『∀ガンダム』の教訓
富野 そう。そういうもののほうが、なんとなく面白くなっちゃう。所詮、歴史学だって少年マンガの戦記物みたいな視線が支配的なんです。
僕が見事だと思ったのは、例えば豊臣秀吉は、全国の田地田畑の寸法を測らせるというとんでもないことをやった。それを継承した徳川幕府は戸籍を作った。でも、新しく仕組みを作ってる暇なんかないから、お寺に全部やらせた。
──過去帳ですね。
富野 檀家ができて過去帳ができて、実際には戸籍として機能した。それで日本全国の人口と、戦力、労働力の移動が全部見えるようになった。平和を維持するというのはこういうことなんだ。つまり、衣食住をどうコントロールするかを統治者がちゃんと考えない限り、内乱は起こってしまう。それだけの話なんだけど、その考え方を第二次世界大戦以後の日本人が本当につかまえているかというと、つかまえていないような気がします。
僕が山折先生のその本を読んだのは、『∀(ターンエー)ガンダム』(1999年)の前だったので、命拾いしました。つまり、『∀』はただの戦記物にしないぞ、という思いを持つことができたんです。だけど、その時はまだちょっと、いや全然わかってなかったんですよね。
たとえば、農業というものを『∀』で登場させてみた。ロボットに畑を耕させたりとかね。でもその時は、農業全体のしくみ、つまり生産地と物流と、それを消費するという人々があるということが見えてはいなかった。
巨大ロボットを動かすということは戦争論でしかありえないし、ということは結局国家そのものを考えるしかない。国家を考え始めると、結局はその成員の問題まで考えなくちゃいけない。例えば国家を支えている国民が、どういうふうに独裁を支持するのか、ハイル・ヒトラーとやったのか、というところまで思考が行き着くわけです。
(中編につづく)