はじめに
こんにち中核派は、あらゆる意味で末期症状にある。反白井キャンペーンは党内恐怖政治をつくりだし、自由な意思表明は窒息させられ、いちじるしく活力を低下させている。
すでに二名の自称政治局員が「もう運動と組織を辞めて静かに暮らしたい」と外部の人に話した事実が、私に伝わってきている。内部でいっさいの発言と討論の自由が否定されている悲劇の表白である。
反スターリン主義の思想など、もはやどこにも見いだすことはできない。私を中傷した内部文書は、九四年三月の謀略・略奪について弁解し、革共同に反対する者の財産は略奪するのが当然と開きなおって、今後も批判者には同様の行為を働くことを公然と声明した。
彼らの共産主義とは、先輩同志の知的財産をペテンによってすべて奪って「共有」するというレベルの思想にすぎないことを、自称政治局の文書は認めたのである。
いまや革共同・中核派は、清水一派のもとで正真正銘のスターリン主義党に堕落.変質をとげた。日本共産党・ソフトスターリン主義派と同一の本質をもつ、日本共産党・ハードスターリン主義派という本質規定が清水一派には妥当するのである。
一九三○年代のコミーンテルン型スターリン主義は、フルシチヨフ以降の平和革命を唱えるソフトスターリン主義と区別されたハードスターリン主義であり、清水一派は世界革命と国際主義七・七路線を捨てた戦術左翼として、ハードスターリン主義に先祖帰りしたのである。
私の著作『二○世紀の民族と革命』を組織内で禁書にしている事実は、思想闘争、知的闘争、論争の禁止によってしか組織が延命できない反知性主義の象徴である。『前進』二〇〇〇年二月-四日付(一九四四号)の私ヘの批判は、中核派がカクマルと同一化した事実を告げ知らせている。『前進』は革命的新聞であることを止め、『解放』と同じデマ新聞に堕落・変質したのである。
いま清水一派は、「民主主義ナンセンス」と言って「純粋の党の強化」という極端なセクト主義におちいっている。そのことによって事実上党の支持基盤をみずからの手で掘り崩し、衰退と自滅の途を急ぎつつある。
歴史的に公正な総括をおこないつつ、思想的・組織的な変革的再生の途を真剣に追求しなければならない。
二〇○○年三月-五日 著者
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