梅村議員の事実関係の理解があまりにおかしいことも不可解ですが、さらに「被収容者は支援者と自由に面会できていいのか?」という趣旨の問題提起を行い、音喜多政調会長も「問題提起として間違ったことをしたとは思っていない」としています。
しかし、ウィシュマさんはオーバースティ状態で入管に収容されていましたが、裁判において有罪の確定判決を受けたわけではなく、「罪人(受刑者)」ではありません。重罪を犯しているわけでもなく、入管施設は自由を奪う等の刑罰を与えるための刑務所ではありません。
出入国管理及び難民認定法第61条の7も《入国者収容所又は収容場(以下「入国者収容所等」という。)に収容されている者(以下「被収容者」という。)には、入国者収容所等の保安上支障がない範囲内においてできる限りの自由が与えられなければならない。》としています。
自由に人と会うことは重要な人権の一つであり、よほど具体的な逃亡の恐れがある状況でもないかぎり、入管施設で面会できる人を制限するのは、憲法31条他国内諸法令や、国連自由権規約他、日本が批准して遵守しなければならない諸条約に違反すると思われます。
要するに梅村議員のみならず、音喜多政調会長も、入管施設や収容者の法的位置づけ、人権保障の在り方について碌な知識もないまま、不当に人権を制限し、諸法令、諸条約に反する疑いの高い思い付きの提案を「問題ない」としていたと感じます。
維新の若手議員たちを見て思うこと
私は2021年10月31日の衆議院選挙で当選してから今に至る1年半の間、国会の論戦の場で相まみえた中で見えてきた維新の在り方を、正に象徴するのが、ウィシュマさんを冒とくする今回の事件だと私は思います。
衆議院議員に当選してから、国会の場で始めて会った維新の議員の方々の第一印象は、意外かもしれませんが「あれ? 皆若くてかっこよくて、熱意もあって感じよくない?」と言うものでした。
私は1期生なので、維新の初当選組とも席が近く、旧知の顔もあることも一因なのですが。今、政治に熱意のある若い人達の少なくない割合が、立憲ではなく維新の門を叩いている事実は事実として、認めなければいけません。
一方、彼らの質疑を聞いた私の印象は、大変恐縮ながら「え? この程度?」でした。もちろん、きちんと法案を読み込んで専門的知識に基づいて要点を捉えた質疑をする人もいます。しかし、少なくない割合で「思い付きのご提案質疑の独演会」を展開するのです。