深い傷
癒されたい傷。
癒したい傷。
それは昔も今もずうっと。
ずきっ。
あの証が痛む。
ファントムに入れられた悪魔の証。
レギンレイヴ城の城壁にたたずむファントム。
ギンタが怒りをあらわにする。
それを押し留める自分。
でも。
感じる怒りはギンタと変わらない。
奪われる。
奪い去ってしまう。
みんなを。
全てを。
「アルヴィス……」
いつになく沈んだ顔でギンタが側へ寄ってきた。
アルヴィスも真っ直ぐにギンタを見据える
ファントムを見て彼は何を感じたのだろう。
あの言葉を、あの暗い嫌悪を聞いて、心は揺らがなかったのだろうか。
「あいつが……あいつがオヤジを殺したんだな……?」
「ああ」
アルヴィスは頷いた。
それは否定出来ない事実だ。
自分は見たのだから。
彼の父親であるダンナが殺されたところを。
嘘はつけない。
その言葉にギンタはギリッと手を握り締めた。
赤い鮮血がギンタの拳から滴り落ちる。
「オレは……」
搾り出すようにギンタが言葉を紡ぎ出した。
「オレはファントムに会ったことがある」
「そうか……」
アルヴィスは別段驚きもしなかった。
ファントムに対するギンタの最初の反応。
ヴェストリのトムとか言っていた。
多分ファントムが近づいたのだろう。
異世界の少年を見定めるために。
そう。
かつて自分は言った。
見定めてやるよと。
でも見定めているのは自分だけではない。
チェスの兵隊だって興味津々で見定めている。
ウォーゲームを更に盛り上げる立役者。
それがかつての英雄ダンナの息子なら尚更のこと。
「何も知らなかった。何も知ろうとしなかった!!知ろうと思えばいくらでも知れた筈なのに!!オレは疑いもせずヴェストリでオヤジの仇と話していた!!……畜生……畜生!!」
ギンタは傍らにあった城壁を、拳に傷が出来るのも構わずに力任せに殴りつけた。
「畜生畜生畜生畜生畜生─────っ!!」
「ギンタ……」
アルヴィスは後ろからギンタの腕に手をかけると、自らを傷つけ続ける彼を、無理矢理城壁から引き剥がした。
そして自分の方へと振り向かせる。
「知らなかったことは仕方がない。ただそれほどまでに思うのならあいつを倒すんだ。倒さなきゃいけないんだ」
そう言ってアルヴィスは、隣にいたスノウから癒しの天使を取り上げた。そしてそっとギンタの手の傷に掲げた。
癒しの光がパアッとギンタの手の傷に降り注ぐ。
ホーリーARMだが、アルヴィスにも使えないARMではない。というより、このARMは汎用性が高く、割と使いこなせる者も多いだろう。
ギンタの手の傷が癒えたのをみてアルヴィスは柔らかく微笑んだ。だが、急に目の前が真っ暗になって、気がついたらギンタの腕の中に崩れ落ちていた。
「アルヴィス!!」
ギンタの叫び声が遠くから聞こえる気がする。
アルヴィスは目の奥を押さえるように目頭に手をやると、ギンタの肩に寄りかかるように身体をゆっくりと戻した。そして小さく息を吐く。
「大丈夫だ。少し目の前が暗くなっただけだ」
そう言ってアルヴィスは苦笑する。
思い出せば、ロランとの戦いで魔力が尽きていたのを忘れていた。
そんな状態で、ホーリーといえどもARMを使えば、倒れもするだろう。
いわば軽い脳貧血と言ったところだろうか。
我ながら間抜けだ。
目を開けると徐々に視界が戻ってくる。
まだ少し吐き気のようなめまいは残るものの、立てないほどではない。
と。
急に手の中のアクセサリーが奪い取られた。
それと同時に、ロランとの戦いで傷ついた身体中の痛みが失われてゆく。
視界が完全に戻り、アルヴィスが深く息を吐き出すとギンタが心配そうに自分を覗きこんでいた。
「大丈夫か?アルヴィス」
「大丈夫だ」
アルヴィスは笑ってみせると、ふとギンタに向かって静かに語りかけた。
「傷は深いか?」
「え?」
アルヴィスはもう一度確認するように問いかけた。
それは己への問いかけでもあって……
「ダンナさんを……自分の父親を殺された心の傷は深いか?と聞いているんだ。」
―フカイキズ―
それは隠しても隠しても意識の表に現れるもの。
はたして。
「当然だろ!」
ギンタは手を震わせてアルヴィスを睨みつけた。
そう。
ギンタの表情で分かっている。
自分の言葉がギンタの心の傷口に塩をぬりこんでいることを。
だが傷は隠してはいけないのだ。
隠したら逃げることを覚えれば……
「ならば戦えるな?どんなことになっても戦い続けられるな?」
「ああ、当然さ!!」
アルヴィスはふっと笑った。
これでいい。
こうすればギンタはファントムを憎むことで、これからまだまだ起こるであろう世界の汚いものから目をそらさずにすむ。
目的のまま、一心に戦い続けられる。
そのために多少のことで憎まれ役になるのは構わない。
何故なら……
自分の心にも……いや身体にさえも克明に深い傷が刻まれているから。
と。
ギンタは急にアルヴィスの手を取った。
「さんきゅ、アルヴィス。アルヴィスだっていっぱい傷ついているのにいろいろ気遣ってくれてさ」
言いながらギンタの視線はタトゥに向かっていた。
そしてそれに気付いたアルヴィスがさっと手を引くと太陽のように明るく笑った。
「そうだよな。みんないろんな傷を持っているんだもんな。癒すのは難しい傷もあるけど、目をそらしたらいけないんだよな。治せるものだって治せなくなるもんな。オレ頑張る。強くなるさ」
深い傷。
癒したい。
癒されたい。
だが見失ってはいけない。
傷があるから。
だから生きていける者がいる。
愛する者に傷を負わせないように立ちはだかってやることが出来る。
だから今は痛くても進むしかない。
これ以上傷を負う者が現れないように……
おわり