このニュースには茫然とした。
今も信じられない。
そんなバカな!あの夏先生だぞ!?と、事実を認めたくない思いで一杯だ。
しかし、現実とは非情だ。
なんて非情なんだ。
心の整理もまだつかないが、やっぱり追悼文を出すしかない。
夏先生、夏先生。
最後にお会いした時の「I Love You so!」「Me, too!」という会話が思い出される。
まず遡れば、夏先生がいなかったら「ハルヒダンス」はなかった。
夏先生の振付を見様見真似で、「ハレ晴レユカイ」のダンスはできた。
その負い目もあったから『私の優しくない先輩』ではコリオグラファーとして、三顧の礼で招聘した。
最初の打ち合わせで「すいませんパクリました」的なことを詫びたら、苦笑いしつつも「うまいことやったねぇ」「でも振付って著作権あってないようなもんなのよねぇ」とおっしゃってくれた。
一応の「事後承諾」だ。
僕は(今後もダンス演出をやるかも知れないから)夏先生から可能な限り学ぼうと、キャストへのレッスンには可能な限り通った。
ちょっと舌っ足らずな夏先生の口調は、しかしとんでもない迫力と情熱で伝わるものだった。
『先輩』はとにかくスケジュールが地獄のようになくて、最初は早めの時期の夜明けにダンスシーンを撮影する予定だった。そこしか夏先生との都合が合わなかったのだ。
夏先生と踊り手は夜明け前から現場でレッスンを繰り返していた。その模様はメイキングに映っている。
詳しくはそれを観てほしいのだが、夏先生が目の前の多くの無名のエキストラに繰り返し言ったのが、「あなたたち売れたいんでしょ?スクリーンやTVや舞台で脚光を浴びたいんでしょ?じゃあ今やらなきゃどうするのよ?今できない人が将来スターになれる訳がないでしょ?」
夜明け前にこれだけのことを言える指導者がどこにいるだろうか?因みにその時僕は深夜に及ぶ撮影で仮眠を取っていたのだが。
因みにこの中には、今を時めく山田裕貴がいた。
しかし、夜が明けたら現場は豪雨。ダンスの場だったはずの運動場はぬかるみ。
最初にして最大の試練が来た……と、僕の脳裏は大混乱だった。
しかし、
「僕はダンス演出でメシが食えるようになった人間です、そしてその模範となったのが夏先生です。その敬愛する夏先生のダンスが泥まみれになるのは辛抱できません。今日以外にできないのなら、ダンスシーンは欠番にしましょう」
すると夏先生がすかさず、
「私のスケジュールが何とかなればいい話なの?」
助け舟を出してくれた。
制作陣はパズルのようなスケジュール調整をして、夏先生が振り付けてくれたダンスパートは無事撮り終えた。
さて、最初の打ち合わせで夏先生が「このダンスシーンの意味が解らない」と言い出した。
なるほど、実は「ヤマカンと言えばダンス演出だからと言ってプロデューサーに強要されましたー!」という本音(実際そうでした)をその場で言うこともできないから、「実は……」と、このシーンに込めた演出プランを説明した。
「うわ……今鳥肌立った!」
先生にこの思いが伝わった時、ああ、これはいけるな、と確信した。
尊敬する方に自分の言葉が響いた、これは後々大きな自信になった。
ハロプロ、AKB、吉本天然素材、そんな逸材たちをゼロから教えた彼女の業界への貢献は今後ずっと語り継がれることだろう。
その時必ず彼女が言った常套句があった。僕も現場で聞いている。
「目からビーム!手からパワー!毛穴からオーラ!」
夏先生、あなたの生き様がまさにそうでしたよ。
できればもう一度お会いしたかった。
って、これは僕の我儘。
どうか安らかに。
先生、ありがとうございました。
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