重要なのは、軌道エレベータというものを交通機関として成立させなくちゃいけない。その要件というのは、行った先に何かがあって、それを持ってくるとお金になる。この構造がインフラそのものを支えている。これが成り立たない限り、現実に宇宙エレベーターの実用化なんてあり得ない。だから、こういう技術を今提唱してる人たちは、そこまで考えてるのか、と提案したのです。
『G-レコ』を考えたおかげで、僕はアニメとリアリズムの問題がものすごくよくわかってきました。ガンダムだけでやってると、それができない。どうしてかということを3年ぐらい考えてわかったんですけど、ガンダムって所詮「戦記物」なんですよね。だから経済論まで行き着かない。でも『G-レコ』にはキャピタル・タワーがあるおかげで、嫌でも経済が張りついてくるわけです。
「平和」を描くことこそ、難しい
──つまり、過去のガンダムシリーズのときは、富野さんも作品世界の経済構造までは考えていなかった?
富野 考えている暇がなかったんです。戦争なんだから後方支援は必要だろう、という部分とか、そういう意味での国家論はあるけれども、今みたいに、直接的に主題にはしていられなかった。だから戦記物だけの視点では、広い意味での経済論は出てこないんです。
僕はこのことを、宗教学者の山折哲雄先生から教えてもらいました。昔、山折先生の『日本とは何かということ』(司馬遼太郎氏との共著)という本を読んで対談を申し込んだんです。
山折先生は、江戸時代の内乱がない平和な時代を「パクス・ジャポニカ」、つまり日本の平和と呼んでいます。「パクス・ブリタニカといった言い方に準ずるもので、日本が作った平和のあり方を歴史学者が語っていないことに気がついて、腹が立ったんだよね」とおっしゃった。
「どうしてなんですかね」って聞いたら、「だって、戦記物書いてるほうが面白いからでしょ?」。つまり、「平和の維持」という重要な問題をきちんと書いている歴史学者や作家が少ないって言われて、言われてみればそうだな、と驚きました。
──そうですね。秩序よりも、ふつうは戦闘、戦争、破壊に興味が向いてしまう。歴史研究の多くのテーマは戦争ですし、富野監督が作品で描いていた「兵站」ですら研究は少ない。