富野由悠季が語り尽くす、21世紀の日本人が克服すべき「呪縛」

独占ロングインタビュー【後編】
富野由悠季, 部谷 直亮

「進歩」という発想の呪縛

富野 技術の問題というところにもう一度戻ると、日本だって技術力と生産力を高めて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われ、経済的に潤った時期もあった。しかしそのあと、コンピュータが出てきてインターネットが爆発的に普及したときについていけなかったのは、日本人が新技術に対する洞察力をきちんと持っていなかったから、という言い方がありますよね。

だけど、「洞察力がなかった」というのは、僕は違うと思っています。だって、コンピュータを普及させたアメリカの研究者たちにも、洞察力なんてあったとは思えないから。

 

そうじゃなくて、日本に自動車で大負けして、遅れを自覚したアメリカが必死で「何か新しいネタないの?」となったときに、たまたま民生用のコンピュータが生まれて普及するかもしれない、となった。それで「これなら日本を黙らせられる」と考えたのが真相じゃないかな、と思っています。

で、日本人は20年ぐらいそれを見過ごして、見事にやられてしまった。僕はコンピュータが持っている「ネットワーク」という機能がとても重要で、日本人のように機械そのものを改良するとか、機械にしがみつくという発想だと、そこには到達できないと思うんです。

つまり、アメリカでコンピュータやインターネットを開発した人たちは、機械を一度捨てたのではないか。ネットはまず軍事技術として監視ネットワークから始まったけれど、この「ネットワークを監視に使う」という最初の発想が有用だったからこそ、じゃあカメラと連動させよう、顔認証を付けよう、という発想も出てくる。

そういう筋道がわかると、僕はようやく納得できた。もちろん細かい進歩はあるけれど、大枠では、われわれがイメージする「技術の進歩」とはちょっと違うんだと思っています。

――なるほど。日本人はずっと「メカ」にしがみついていた。戦後の日本は、「いい製品を作れば勝てる」という発想から抜け出せなかったように感じます。だから、パソコン、ドローンや3Dプリンタを理解できなかったし、抜かれた。

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