【第5回】山岸凉子の「日出処の天子」が引き起こした大騒動
2019年7月29日
勝手に推理する!虚報の原因
何故、こんな誤報、ではなく捏造記事が出てきたのでしょうか。
ここから先は、私の妄想だと考えていただいて結構です。この捏造記事を書いた記者は、「日出処の天子」の愛読者ではなく、何かの機会に「いやあ、同性愛者で、超能力者の聖徳太子を描いた漫画があるぜ」等といった垂れ込みを受け、日頃読んだ事もないような少女漫画に眼を通して、驚愕の内に「思い込み」を記事にしてしまったというところでしょう。
もちろん、この記者にも「何とか大向こうを張る記事をものにしたい」というプレッシャーもあったのでしょうが、少なくとも少女漫画に対する、愛情であるとか、敬意は全く感じられません。この記者のその後については、知る由もありませんが、本当は、この事件を検証して、当時の人々の考え方の枠組みや自覚されない硬直した価値観などを解きほぐして行く行為が望まれるのではないか、と考えています。
この事件には、一読者として、大きな教訓を学びました。それは、当時一部の読者や識者が抱いていた「少女漫画が世の中に市民権を受けてきた」等という考えは、思い込み以上の何ものでも無かったこと。世の中の大多数は、少女漫画の革新性や新規性、切り開いてきた荒野の大きさには、全く無知であるという事実でした。
もう一つ、自分自身が自問している問いかけがあります。それは「法隆寺はカンカン」であったり、過去の偉人である「聖徳太子の尊厳を冒している」という議論に対し、ちゃんと反論する事ができただろうかという反省です。
意外に、自分自身の中の固定化した価値観やタブー意識に直面しそうで、しっかりとした反論を展開できるか、回答を模索しているところです。そういった中で、法隆寺の一貫した「読んでいないので評価できない」「教義の参考とさせていただきます」といった主張、スタンスは、ある意味、宗教者の懐の大きさを示すものではなかったのか、と感じています。
「日出処の天子」の明日はどっちだ!
幸い、この作品は、文庫版、あるいは、もう少し大判の「完全版」で新品として入手可能です。いやあ、この完全版は、続編の「馬屋古女王」も掲載されているし、何よりもカラーの扉絵が再録されており、「コンプリートは目指さない!」が座右の銘である私も、ついついアマゾンでクリックしてしまいました。もう、満足しています。
本当は、この原稿には後段があって、「ある超有名少女漫画家が喧嘩を売ってきた騒動」について記述する予定でしたが、文章も長くなりそうだし、ちゃんと自分の目で裏取りを、もう少ししておきたかったので、次の回での掲載とさせていただきます。
余談ですが・・・
この原稿(や次の原稿)を書くに当たって、古い新聞や雑誌を調べに、鶴前中央図書館や愛知県図書館に通いました。いやあ、入手できなかった古い雑誌のバックナンバーなんぞは国立国会図書館から複写を取り寄せようと苦労している真最中です。
この場で、図書館への謝辞と、司書の皆さんの親切さに、感謝の念を述べさせていただきます。
更に、古い新聞の縮刷版を読んでいると、本来の調べ物以外の「ノイズ」(当時の広告だったり、ちょっとした記事)に触発される私がいます。寄り道が好き過ぎて・・・原稿が遅い言い訳とさせていただきます。
本当にすいません。
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