夢咲ラヰカの雑記帳
夢咲ラヰカ
第1話 初手仏教の話をする仏教徒じゃない邪神
近況ノートを連投すると普通に通知欄圧迫してあれなので、重要なお知らせとイラスト投稿、更新報告以外は控えようと思った次第で何度目かのエッセイです。
Twitterをやっているのならそこで吐き出せばいいじゃないかって感じですが、いかんせん意図せぬメンタル破壊ニュースをぶっ込まれてうんざりするので、こちらでエッセイとしてまとめます。
特にテーマも話題もなく、なんとなく心が誰かに話したいって思った時に書くので、終始オチのない話題が取り沙汰されますが何卒。
今回もなんか話すネタがあるわけではないんですが……まあ、せっかくなので仏教の話を。
生きると言うことは辛い。それがブッダの教えです。
そうです、悟りを開いてなお「生きることって辛いよね」というのが絶対の真理なんですね、仏教って。
じゃあなんで辛いの? ってことをいうとそれがかの有名な「諸行無常」と「諸法無我」なわけです。
諸行無常というのはつまるところ「この世の全ては常に移り変わり、不変のものなど存在しない」といった考えです。
盤石な愛も、長らく続いた経済の安定も、災害のない日々もいつか急に変わります。
もちろん悪い方向にだけでなく、いい方向にも変わることだってあります。何気なく買ったロト6があたったりすることもあります(私は学生時代に購入したものが少額ながら当たりました)。
続いて諸法無我とは「この世のあらゆるものには我(本質や実体といったもの)というものがなく、互いに依存していく関係の中で成り立つもの」といった教えですね。
常に交流する、関わる、接する、その中でようやくその物体の存在の輪郭が縁取られるわけです。
人間が社会性生物であるように、私たちは誰かと関わって影響を受けるんです。一人ではないし、一人にはなれません。他人と接さない生き方だけならできるかもですが、それまであなたに影響を与えてきた人との関わりは断ち切れません。
創作活動でも同じで、完全な無から作品を作るって無理なんですよ。これは多分創作活動をされてる方ならわかると思うんですが、絶対どっかしら影響を受けたり参考にした部分があります。私にだって数え切れないほどありますし、なんならいまだに影響され続けています。
私の作品が影響を与えたケースも、嬉しいことですがあります。
こういった、物事は常に移り変わり、あらゆるものに我はないという真理を踏まえた上で、「一切皆苦」の世を生きる。そこを乗り越え欲望や執着(これが煩悩です)のない安らかな世界=涅槃静寂を目指すわけですね。
私はこの考え方に接してみて「そっか、苦しいことは絶対で避けようがないのか」と思って、絶望は不思議としませんでした。なんとなく「じゃあ変化を恐れないで、いろんな人と仲良くしたらいいのかな」とぼんやり思うようになったくらいです。
排他的な思考をしてしまう私は変化を恐れ付き合いを限定する、仏教の真逆をいくタイプの狐でしたが、ちょっとその凝り固まった古い考えを捨てようと思ったきっかけでもあります。
とはいえ、別段仏教徒というわけではないです。普通に煩悩ありますし、性欲だって男らしくあたりまえのようにありますし。
ちなみに殺生についても蚊が飛んできたら叩き落とします。
そうだ、ここで小話。
俗世間を生きる私たちはスーパーの肉や魚を食べても殺生のカウントにはなりません。ただ、食べるときに「この豚は俺のために殺されたんだ」とか思っちゃうと、殺害業に加担した判定になってしまう恐れがあるそうです。
出家したお坊さんとかだともう精進料理とか、そういう暮らしなのかな? 最近のお坊さんは違うかもですが。
ちなみに私の地元は漁業が盛んなので、殺生を禁じると普通にみんな飢えて死ぬので、この地域の仏教は変則的に漁を認めていたそうです。以前祖母の家に法事に来ていたお坊さんが仰っていました。
仏教自体はいくつも宗派に分かれていたりして面白いので、調べてみると創作のネタになったりしておすすめです。
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