外苑の樹木の伐採の記事を読んでいて、Lafcadio Hearn (小泉八雲)の
The Story of Aoyagi
https://www.sacred-texts.com/shi/kwaidan/kwai13.htm
を思い出していた。
樹木の精霊と暮らす侍の話で、子供のときに読んで、強い印象を持っている。
日本の人が、樹木に精霊が宿ると信じ始めたのは、皮肉なことに、製鉄の必要のために、山地の森を、まるごと禿げ山にしてしまったからだ、という説を読んだ事がある。
へえ、そんなことがあるのか、とおもって、いろいろな本を読み漁っていたら、不思議なことに気付いて、日本の歴史は樹木を大切にする時期と、木を伐りまくる時期に分かれていて、
木を切り出すと、日本は国として、衰退に向かい始めている。
今度もそうかな、とはおもうが、もうなにしろ、むかし訪問したときの記憶も定かでない国のことなので、好きな国だとは言っても、大好物で、むしゃむしゃとベンキョーした言語はまだなんとか読み書きを出来てはいるが、憤りや怒りの気持ちは起きては来ません。
ただ場所が生活圏の一部だった外苑なので、どこか胸の片隅で、チクリと刺すような「痛み」がある。
クリケットの国に生まれたが、野球も好きで、ほんとうの話だと受け取ってもらえる人が、日本のような冷笑大国に、いるはずもないが、いま考えると真剣にキャリアの端緒にするべくやってきていた人たちには申し訳なかったが、若気の至りで、冗談半分でテストを受けに行ったら、
「プロになれば成功する」と、おおまじめに言われたことがある。
それやこれやで、野球とは縁がなくもないが、外苑には、アメリカ人友や、モニと、キャッチボールをやりに行ったりしていた。
神宮第二球場の周りにはキャッチボールに最適な場所がたくさんあって、そのうえモニは、外苑の森のなかのバッティングセンターが気に入ってもいたようです。
あの第二球場は、他国人から観れば、羨ましい施設で、草野球の最高峰、という発想は、
文化としての野球が長く発達した国でないと持てない。
ニュージーランドで言えば北島と南島のあちこちにある草カーレース場か。
高校野球の地区予選よりも、草野球の殿堂というほうに、いつも文明を感じたものでした。
なんだか頭が禿げたおっちゃんのような絵画館は、間抜けな建物で (失礼)、なかに入ってみたことがある義理叔父によると、建物のなかに飾られているのは天皇の肖像画で、こちらはマヌケどころではない、日本の天皇家のセンスの悪さまるだしの、「まあ、国家主義の見世物小屋みたいなとこだね」だそうだったが、あとは、おおむね、場所として、釣り合いが取れた、
なによりも都会らしい空気がある、よい場所だったとおもっています。
なにより、銀杏並木が好きで、ざあああっ、と音を立てて落ちてくる、誇張していえば黄金の滝のような落葉のなかを、モニとふたりで散歩するのが好きだった。
日本は利権がすべてを決定する国なので、あの杜撰な絵で描かれた、田舎染みた、ショッピングモールに外苑も姿を変えてしまうのでしょう。
東京に残っているイギリス人友は、「東京の地方都市化の一環」と述べて、もう十年住んでいるが、
日本の人が考えることは判らない、と述べていたが、同時に、ここは元々こういう国なんだよね、と悟った人のようなことを述べていた。
根津美術館があって、ブルーノートがあって、名前は書かないが、馴染みのインド料理屋やカフェがあって、青山は、ド退屈な麻布/広尾とは異なって、嫌いな街ではなかった。
義理叔父が、よく話して聴かせてくれた、「ユアーズ」や雪印乳業のパンケーキレストラン「SNOW」があって、ニコルズや、いまのベルコモンズが建っている場所にあったという、場違いだったんじゃないの?という「つばめホール」というパチンコ店の話で、まるで自分でも中進国の終わりにあったはずの日本を直に知っていたかのような、錯覚が起きているからかも知れません。
むかしの東京の話を鎌倉ばーちゃんや義理叔父の口から聞いていると、
青山は「名前倒れ」で、歌やドラマで取り上げられる割には、ビジネスが成り立たない土地で、
紀伊國屋スーパーマーケットくらいが、うまく営業しているだけで、残りは、ほんとうに名前だけだった、という。
それでも生き残ってきたんだね、いまは、けっこういい街じゃない、と言うと、
外苑の森がおおきいんじゃないかな、と述べていた。
東京はむかしは「原っぱの文化」と言ったんだけどね、青山は外苑のせいで「森」の印象があって、言ってみれば「東京の良心」みたいな印象の街だからね、と、もともと渋谷の西原で育った人が言う。
なんか、人品がいい、きみがよく使う表現を借りると、decentな感じがするのよ、と述べて独りごちている。
いまの国際大学があるところは原っぱで、そこでキャッチボールや「ふたり野球」をやると、外苑にあった長崎料理の「吉宗」に行く。
ああ、チャンポン、おいしいよね、と言うと、
意外や意外、
「それがね、もともとは、あの店、チャンポンはなかったんだよ」と言います。
「皿うどんと角煮」
で、森を歩いて、青山の一丁目に抜けて、天気が良ければ乃木坂、六本木と歩いていた。
トトロを観ていると、日本の人の、日本人をここまで守って育てて来た、自分たちでは、よく判らないと考えている、なにものかへの「畏敬」の念は、要するに、日本の稠密で、ぎっしりした、森への畏れと敬意ではないかとおもう。
あのトトロの森は、稲城のアメリカ軍のレクリエーションセンターに行くと、そっくりそのまま、残っています。
旧陸軍の弾薬庫だったそうだが、夜更け、基地のなかを散歩していると、裸電球の下で、トトロがバスを待っていそうな気がする。
いつか、自分が体験した日本の、とんでもないカッコヨサを両親の友人たちにも教えてやろうと考えて、ロンドンの家で、宮崎駿の上映会を開いたことがあったが、「もののけ姫」では、
「なんだかシリアスな映画なんだな」と気乗りしない様子だった人たちが、
トトロでは、笑い、真剣な顔になり、あのトトロたちが踊って、樹木の種が、急速に空に向かって成長して、みるみるうちに大樹に育つシーンでは、おっちゃんもおばちゃんも目に涙を浮かべていた。
樹木は、世界中、均しく通用する普遍の言葉で、
木を大事にする文明には、自然と好感を抱くし、無造作に木を切り倒す文明に対しては軽蔑を感じる。
そうか、もう東京を再訪しても、あの銀杏並木の道を歩けないんだな、とおもうと、ちょっと感傷的な気持ちになります。
しかし、はっきり言うと、(はっきり言ってごめんだけど)、ひとつの文明が下り坂にかかって、「落ち目」になるとは、こういうことなのでしょう。
だいじょうぶ。
外苑の木々は東京都と三井不動産の、70年代からの、いつもの東京破壊連合軍が、どんどん切り倒しても、
ぼくのなかには、「松風」という素晴らしい表現がある日本語そのままの、
木々の枝を揺らす風の音や、揺らいで、やさしく肩にかかる、銀杏並木の木洩れ日の記憶が残っている。
ぼくの頭のなかの「東京」は誰にも壊すことが出来なくて、
細部を忘れてしまっても、たくさん撮った写真もあいまって、
いつまでも、存在しつづけていくでしょう。
子供のころ、あんなに好きだった東京は、跡形もなく失われていくけれども、
日本は日本で、自分は外国人にしかすぎなくて、日本の人がやることに、いちいち口出しする気にもならなくて、黙って、友だちだった外苑の木々が伐られていくのを見ています。
さよなら、を言いに行けなかった。
最後まで、不実な友だちだったけど。
ハーンの「青柳の物語」は、最後、
樹木の精が、みるみるうちに、かき消えて、「腰よりも低くなって」
最後には着ていたものだけが残って、虚ろだけが残った、と記録者は書いている。
空虚の都市になった東京を、また訊ねてみたい、と考えることがあるだろうか。
Categories: 記事
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