく引退できる。
高三の十一月。親は必ずしも四年制大学への進学を希望していなかったし、今のバイト先で社員登用の推薦をもらえそうなので、進学と就職でまだ迷っていた。ただ、どんな進路にしろ部活でバレーを続けることはたぶんないだろう──
と、思っていた矢先のことだ。
「なんかね、国立大の監督っていう人が倫也と話したいって」
さゆちゃんが首をひねりつつ呼びにきたのは、全日程が終わる前にもう帰り支度をしていたときだった。
「国立大ー? どこ?」
すっかり引退気分で気を抜いていたので間延びした声で訊き返したが、
「八重洲大学。頭いいとこだよねー」
「待って! 八重洲!?」
さゆちゃんの口からでた大学名にさすがに声が裏返った。下唇に人差し指を押しあてて答えたさゆちゃんがびくっとした。
「頭いいのは置いといて、関東一部だよ!」
「関東一部? なにがー?」
「バレー部が!」
体育会系にまったく縁がない女子大生生活を送ったさゆちゃんである。ピンと来ていないさゆちゃんから影が分かたれたかのようにその背後にぬうと現れた黒い男は、あのとき体育館にいたおっさんだった。
『八重洲大学バレーボール部 監督 堅持
廊下で向かいあって名刺をもらった。スカウトが続々と来たりするようなトップレベルの高校生ならこういうこともよくあるのかもしれないが、名刺をもらうという経験が太明は初めてだった。眼光鋭いおっさんから隠れるみたいに太明の背後にまわってぴょこんと首を突きだしている顧問が大学バレーの勢力図をいっさい知らないことから自明なとおり、橋田高は大学からスカウトが来るような高校ではない。
さゆちゃんももらった名刺をもてあまして顎に名刺の角をあてていた。いやきみは少なくとも就活はしたんでしょうに。名刺の扱い方とか練習しなかったの。
「長野の北辰高校から来年三人来ることになっている」
なにかもうすこし前置きの挨拶があってもよさそうなものだったが、堅持は突然そんな話から切りだした。
「ホクシン高校?」
肘をつついてきたさゆちゃんを振り返って太明は囁いた。
「大学は知らなくてもしょうがないけど高校は知っとこうよ……。長野と愛知は中部大会でも一緒じゃん。春高の優勝候補だよ。今年インハイも国体も優勝してるじゃん」
「えっすごくない? 倫也、そんな子たちが行くとこに一緒にスカウトされてるんだよね?」
八重洲大学と北辰高校がすごいということは理解したさゆちゃんの顔がふんわり輝きだした。しかし太明はまだその北辰高校の話が自分とどう繋がるのか想像ができなかった。
八重洲大学の監督が北辰高校の選手に声をかけ、北辰高校の選手も八重洲大という一流のチームを選んだ。それはなんの疑問もない。スポーツ推薦で決まる奴っていうのはこんな時期にもう決まってるんだな。部活を引退してから進路のことを考えようと思っていた太明としてはそのスケジュールの早さに驚いた。
だから余計に自分がそんな一流チームからスカウトされる理由がわからない。
「下級生のうちから
「ああ。やっと腑に落ちた」
話を遮るように太明が相づちを打つと堅持が唇を結んだ。
「つまりそいつは間違っても日本代表に選ばれる可能性がない奴じゃなきゃいけないってことだ。だから県予選なんか視察に来てんですね」全国大会出場経験者だっていくらでも志望者がいるだろう一流大学の監督が。
太明の推察を堅持は否定も肯定もせずスルーした。
「試合を見ていたが、まわりがよく見えているな。なにか訓練をしているのか」
「訓練なんて別になにも……あーバイトでファミレスのホールやってるんで、それはちょっとあるかもです。けっこう長くやっててバイトリーダーなんで」
飲食店のホールというのは配膳にオーダー対応にレジにバッシング(テーブルの片づけ)、意外と馬鹿にならないのが客にちょくちょく求められる給水と、厨房と客席を滞りがないよう繋ぎながら五感をフル回転させて常にホール全体を認識している。トラブルが起こっていそうなテーブル、走りまわっている子どもにも目を光らせている。後輩バイトが客に絡まれることもあるのでバイトリーダーとしてフォローに駆けつけるがたいていそのタイミングで急ぎ足で通り過ぎたテーブルから「お水くださーい」と声がかかるあの現象はなんなんだ。
「アルバイト経験があるのか」
「あるっていうか、今もやってます」
「今も?」堅持が眉間に
「週四か五入ってますね。平日の夜三日と土日のどっちかか、シフト薄かったらどっちもか」
「そんなにか……」
「そのおかげでバイトリーダーになっちゃいましたね」
「うちにはバイトをしていたような選手は来ない。集まってくるのは真面目にバレーだけに打ち込んできた連中だ」自分が真面目に打ち込んでこなかったとは思っていないが、別に反論はしなかった。「そういう連中とではスタートラインが違う。フィジカルもテクニックもまだまったく駄目だ。うちの練習は厳しい。それでも覚悟があるなら、八重洲に来い」
スカウトというのはきみの才能に惚れ込んだのでぜひ来てくれないかと熱望されるものなのだろうなと漠然と想像していたが、およそそんな態度ではなかった。
「ここで返事をしなくてもいい。ただ一週間後には返事が欲しい。今日話して一週間で進路を決めろというのも短すぎる期限だとは思っている。家族と相談して疑問点があれば……」
「いや。行きます。理由にも不満はありません。ありがとうございます」
大学の一流のバレー部で、しかも自分の頭では一般入試で入れるような偏差値ではない関東の一流国立大でバレーを続ける将来なんて今の今までまったく選択肢になかった。高校三年間で仄かにでも夢を描いたことすらなかった。
そんな自分に思いがけない来春からの四年間が提示されたのだ。
飛び込まない理由は思いつかなかった。
「書類とかいつまでになにがいるか、ここにいる……
荒波に削られた厳めしい岩みたいな印象の堅持の顔が、我が意を得たようにほんのわずかゆるんだ。愛知県予選まで足を運んだ土産は得たということだろう。
「度胸のよさも買った点だ」
と太明の坊主頭を
「要項は明日までにそこの……そちらの、金森先生、にご連絡しますので、手続きをよろしくお願いします」
その横っちょで太明のジャージの肘をつまんで小首をかしげているゆるふわな小娘を「先生」とは認めがたかったようだが、こめかみの血管をひくつかせつつ己に抗って低い声を絞りだし、頭を下げた。
「あっ、えーと、はい、わかりました? で、いいんだよね?」
話に追いつけずきょときょとするさゆちゃんに太明は笑って頷いた。
「もっと胸張りなよ。教え子がすげー大学からスカウトされたんだよ。名指導者だよ、さゆちゃん。職員室でももうちょっとでかい顔できるよ。もういじめられねーからな」
「えー? すごいのは倫也でしょー? わたしなにもしてないよー」
とさゆちゃんは言ったが、嬉しそうにこっちを見あげた顔に朱が差し、にこーっと笑みが咲きほこった。可愛いなほんと。卒業するとき告ろうかなと思ってたけど、関東に行くんじゃ遠恋になっちゃうしなー。
三年間を楽しくしてくれて、守りたいなと思った子に贈り物を残して、すっぱり吹っ切って卒業できる。坊主じゃいまいちキマらなかったなというのが心残りだったが。
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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