【電通過労死から7年】高橋まつりさんの母が「いつまでも元気でいなければならない」と話す理由

過労死

2022/12/24 11:30

高橋まつりさん
高橋まつりさん

 広告大手・電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が、長時間労働を苦に自ら命を絶ってから7年。長時間労働は社会的にも大きな問題となっているが、その後も過労死が後を絶たない。まつりさんの母幸美さん(59)は、「いまだに大手企業で労働環境の実態が変わっていない」「電通の監視を続ける」と過労死撲滅に向けた活動を続けている。

【写真】「お母さん いつまでも元気で」のメッセージ入りのケーキをプレゼントした時のまつりさんと幸美さん

 2015年12月25日、クリスマスの朝だった。

 携帯電話が鳴り、雑踏の中で応答した。当時、筆者が所属していた週刊朝日の編集部員からだった。

「まつりちゃんが亡くなったらしい」

 明るく、元気いっぱいで、たくさん話して食べるのが大好きーー。そんな印象の学生だった。

「なぜ、まつりちゃんが?」

 ただ、あぜんとするばかりだった。

 東京大学時代、テレビ番組に出ていたまつりさんは、

「将来は週刊朝日の記者になりたい」

 と答えていた。編集部は、そんなまつりさんを探し、記事の編集や動画サイトのアシスタントとしてアルバイトをしてもらった。どんな仕事もすぐに理解し、抜群にできた。筆者の原稿のミスなども指摘してくれていた。

学生時代に週刊朝日のインターネット放送に出演していた高橋まつりさん
学生時代に週刊朝日のインターネット放送に出演していた高橋まつりさん

 就職活動の時期には、

「私、電通に通ったんですよ!」

 と電話でうれしそうに報告してくれた。大きな会社でも間違いなく活躍し、将来が嘱望されていたはず……。

 命を絶ったあの日から7年。まつりさんの命日にあわせて幸美さんを訪ね、遺影に手を合わせた。

「今もずっと頭のなかはまつりのことばかりです。片時も忘れることはありません」

 幸美さんがそう話す。まつりさんのベッドを今も使っているという。目の前には、まつりさんの大きな肖像画や写真、まつりさんが大事にしていた財布など、思い出の愛用品が置かれている。

「今年は私にとっても大変でした。なんとか、この日を迎えることができたのも、まつりが助けてくれた、守ってくれたんだと思っています」

 幸美さんは今年、子宮体ガン(子宮内膜ガン)が見つかり、7月20日に手術をした。

NEXT

他の会社からみればブラックでしょうかね

1 2 3

あわせて読みたい

  • 【電通過労死から5年】高橋まつりさん母の手記全文公開 在りし日の笑顔

    【電通過労死から5年】高橋まつりさん母の手記全文公開 在りし日の笑顔

    dot.

    12/25

    NHKで再び過労死 遺族は「風土変わっていない」と当事者外しに憤り

    NHKで再び過労死 遺族は「風土変わっていない」と当事者外しに憤り

    週刊朝日

    11/18

  • サイゼリヤ、バイト女性「セクハラ」自殺の謎 詳細な日記が示すのは

    サイゼリヤ、バイト女性「セクハラ」自殺の謎 詳細な日記が示すのは

    AERA

    11/20

    高橋まつりさんの母、幸美さん独白4時間「上下関係が苦痛 寝させない拷問」

    高橋まつりさんの母、幸美さん独白4時間「上下関係が苦痛 寝させない拷問」

    週刊朝日

    2/3

  • 電通社員・高橋まつりさんの墓前で母が語る大阪・心療内科放火殺人への怒り【死去から6年】

    電通社員・高橋まつりさんの墓前で母が語る大阪・心療内科放火殺人への怒り【死去から6年】

    dot.

    12/26

別の視点で考える

特集をすべて見る

この人と一緒に考える

コラムをすべて見る

カテゴリから探す