目次
- プロローグ スイングバイ
- 第一話 砂漠を進む英雄
-
第二話
鋼 と宝石 -
Intermission
清陰の、あれから - 第三話 王者はいない
- エピローグ スタンド・バイ・ミー
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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第一話 砂漠を進む英雄
9. UNFLAGGING STILL
第三セット前半はなんとか大きく突き放されずに進み、欅舎11‐13八重洲。二点差以内で食らいついている。この調子で終盤までには前にでる機を必ず作りたい。
が、ここで黒羽の得意コースのはずのクロスが甘くなり白帯に引っかけた。ボールが綱渡りするように白帯の縁を転がって浮いたところを
次のスパイクではストレートで
欅舎11‐15八重洲。食らいついていると思った矢先に四点差──。
「バックにも持ってこい!」
後衛から灰島に怒鳴りながら三村は荒く上下している黒羽の肩越しに八重洲コートに目を凝らした。
なにが起こった? 黒羽はいいスパイカーだ。それがここに来て急にぽろぽろとミスで自滅。──
クロスにプレッシャーをかければ苦手なストレートに打ってくると計算されたうえでブロックでコースを絞られ、スパイクアウトに誘導された。大型ルーキーだなんだともてはやされても一年生、三セットマッチが多かった高校を卒業したばかりだ。第三セットも半ばまで進めば高校生の体力では試合終盤に相当する疲労が溜まり、コントロールの余裕もなくなってくる。
おまけに八重洲は破魔・大苑という二人の左利きパワーヒッターを擁してライトからがんがん打ち込んでくるため、マッチアップするレフトブロッカーとなるウイングスパイカーには半端ないプレッシャーがかかる。高校はレフト攻撃が主軸なのでこれだけのライト攻撃に耐えねばならない試合も黒羽はあまり経験したことがないだろう。
浅野が灰島とマッチアップする前衛レフトにあがってくると、黒羽より数倍老巧なストレートでまたブロックを利用して灰島からブロックアウトを取った。ネットサイドのアンテナにボールがあたり、メトロノームの針が振れるようにアンテナが激しくしなった。灰島が細い目を剥いて浅野を睨みつけた。
灰島・黒羽のルーキーコンビが絶妙に抑えられている。アナリスト席の助言かは窺い知りようがないが、もしこれを考えたのが越智だとしたら……戦慄がざわりと胸の奥を騒がせた。
欅舎13‐17八重洲。中盤で第二セットとほとんど同じ点差まで広がった。これでは第二セットと同じで逆転に手が届かなくなる。
ここで破魔が後衛に下がるが、強力なブロッカーから強力なサーバーとなって襲ってくる。レセプションを崩されればさらに点差を広げられかねない。
監督がアップエリアの選手に交代準備の指示をだした。ベンチに駆け寄ったのは黒羽の場所に第一セットのスタメンで入っていた四年のウイングスパイカーだ。
同じくベンチの動きに気づいた黒羽がこっちをちらりと見た。
ウイングスパイカーはコートに二人いる。黒羽を下げて守備の安定を図るか、もしくは、攻撃力のある黒羽をコートに残すほうを優先されても不思議はない。
「一本一本!」「落ち着け落ち着け!」控えに下がった四年生がアップエリアからがなる声援がセット序盤よりも大きく聞こえた。
コート内の声がそれだけ減っていると気づいて三村ははっとし、
「──っしゃ、来い!!」
ひときわ声を張ってレセプションに構えた。両隣を守る池端、黒羽と前に立つ福田が声量に驚いてびくっとした。
両膝に手をおいて顔をあげ、対面コートのサービスゾーンでボールを片手に掴んで立っている破魔の姿を視界に入れる。超然と立つ破魔の顔がカメラが遠隔操作で
コート内の仲間が呼応する声がちらほらと弱気にあがった。序盤は維持していたいい流れはすでに手放していると言うしかない。灰島だけが汗がびっしり浮かんだ顔を変わらず闘志でぎらぎらさせて怒鳴った。
「真上にあげればいいです、おれが動きます! 直接返すのだけは避けてください!」
来いと呼んだからといって破魔が挑発に乗ってこっちに打ってくるとは限らなかったが、気概を叩き潰さんとするように三村が守るゾーンにサーブが突っ込んできた。まじかよ、表情一つ変えなかったくせに、とつい苦笑いが閃いてから「っし」と気を吐いて集中する。
球面を覆う黄と青のパネルが目にもとまらぬスピードで回転しながら肉薄する。正面でレシーブしようとした刹那、極端なシュート回転をともなって左下に落ちた。体勢を崩しながらとっさに左手にあてたがサイドにはじいた。Dパス、攻撃不可能、連続失点という流れが仲間の頭に瞬時に浮かんでコートに焦りが広がった。
と、灰島が目の前を猛然と横切ってサイドへ飛びだしていった。「あげます!」執念すらこもった声に、左膝をつきかけた三村は足首にぐっと力を入れて踏みとどまった。反動を使って前に飛びだし、
「──チカ、くれ! 自分で打つ!」
エゴに近い強引な要求だった。低い姿勢で突っ込むように助走をはじめてから途中で身体を起こす。ベストの踏み切り体勢ではない。視界には入っていなかったが黒羽のほうがたぶん体勢はよかっただろう。しかし真っ先にトスを呼んだ三村に応えて灰島がボールに追いつくなりバックセットをあげてきた。
三枚ブロックが確実につく状況だ。高波が堤防を越えてくるがごとくネットの上に覆いかぶさってくるブロックがコースを完全に塞ぐ。視界が開けず、ブロックを抜くのは諦める。ブロックアウトを取りに行くが、通過点が低ければ捕まって叩き落とされる。ぎりぎりを狙ってもし当て損ねたら第二セットのようにノータッチで自滅する。波の本体に突っ込むことなく、白波が立つ
端の浅野の小指をボールがわずかにはねあげてそのまま吹っ飛んでいった。
線審がフラッグを振りあげてノータッチアウトを示した。──嘘だろ!?
祈る思いで三村は主審を振り仰いだ。
主審がジェスチャーで線審のフラッグをおろさせ、ブロックタッチありのジャッジをだした。八重洲側からノータッチのアピールがあがりかけたが、浅野が挙手してブロックタッチを認めた。五点差を覚悟したコート内の仲間から安堵の溜め息がこぼれた。
三村は身体の中で静かに息を抜いた。
ベストのスパイクを打てたわけではないが、勝負できた……。
すぐに仲間を振り返り手を叩いて盛りあげる。
「大丈夫や大丈夫や! ここでズルズル行かんと切ってこう! チカサーブやでブロックが仕事するとこやぞ! 破魔バックや、Cないでしっかり見てけ!」
欅舎14‐17八重洲。三点差にどうにか戻した。
「レフト、ストレートOK、打たせろ!」
サーブからフロアの守備に駆け戻ってきた灰島の声が飛んだ。前衛レフトは浅野だ。浅野とマッチアップして失点させられているのでどう考えても対抗心が煮えたぎっている。
浅野も浅野で灰島の対抗心に強気に乗ってストレートに振り抜いた。灰島にディグ(スパイクレシーブ)を取らせればいずれにしろ欅舎は二段トスからの攻撃しかできなくなる。拾われたら拾われたでいいという狙いだろうが、
「──灰島! くれ!」
トスを呼ぶ声とともに、キュッ! とコートエンドでシューズの摩擦音が響いた。
針の穴を通すような浅野のラインショットがブロックとアンテナの隙間を抜けた。ライン際で灰島がディグをあげるのと同時に、誰より早く助走を取っていた黒羽がコートのど真ん中から踏み切った。
まさかのスパイクレシーブから灰島が黒羽の頭上にぴたりとボールをあげた。空中でダイナミックに身体を反らした黒羽の右腕がぐるっと円を描くように大きくスイングし、微塵の迷いもなくボールを捉えた。この二人のあいだでは二段トスを介する必要すらないのか。
黒羽のツーアタックという意表を衝いた攻撃にさすがの八重洲のブロックも反応が遅れた。ブロックの上から前衛並みの鋭角なバックアタックが八重洲コートに突き刺さった。
相変わらず人の度肝を抜くスパイクを打つ奴だ。痛快でもあったが、少なからぬ嫉妬が胸を焼いた。おれが二年間かかって石にかじりつくような思いで這いあがってきたこの場所が、黒羽にとっては踏み台でしかなく、ここからもっと上へと駆けあがっていくんだろう。まだまだ発展途上のメンタルとフィジカルに大学四年間でタフさも備わって、でかいプレーヤーになっていくんだろう。
危うく胸を反らせてタッチネットを逃れた黒羽がセンターラインぎりぎりに着地した。「……ふあっ」と、やっと鮮やかに決まった一本にほっとしたように脱力して尻もちをついたが、すぐに上目遣いで三村を睨みつけてきた。二人の視線の中間で火花が一瞬散った。
三村にしてみればそっちに対抗意識を燃やされる筋合いはねえけどなという気分ではあった。
大学での活躍を福井からみんなが楽しみにしていると水野が言ってくれてから二年の空白があり、三村統の名が地元で話題に上ることはもうなくなっているだろう。地元出身のバレーボーラーとして大舞台で活躍して福井の人たちをよろこばせる役目は、たぶん今では黒羽に期待されている。
欅舎15‐17八重洲。黒羽のミスで広げられた点差を黒羽が自分で取り返して二点差に戻す。
ブレイクのチャンスが続いているが、灰島のサーブ二本目も破魔を崩せない。早乙女が今度は浅野の逆サイドの大苑にトスを振った。
大苑に対して三村が一枚でとめにいく。黒羽と同じポジションを務める三村ももちろん前衛にいるあいだ強烈なライト攻撃に耐え続けるプレッシャーを強いられている。
ネットの上に手をだした瞬間、大苑の左手からインパクトされた強打がほぼゼロ距離で直撃した。びりっと右手に痺れが走った。ワンチは取った! どこに跳ねた? 大苑とネットを挟んで着地しながら視界から消えたボールを探す。八重洲側に渡っていたらすぐにまた再攻撃を凌がねばならない。
「チカ! レフトよこせ!」
黒羽からトスを奪い取るような気迫で三村は呼んだ。
ロングセットが自コートを横断して届くあいだに八重洲のブロックが三枚揃う。ブロックを吹っ飛ばすつもりで打ち切ったが、何度もブロックアウトを取らせてくれる八重洲ではない。鉄壁のブロックに叩き落とされた。まだだ……! 右肩を掠めて自陣に落ちるボールを目の端で捉え、まだ空中にいるうちに肘で跳ねあげた。自力でリバウンドを取った直後、
「も一本!」
とっさに呼んでまた跳んだ。
助走は取れずスタンディングジャンプになる。黒羽に振ったほうがいい状況だった自覚はあった。だが八重洲側もそう予想したのかブロックが一枚黒羽に振られかけた瞬間、灰島からすかさず三村の頭上にトスがあがった。
やっとコースが開けた。かぶり気味になりながらも思い切り叩き、ブロックのあいだを打ち抜いた。
どうにかブロックにねじ込んでもフロアの守りも固い。抜けてきたボールにリベロ・
「ブロックブロック! 守るぞ……!」
指を差して味方ブロッカーに指示を発したが息が続かず喘ぐようになった。
ボールと床の隙間に太明が手を突っ込んだが低い軌道でコート外へ逸れた。早乙女が追いかけたものの繋がらず──ラリー終了。
ホイッスルが吹かれても脳内ではまだラリーが続いている気がして緊張が解けず、三村は浅く息をしながらネット前で仁王立ちしていた。
脳も身体も酸欠状態になり、視界の四隅が暗くなっていた。麻痺していた感覚が回復してくるに従って視界も戻ってくる。
粘り勝った……。
腕を下げたまま拳を握り、
「よぉ──っし!!」
満面の笑みで自陣を振り返って拳を突きあげた。
安堵の感情のほうが勝って放心していた味方にもよろこびが伝播し、「統……!」「統さん、すげぇ粘り!」とコートがわいた。
突き放された点を三連続得点で奪い返し、欅舎16‐17八重洲。
「まだまだ! 粘って追いつくぞ!」
味方を盛りあげながらベンチを見やると、監督に呼ばれた四年のウイングスパイカーは交代を保留されてウォームアップエリアに戻っていた。黒羽と三村、どちらを代えるつもりだったのかはとりあえずわからなかった。
*
めちゃくちゃじゃないか、あいつ……!
スタンドで越智は唖然としていた。
ワンラリーを一人で打ちまくって、最後なんかもう息もできてなかったんじゃないか。しかし全部無理矢理打っただけで綺麗なスパイクではなかった。
一連のラリーの灰島のトスワークも理解に苦しむ。灰島という天才は頭の上でボールが両手に入ってからトスをはじく一瞬で三六〇度全方位の状況を把握し、一番いい状態で打てるスパイカーを使うという芸当をやっている。現に黒羽にあげるときは常に助走をしっかり取って高い打点が確保できている。それに対してあの準備しかできていない三村にあげるのはめちゃくちゃだとしか越智には思えない。
八重洲の守備もそれゆえ攪乱されて反応が遅れる場面があった。八重洲がモットーとするバレーはセオリーに忠実な組織バレーだ。セオリーたるのはそれがもっとも有効だと数字で証明されているからだ。
でも、根性で点をもぎ取りやがった……。
あいつのああいう気持ちの強さの根っこはいったいなんなんだろうと思う。なんの意地でまだ諦めずに這いあがろうとしているんだ。
もう戻ってこなくてもいいんだと、三村から連絡が来なくなっていた時期、実は越智は本気で考えていた。越智がアナリストになると言ったことが三村の足枷になってあとに引けなくなっているのなら、もう楽になって欲しい。あの肩にもうなにもしんどいものは背負わせたくなかった。言うなれば今がやめるタイミングだ。今ならやめたって誰も責めやしない。地元の誰かが失望することもないんだ、と。
なのに、一ヶ月以上も音沙汰がなかった三村からある日、何事もなかったように返事が来た。
“二十五日やったらオフやで二十五でいいけ? いけふくろうってヤツがいるとこが定番スポットらしいでそこで待ちあわせよっせ。埼玉出身の先輩に教えてもらった。池袋は埼玉の県庁所在地なんやって”
“会えるんやな?”
一ヶ月ぶりに前触れなく再開した話に越智は我ながら食いつくようなタイミングで返信した。
思い返せばこのころが三村のどん底だったはずだ。どんなきっかけがあって浮上できたのか遠くにいる越智にはわからなかったが、いつもどおりの三村を思わせる軽い口調が戻っていた。
“うん。会おう。ごめんな”
返事が遅くなったことに対してか、もっと全般的なことに対してか、謝罪がひと言ついていた。
著者プロフィール
- 壁井ユカコ【かべい・ゆかこ】
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沖縄出身の父と北海道出身の母をもつ信州育ち、東京在住。学習院大学経済学部経営学科卒業。第9回電撃小説大賞〈大賞〉を受賞し、2003年『キーリ 死者たちは荒野に眠る』でデビュー。「2.43 清陰高校男子バレー部」シリーズの他、『空への助走 福蜂工業高校運動部』『K -Lost Small World-』『サマーサイダー』『代々木Love&Hateパーク』「五龍世界」シリーズ等著書多数。
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