タリバン自爆犯は「村の誇り」 アフガン・タンギ渓谷
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■トレードマークは自爆攻撃
自爆攻撃はタリバンのトレードマークとなった。攻撃そのものによる殺傷だけでなく、耳目を集め、広く恐怖心を抱かせる上でも有効だった。
タリバンは、常に標的は外国軍やアフガン軍だと主張する。しかし、犠牲者で最も多いのは女性や子どもを含む民間人だ。国連アフガニスタン支援団(UNAMA)の報告によると、タリバンが犯行声明を出した自爆攻撃による民間人の犠牲者は、2019年だけで1499人に上った。
自爆攻撃の種類は、外国軍の車列を狙った自爆ベスト着用の単独犯行から、自動車爆弾を使用したり警察に成り済ましたりしての複雑な軍事施設襲撃まで多岐にわたる。
タリバンの最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダ(Hibatullah Akhundzada)師の息子も、こうした攻撃で自爆した。
アイルランドのクイーンズ大学ベルファスト(Queen's University Belfast)平和安全保障研究所のマイケル・センプル(Michael Semple)教授は「自爆犯は通常は若者で、自分が他人より優れていると信じ込まされている」と語る。「今生きている世界は根本的に重要ではない」「栄光は殉教にある」と教化されるのだという。
■「おめでとう、息子は死んだ」
1980年代、アフガニスタンに侵攻した旧ソ連軍と戦った経験のあるタンギ渓谷の住民、ミル・アスラム・アミリさん(60)は、息子のナジェブラーさんが20歳で自爆テロに「成功」したとAFPに誇らしげに語った。
「神学校を卒業した時に私は言った。『息子よ、ジハードを始めなさい。国を占領した異教徒に対し、今すぐジハードを始めるべきだ』と」
2014年に使命を果たすために旅立った日ほど、幸せそうな息子は見たことがなかったという。息子の死の知らせが届くと、妻のアミーナさんには「おめでとう、お前の息子は殉教者として死んだ」と伝えた。
裾の長い白のベールで顔を隠し、夫の傍らに座っていたアミーナさんは「息子は若くしてとても名誉ある仕事をした」とうなづく。自宅を襲撃した米軍に殴られた後、自爆攻撃をすることを決意したという。「息子は私の許しを得て出て行ったが、今も彼を忘れることはない」 (c)AFP/Estelle Emonet and Abdullah Hasrat