堀江貴文さん

タイムリーな重大ニュースや時事・社会問題について、忖度ナシの解説や空気を読まないコメントで、たびたび大きな物議を醸す堀江貴文氏。一方で、Twitterフォロワー数358万人、YouTubeチャンネル登録者数165万人、総視聴数は5億回を超え、堀江氏への支持は根強く、賛否を含めた注目の度合いはますます大きくなっている。そんな堀江氏が旧来の価値観から新しい条件に変わったと主張する「信用」をメインテーマにした初の著書『信用2.0』から一部を抜粋・再構成して紹介します。

信用とは「他者からの評価」

信用とは、ひと言で言うと「他者からの評価」である。

「あの人ならこれを任せられる」「あいつはこれくらいやってくれるはずだ」というポジティブな評価こそが、信用の最も本質的な要素だ。

ここから言えることは2つある。

1つは、信用は「相手がいてこそ成り立つ」社会的な概念だということだ。

自分以外のだれもいない世界があるとすれば、そこには信用というものが存在し得ない。

自分以外のだれかがいるからこそ、「あの人は信用できるだろうか」とか「なぜあの人は俺を信じてくれないんだ!」といった感情が生まれる。

もう1つは、あくまでも信用は「人による評価」に基づいているということだ。

だから、Aさんが上司から信用されていて、「君にならこのプロジェクトを任せられる!」と言われたとしても、実際にAさんがそのプロジェクトを成功させられるかはわからないし、そのための十分な能力があるとも限らない。

あくまでも上司が勝手に「Aさんは信用できる人物だ」という評価=価値判断を下しているにすぎない。

この基本的な2つのポイントを押さえると、信用は「資産」としての性格を持っていることがわかる。

これは、資産の代表格である金融資産のことを考えてみれば、イメージしやすいはずだ。現金の価値は、社会のなかでの経済活動に支えられている。また、たとえば「株式」の価格なども、投資家たちの評価によって決まっている。

すごく大まかな言い方をするなら「信用はお金に似ている」のである。

だから、信用がある人は、評価してくれる人たちから支援を受けることができる。

支援の内容はさまざまだ。労働力かもしれないし、情報かもしれない。経験や知識の場合もあるし、金銭かもしれない。他者から信用されればされるほど、自分が何かやろうと思ったときに、こうした支援を手厚く受けることができる。

信用があれば、やりたいことができる可能性が高くなる。何かに挑戦して、成功する確率が高くなる。新しい世界が開ける。ひと言で言うと、楽しく充実した人生を送ることができるというわけだ。逆に信用がなければ、そうした人生を送ることが難しくなる。

そして大事なのは、信用こそが「最も貴重な資産」だということだ。これに比べれば、現金や株式、仮想通貨といった金融資産など、とるに足りない。

いまだに「堀江はカネの亡者だ」といったことを言う人がいるが、これはまったくの誤解だ。

これまでぼくは、お金を増やすために何かをしたことはない。むしろ、いつも考えているのは、いかにして信用を増やすかである。

だから、もし「堀江は信用の亡者だ」と言われれば、それは否定しようがない事実である。

信用こそが「カギ」

なぜぼくが信用にそこまでこだわるかと言えば、それはやりたいことがたくさんあるからだ。

人は社会的動物である。1人では、あまりたいしたことはできない。何かを手に入れるためには、何かを成し遂げるためには、できるだけ多くの人から協力を得られるに越したことはない。

そのためには、より早く、より多くの信用を手に入れることがカギとなる。

お金はいくら増やしても、幸せになれるとは限らないし、トラブルを生んだりすることもある。なかには、かえって不幸になる人もいるくらいだ。


だが、信用はどれだけ増えても困ることがない。信用を集めれば集めるほど、間違いなくいろんなことが思いどおりになるし、そのせいで人生が狂ってしまうなんてこともない。

お金や知識が不足していても、信用があればなんとかなる。

だが逆はない。ほかのすべてを持ち合わせていても、信用がなければ、何かを成し遂げることは難しいし、たとえ成し遂げたとしても、小さな成功しか得られない。

仕事でも人生でも、とにかく追い求めるべきものは「信用」である。

いかにして、他者からのポジティブな評価を獲得し、「あの人なら間違いない」と思ってもらえる状態をつくるかである。

貪欲に集めるなら、「金融資産」ではなく「信用資産」である。

信用さえあれば、あとからすべてがついてくる。 

(堀江 貴文 : 実業家)