道路レポート 緑資源幹線林道八幡高山線 馬瀬萩原区間(馬瀬側) 第2回

所在地 岐阜県下呂市
探索日 2019.12.20
公開日 2023.07.06

 開通しっぱなし、誰も手入れしていない、たぶん……


2019/12/20 12:07 《現在地》

禁断のアイテム……“木製標識”との遭遇があったが、その後はまた、道の続きを淡々と進んでいる。
道は上りを基調としているものの、小刻みに下りも混じるようになり、進行のペースは上がった。この写真の場面も、まさしくそんなアップダウンが入り交じった場面である。

しかし、平成10年代に誕生したばかりのまだ新しい道であるにも関わらず、路面の状況その他、目に見える道の姿は、私にとってはひどく見慣れた、廃止された道のそれとほとんど変わりがなかった。
これで本当に封鎖されているならやむを得ないと思うが、一応この道は解放されていてこれなのだから、悲しみはより深い。
極めて通行量が少なく、維持管理の手も回っていないということが、明らかだ。



この道(区間)は緑資源幹線林道としての全線開通を見ることなく、途中で工事中止となったわけだが、その直前まで小刻みな部分開通が行われていたようだ。いまいる区間もそうだったと思う。林道の事業主体である森林開発公団→緑資源公団→緑資源機構は、工事が終わった部分から速やかに地元自治体へ管理を引き継いでいた。

この場所であれば馬瀬村(平成16年以降ならば下呂市)が管理を始めたのだろうが、自治体としても先がまだ開通していない行き止まりの林道(それも妙に高規格)の維持管理は、きっと重荷でしかなかっただろう。そしてそれは今までずっと続いている。それでも、税金で整備され部分的とはいえ完成した道路を、行き止まりだからというだけの理由だけで使わず眠らせておくことはできない。林道の沿道には受益地と見なされている林地が広がっているわけだから、さっそく林業に活用すべきだ。当然、沿線の林家もそれを望んだであろう。

だが実際は、こういう状態の道になってしまうわけである。塞がれていないというだけの、“半”廃道の姿に。
行き止まりの道路に、こんな2車線の舗装路を欲するような需要はなくて当然だ。沿線の林業の役には立つだろうが、それでも毎日利用するような需要はない。



アップダウンを繰返しながら、次第に道は下り基調となった。越えるべき峠はまだまだずっと先だが、序盤戦にこの峠越えと呼ぶほどではない地味なアップダウンがある。その底を叩くまでさほどの距離ではないが、自転車なら数分の間は下りメインである。

そしてそんな高速下りコーナーの途中に、また見つけた。
闇のアイテム…… 木製道路標識 を。

今度のそれは、やはり警戒標識に属する「左つづら折りあり」のデザインだった。
やはり目立ってなくて無能だと思ったが、それ以上に設置方法の雑さ加減が気になった。
生コンが詰まった小さなドラム缶を重しにして立っていたが、早くも浮き上がって倒れそうになっていた。普通の標識は土台をもっと深く埋めるが、支柱も木製であるために、深く埋めるとすぐ朽ちてしまうんだろうな。道路に関するものならほぼ全てを肯定する道路甘々イエスマンの私だが、さすがにこれは誉られるところが見つからねぇ…。




12:15 《現在地》

スタートからおおよそ40分後、3.2km地点でこの場面に辿り着く。
写真のアングルだと道が切り返しているように見えると思うが、大規模林道はここを直進する。左にあるのは別の林道である。

ここまで来ると視界が開け、前方に大きな谷が広がる。
地図には「石谷」という注記がある。大規模林道は、この谷へ入り込んでいく。
スタート地点からしばらくは集落の裏山のような長閑な雰囲気だったが、ここまで来るともう凜とした奥山の空気が濃い。
だがまだまだこの道にとっては、序盤のワンシーンだ。

……全部開通していた後だったらな。



林道との交差点。交差している林道は石谷に沿って上下に伸びており、左折し下流に進めば2kmほどで国道に出られる。
また、この角には無人の簡易水道施設がある。看板によると馬瀬村の施設だったようだ。この施設へのアクセスは、大規模林道が持つ数少ない公的な用途だろう。

チェンジ後の画像は、交差点から見る大規模林道の行先だ。
そして、最新の地理院地図でも、この先はもう長くないように描かれている。
実際に交差点から覗き込んでみても、路上がこれまでに増して荒れているのが分かった。もう交通量は、ほとんど、皆無だと察せられた。

それでも、塞がれてはいなかった。
もうほとんど利用されないとしても、崩れるまでは塞がない。
そこに、大規模林道が掲げた理想――従来の林道のように専門的で閉鎖的ではない万人に開かれた新しい林道、「国道級の林道」――を見たのは、さすがに妄想癖の仕業だ。こんな隅っこに忘れられてしまった末端が孤独に理想を体現し続けているなんていうのは、いくら何でも妄想が過ぎる。これはただの放棄だ。



まーたあった。 禁具:木製標識。

進行方向とは逆を向いていて、しかもこんなカモフラージュされまくっていて、一度で気付けた自分を誉めてやりてえよ。
目立たない道路標識とか、根本的に間違っている……苦笑。
せめて標識板全体を蛍光塗料で塗るとか出来なかったのかよ…。


こんな末端の道でも、利用者はいる……。くすんだ轍がそれを物語っていた。

しかし、轍の大半はおそらく、道路そのものに興味を持って訪れた者達だと思う。私の同業者。
大規模林道はたいてい入口に【立派な標識】が立っているし、地図上でもだいたいは太めに描かれていて少し目立つ。その行先がどうなっているか気にする人がいるのは当然だ。それに、塞がれていないから来ようと思えば誰でも来られる。

開通後は一度もメンテナンスを受けたことが無さそうな(実際は分からないけどそう見える)、汚されるに任せた2車線路面を恐る恐る下って行くと、次第に大きくなってきた沢の音と直面する。




12:18 《現在地》

そこには久々の登場となる、通算で4本目の橋が待ち受けていた。

これまでの中では断トツで大きな橋だ。
幸いにして四隅の銘板は健在で、「東俣谷川」「東俣橋」「ひがしまたはし」「平成16年3月」といった情報を得た。
地形図には「石沢」の注記がある眼下の谷を、林道は東俣谷川と表現し、ここに東俣橋を平成16(2004)年3月に完成させていた。
工事終焉から僅か4年前の完成である。この時期はもう、一連の大規模林道の歴史における最末期といっていい。

当時、まだまだ沢山の未開通路線が全国に残されていたが、その全ての路線・区間で工事が行われていたわけではなかった。
その中でもここは最後まで諦めずに(しぶとく?)工事を続けていた、そんな区間だったのだ。

しかし、これほど“最近”の橋が現れてしまったことには、工事の限界点、道の行き止まりが近いことを予感せざるを得なかった。
そもそも、最新の地理院地図や手元の市販道路地図は全て、この橋そのものを終点として描いていた。橋を渡った所で即行き止まりのように。

でも、道はまだ終わっていなかった。

チェンジ後の画像のように、道は橋の先に続いていた。




東俣橋がしばらく続いていた下り坂の“底”であった。
橋の先では直ちに上り坂が始まった。
今となっては最新とはいえない時期の道なのに、ここから先は未だに地理院地図に反映されていない。おそらく今後も反映されることはないだろう。まるでなかったことのようにされてしまっているが、道は平然と谷を渡って続いていた。もちろん封鎖もない。

確実に平成16年3月よりも新しい道であるはずだが、放置ほど道をやさぐれさせるものはない。
左の車線に全ての轍を追い込むほどに山側の右車線は灌木に覆われていたし、生き残りの左車線のアスファルトにはおびただしい数の小さな亀裂が生じていて、地盤そのものの安定性に疑問を抱かせた。

やがて人知れず崩落し、それをきっかけに「通行の危険」という道路封鎖の大義名分を得ることで、先ほどの交差点で封鎖される。それで終わり、そんな未来しか見えなかった。




東俣橋から約250m進んだ地点に、深い切通しがあった。
地図を見るとここは石谷(東俣谷川)と黒石谷(西俣谷川?)を分ける尾根の先端部で、切通しの先は黒石谷の流域に入ることになる。

そして私はこの切通しでまた、大規模林道 “らしい” アイテムを見つけた。
それは法面の下に並べられた間伐材らしき沢山の木の柱だ。

どういう効果があるのかよく分からないが、この施工は大規模林道の末期(だから正確には緑資源幹線林道)によく見られる(と私が思っている)もので、逆に他の道路では見た記憶がない。
私がまだ知らない緑資源幹線林道の“標準施工”か何かなんだろうと思う。でも木材なので早く朽ちてしまい、あまり古い区間では見られないのかもしれない。




12:23 《現在地》

道は、唐突に、力尽きた。

地形図に描かれていない道を、東俣橋から約400m進んできたが、悪あがきも、ここで終わりか。
起点から数えれば、おおよそ3.8kmの位置である。区間の予定延長が25.5kmだったから、
その半分が峠のこちら側だとしても、まだまだ序盤といわねばなるまい。



ここでようやく現われた、初めての封鎖バリケード。

律儀に終点の直前まで舗装されており、未成道の末端としては綺麗だったが、
封鎖の看板は吹き曝しに散らばっていた。かすれて消えた「通行止」の文字が虚しい。



バリケードの先も10mほど工事跡は続いていたが、
山側のコンクリートブロック擁壁が尽きたところで、それも終わっていた。
先は小さな谷になっていて、続きを作るなら土工からはじめることになるのだろう。

今後、岐阜県がこの先の区間の整備を「山のみち交付金林道」として復活させる可能性は、
ゼロではないかも知れないが、現在のところ地元の陳情が上がっているような話も聞かない。
岐阜県は今のところ、ここではない2つの区間を「山のみち」として引き継いで
整備を進めているので、話はそれが終わってからだろうか。






でも、道はまだ終わっていなかった。