富野由悠季が語り尽くす、21世紀の日本人が克服すべき「呪縛」

独占ロングインタビュー【後編】

ガンダムの生みの親・富野由悠季監督が、最新作『Gのレコンギスタ』の裏側から技術と人間のあり方、さらには文明論まで語る本インタビュー。締めくくりとなる今回は、「黄昏の時代」を迎える日本がこれから何を大切にすべきか、という問いにたどり着く――。(聞き手/部谷直亮[慶應義塾大学SFC研究所上席所員] 写真/西崎進也)

 

技術が進んでも変わらない、人間の本質

富野 つい最近、石田英敬さんと東浩紀さんの『新記号論』という本を読みましてね。

いまはメディアもコミュニケーションも兵器も、それから金融も全てバーチャルになりつつある。21世紀から22世紀に至る時代、このリアルとバーチャルが融合してゆく時代に、われわれはリアルにもう一度立ち戻らなくちゃいけない。だけど、それができるだけの知性をわれわれは持っているだろうか……というようなことを、石田先生は『新記号論』の最後で書いています。

なるほどと思ったのは、いまネット上で広がっている議論って、あれは議論でも何でもなくてコピペなんだ、模倣なんだと。そして、記号論で考えると、模倣は記号として消費されるだけで、つまり具体的なロゴス(理性)にまで到達しない。だから石田先生は、その現状を受け止めた上で、言葉や記号の問題というものを、枠組みごと作り直さなくちゃいけないんじゃないか、と考えているらしい。ぼくの理解は大雑把で申し訳ないと思います。

確かに、トランプ支持者が、トランプの言う内容を本気で理解したり解釈したりしてトランプに票を入れているとは思えないし、イギリスの保守党がブレグジットを賭けた選挙で圧勝したのも、僕からすると呆然としてしまう。

本当は「なんでそこまでバカなの、お前ら」って言いたい気分だけども、一方ではこの10年ぐらい、僕らは本気で言葉を交わしたり議論をしたりしなくなっちゃって、全部ネット上で、自分の中のイメージだけでやってるんじゃないのか、とも思うわけです。

――そうですね。技術は進歩しているのかもしれないけれど、それを扱う人間が賢くなったわけではない。

富野 おそらく何百年も前から、それは明らかだったんじゃないのかなって気が最近してるんです。

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