葉山が好きだった。
鎌倉ばーちゃんの家から、ルーフラックにカヤックを載せたクルマで、森戸海岸だろうか、
ところどころに平らな岩がある海岸に出ると、いま考えると嘘のようだが、当時は日本では珍しかったカヤックで、パドリング名人のかーちゃんに遅れないように、必死に両腕を動かしてついていった。
なにしろかーちゃんは、スローモーションでパドルを動かしているとでもいうように、ゆっくりゆっくり水を搔いているのに、ギアがトップスピードに入っているロードレーサーのように、水の上を、すごいスピードで滑って行く。
遠く離されないようにするのが必死で、ほんとうは、かーちゃんにはかーちゃんの思惑があったのだと思われるが、非情におもえて、子供なのでバカで、血がつながってないのではなかろーか、と愚かなことを考えたりした。
一瞬、ですけどね。
沖で、パドルの手を休めて、ゆらゆら揺れているかーちゃんと、パドル同士でカヤックを橋渡して陸のほうを眺めると、もうこれは何度も書いていて恥ずかしいが、連合王国やニュージーランドでは、滅多に見られないような、雄大で、真っ白に輝く積乱雲が、低い山の後ろに立ち上っていて、きらきらと白色に輝く垂直な雲を眺めながら、日本は、なんて素晴らしい国だろう、と考えたりした。
陸に戻れば、「スエヒロ」の、しゃぶしゃぶ食べ放題に連れて行ってもらえる。
どうしてなくなってしまったのだろう、といまでもおもう。
子供心にも、二皿目からは、いきなり肉の質が落ちるサービスは可笑しかったが、
給仕のおばちゃんたちもチョー親切で、いつでも、お腹が空いている、いやしい子供としては、
大好き、というより他にない場所だった。
江ノ島と葉山と、両方に支店があったが、いま思い出そうとしても理由が判らない、葉山の店のほうが好きで、ここなら毎日来てもいいです、と宣言して、笑われたりしていた。
いまは温暖化で暑すぎるのかも知れないが、そのころは、東京はもう気温が上がりすぎて、30℃を超える日が何日もあったが、葉山は、まだまだ「日本の夏」で、風のなかで忙しく揺れる「氷」の旗があるかき氷屋や、丘のうえのホテルにある、遠く相模湾が見渡せるカフェ、なにもかもが好きで、よく思い出してみると、ほんとうは、昼食を食べるテーブルにつくと、目の前には電線が視界を無惨に分断してあったはずで、折角の景色が台無しになっていたはずだが、子供には子供の天然フォトショップが備わっているので、記憶のなかでは、たいして気になってもいないようでした。
自然にも質がある。
ニュージーランドのように、手つかずの圧倒的な自然が美しい土地もあるが、いまどきの地球で、
そんなものが残っているド田舎はニュージーランドくらいのもので、イギリスなどは、イギリス人でも知らない人はたくさんいて、聴かされるとびっくりしているが、ブリテン島の「自然」なるものは100%人工的なもので、ロビンフッドで有名なシャーウッドの森も、人間が試行錯誤しながら一本一本、樹を植えるまでは、ただのみすぼらしい沼地にしか過ぎなかった。
長い文明がある国の自然なるものは、みな例外なくそうで、日本もまた、人間が計画して、樹をうえて、緑色の丘や平野をつくってきた。
もちろん、明らかに土地とあわない植林も、あちこちに存在して、夏の別荘を買った軽井沢の落葉松林などは、よい例で、鹿島の森と名前がついた、家の近所の森を初めて散歩したときから気が付いていたが、土壌とあっていなくて、実際に揺れているわけはないが、根が浅くて、まるで、あのおおきな木たちが、居心地悪そうに、ぐらぐら揺れているような気がした。
案の定、軽井沢には珍しい台風がやってくると、内陸に辿り着くまでには小さな台風になっていたのに、あちこちで根こそぎ落葉松の大木が倒れて、屋根を壊したり、道路を通行止めにしたりしていた。
ときどき出かけた店のウエイターの人などは、かわいそうに、自動洗濯乾燥機に、持っている服も下着も全部放り込んで、潔く裸ですごしていたら、台風がやってきて、倒れた木が電線を切断して、都合三日、人にも言えず、外にも出られず、カップヌードルで飢えを凌いで、いやあ、たいへんでした、と述べるので大笑いしたりした。
日本語ネットで観ていると、日本は、ほんとうに酷い国で、そうだよなあ、言われてみれば、そのとおりだったなあ、とおもうが、本人が記憶している日本は、わしガキの頃はもちろん、おとなになって再訪したときも、嫌な国どころかパラダイスで、くだらない人間は六本木や青山で会った自分とおなじ欧州系人のほうで、いったいこれは、どういうことか、と、よく訝しくおもうが、それも時間が経つにつれて、どうでもいいことになって、おぼえているのは、
なんだか、やたらときちんとして、畏まって、ほんの少し傾いて置かれている箸も、じっと見つめていて、たまらず、おもわず手を出して真っ直ぐに直してしまうような、
まるで社会ごとアスペルガー族であるかのような、口下手で、なんにも自然にはやれない、
大好きなギクシャク人間の集団である日本の人たちです。
前にも書いたが、日本の町で初めに訪れた観光地の奈良で、奈良ホテルの高い天井の部屋に泊まって、チンチンチンと、なんだかうっとりするような音を立てるスチームヒーターの音を聴きながら、運慶快慶の仁王像や、当時は柵もなにもなかった興福寺の五重塔で、すっかり興奮して、
興奮しつかれて、一家で下町へお昼ご飯を食べにいくと、洋食屋があって、生まれて初めて食べるオムライスを注文して、小さな小さなおばあさんが、給仕してくれて、ところが、手にもったトレイのうえのオムライスが、「ガイジン」への緊張でカタカタと揺れていて、
大丈夫ですかというわけにもいかないし、なにも気が付かないふりをしていたが、
そのアスペルガー族ぶりに、この国は、なんて素晴らしい国だろう、と考えて、
ここは自分にとっては特別な国なのだと、もうすっかり心に決めていた。
英語人の、「本なんて読んだことないんじゃないの?」と思える、理由もなくエラソーな、
「屈託がない」態度が嫌いで、英語世界全体をケーベツして暮らしていた後年は、
日本のひとたちの、あの頼りなさが好きで、思い出して、
自分が人間への信頼を取り戻すには、あの国で住んでみるしかない、と、段々に思い詰めていきます。
日本語を伝って、分け入ってみると、日本語社会は、当初のイメージとは随分違ったが、
それでも良いところは、案の定よくて、踏み込みすぎて、醜悪な人たちと言葉を交わさねばならなくなっただけのことで、やっぱりいまでも日本語を習得したのは良いことだったとおもっている。
日本語ネットの世界では、日本語ネットのリベラル系の「インフルエンサー」たちに包囲されるようにして、特にそのうちの数人に怨みを買って、十年ほども中傷の嵐に曝されたが、一方では、それを見ていて、おかしいのではないか、と述べるひとたちと、仮想世界であるのに、驚くべし、現実の友情が築かれていった。
広末涼子さんという俳優がいて、日本の俳優といえば、志村喬と東山千栄子、三船敏郎に中村伸郎で、あとは、英語人われらの大スター水野久美で、あんたは百歳を超えているんですか、な名前しか憶えない人間としては、例外的に憶えている人が、「不倫」だとかで、よおおおおし、来た!
チャアアンス、いっちょうみんなで、こいつの人生を終わりにしちゃろうぜ、と燃えに燃えた週刊誌にスクープされたが、その次に起きたことは、ああそうか、日本は段々日本になってゆくのだな、とでも言いたくなることで、これまでとは異なる意外な反応で、「ほっといてやればいいじゃないか」で、日本語週刊誌蒐集家として述べれば、そんな反応を日本語社会が見せたことはなくて、「革命的」と呼びたくなるくらいの進歩です。
日本は社会が低迷する痛みのなかで、確実によくなってきている。
これまでの近代日本の「外国に倣わなければ」ではなくて、広末涼子さんのケースでいえば、内在的な「日本」が変化して、日本語人たちは正しいものを見始めている。
ずっとヘンテコリンな「ガイジン」の立場から日本を眺めて来た視点から述べると、日本は目覚めつつあるのだとおもっています。
それもポーリン・ハンソンのオーストラリアのような、乱暴でアンポンタンな目覚め方ではなくて、日本の人らしく、内省的に、自分たちが正しいかどうか、ためらいながら、ゆっくりと、手のひらを見つめるひとのように、目覚めつつある。
一方では、肝腎要の日本語は、いままさに亡びてゆく最中で、以前、ときどきDMをくれた西郷輝彦さんが手紙のなかで述べていたが、その通りで、壊れてゆく日本と、再生されてゆく日本と、そういう言い方をすれば競争なのでしょう。
人間は自然天然に夜郎自大で、ガキわしが見た日本に、いまだに意識は囚われている。
葉山の海の沖から見上げた、あの積乱雲こそが、ぼくの日本で、あの輝かしさのなかから生まれた文明として、ぼくの日本は存在する。
日本の歴史は、おもえば、低きについて、「それ、やるといくら儲かるの?」と
正しくありたい、日本人としての誇りを持ち続けたい、という、考えてみれば、日本語世界から、あらかじめ欠落したintegrityへの渇望との狭間で、戸惑い続ける文明の歴史だった。
多分、そこにintegrityや「人間性」というキーワードを置き直せば、日本の人のことだもの、
あっという間に、あの鐙摺山の向こうに立ち上るgloriousな垂直な積雲のように文明は再び輝きだすのだとおもいます。
それに自動的につられるように、日本の経済も、起ち上がるのではないかと信じている。
….ぼくは、ちょっと甘いのかな。
いまの気持ちの低さを捨てて、気持ちを高く持つことが、日本の再生の鍵なのではないかとおもう理由がある。
いまの日本は、ごめんだけれど、簡単率直に述べて、ゲスな人間の天下です。
アングロサクソンの特殊な社会では、ゲスでも、なんとか扱えるように出来ているんだけどね。
日本語では、やや事情が異なるようです。
この言語社会では志操が高くなければ、なにも始まらない。
ほら。
岩田宏が述べているでしょう?
悲観とは ただの習慣だ
って。
俯いていた顔をあげて、空高く垂直に延びた積乱雲を見あげればいいのですよ。
日本語の垂直性に賭けるしか、日本の人が再生する道はないのだから。
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