■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第13話 英国女王陛下の音楽大使

日本交響楽協会(日響)の小林 公さんから、1989年秋の“英国女王陛下の近衛軍楽隊 – コールドストリーム・ガーズ・バンド日本公演”をバック・ステージから自由に学ぶ機会を与えられた筆者は、10月4日から11日までの約1週間、バンドに帯同した。

イギリスは、正式国名を“United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland”(グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国)といい、グレート・ブリテン島のイングランド、ウェールズ、スコットランドに、北アイルランドを加えた4つの国で構成される。“ユニオンジャック”もしくは“ユニオンフラッグ”と呼ばれる現在の国旗も、イングランド(聖ジョージ旗:白地に赤の十字)、スコットランド(聖アンドリュー旗:青地に白の斜めクロス)、アイルランド(聖パトリック旗:白地に赤の斜めクロス)の国旗の意匠を組み合わせたものだ。有名なレッド・ドラゴン(赤い竜)が描かれているウェールズ国旗だけは、長くイングランドに服属していた歴史的背景から、組み込まれていないが、エリザベス女王もウェールズ国旗を承認している。昨今話題のスコットランド独立が実現するような事態になると、国旗も変更される可能性が高い。

こんな背景をもつ連合王国だけに、女王が居住し、執務を行なうロンドンのバッキンガム宮殿を警護する近衛師団も、イングランドのグレナディア・ガーズ(Grenadier Guards)とコールドストリーム・ガーズ(Coldstream Guards)、スコットランドのスコッツ・ガーズ(Scots Guards)、北アイルランドのアイリッシュ・ガーズ(Irish Guards)、ウェールズのウェルシュ・ガーズ(Welsh Guards)の5箇歩兵連隊で構成されている。

イギリスが他と違うのは、それら5つの近衛連隊すべてが、音楽監督1人と楽員49名で構成される定員50名の固有の吹奏楽団を有していることだろう。それらは、グレナディア・ガーズ・バンド、コールドストリーム・ガーズ・バンド、スコッツ・ガーズ・バンド、アイリッシュ・ガーズ・バンド、ウェルシュ・ガーズ・バンドと呼ばれる。例年5月にホース・ガーズ・パレードで挙行される“トゥルーピング・ザ・カラー(Trooping the Colour)”と呼ばれる女王公式誕生日の軍旗授与式のセレモニーなどでは、スコッツ・ガーズとアイリッシュ・ガーズのバグパイプ鼓隊や他のガーズの鼓隊を加えた250名を超す大編成の合同演奏で行う。BBCは、その模様を毎年放送するので、彼らの演奏は英国民にすっかりおなじみとなっている。(軍縮前の定員は、各66名だった。)

この内、最初に日本にやってきたバンドは、1970年に大阪で開催された「日本万国博」のイギリス・ナショナルデーのために派遣され、東京でも公演を行ったスコッツ・ガーズ・バンドだった。ついで、1972年、パレードを含め、全国24回のパフォーマンスを行なったアイリッシュ・ガーズ・バンド。その後、日響の小林さんが訪日を要請した1986年のコールドストリーム・ガーズ・バンド、東京ドームのオープニングを記念して開催されたイベントに招かれ、大阪でも公演を行った1988年のウェルシュ・ガーズ・バンドとつづく。1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」には、香港に来演中のグレナディア・ガーズ・バンドから分派された小編成の名物アンサンブル“18世紀バンド”が来日している。

1972年のアイリッシュ・ガーズから、1986年のコールドストリーム・ガーズまで、かなりの期間が空いているが、それは、アイリッシュ・ガーズの招聘元からバンドへの出演料支払いをめぐる重大トラブルが発生したからだ。結果、招聘元は解散。プレイヤー全員がユニオンに入っているプロ・ミュージシャンだけに、これはたいへんな事態となった。その後、イギリス国防省が“女王陛下の音楽大使”であるガーズ・バンドの日本へのツアーをけっして認めようとしなかったのも無理はない。

小林さんは、招聘まで1年余計にかかってしまったと言われていたが、1986年のコールドストリーム・ガーズ日本初公演が実現したのは、偏に折衝に当った小林さんらの熱意と誠意が相手に通じたからに他ならない。

筆者がツアーに同行を許されたのは、その3年後、1989年に行われた2度目の来日ツアーだった。

公演は、バラエティーに富んでいた!!

10/4(水)、音楽監督ロジャー・G・スウィフト少佐(Major Roger G. Swift)らとロンドン以来の再会。この日の非公開の公演先である成徳学園では、コールドストリーム・ガーズ単独ステージのほか、同学園吹奏楽部との合同演奏のステージが組まれていた。当日リハーサルだけに多少の混乱はあったものの、手慣れたスタッフの誘導も功を奏し、すばらしいステージとなった。

▲成徳学園でのステージ

1日休みをとった10/6(金)の東京文化会館大ホールは、招聘元・日響の本公演。小林さんがもっとも日本の聴衆に愉しんで欲しいと思っていたステージで、ロビーでのグッズ販売もメンバーが対応。あちらこちらで入場者のリクエストに応えて即席のフォト・セッションが行われるほど、大盛り上がりのコンサートとなった。

▲東京文化会館(友人提供)

10/7(土)の米沢市営体育館(山形)では、広いフロアを使ったマーチング・ドリルとコンサートをミックスしたプログラムだった。マーチングはお手のもののはずだが、会場に入るや、フロアの広さをチェックし、入念なリハーサルが行われた。このあたり、正しくプロフェッショナル。ユニフォーム姿ではない思い思いの服装でのマーチングでも、姿勢や陣形がまったく崩れないのは、さすが第一級のバンドを感じさせた。このとき、少しチューニングに微妙なズレが感じられたので、日響スタッフを通じてスウィフト少佐に伝えてもらうと、コンサート・リハ前に、ハーモニーでサウンドを整えていく珍しいシーンに遭遇した。いつも同じメンバーでやっているからだろうが、アッと言う間に豊かで輝かしい響きを取り戻していく彼らに、あらためて惚れ直すことになった。

▲米沢市営体育館

ここで2日間オフがあり、次の出番は、10/10日(火)、愛知県豊明市の藤田学園での非公開の学内公演となった。ここは、まるでヨーロッパの宮殿のような美しい内装の“フジタホール2000”(2000人収容)でのフル・コンサートと、聖火台のあるスタンドとナイター設備も整った“総合フジタグラウンド”でのマーチング・ディプレイの2本建てだった。コンサートでの最大の収穫は、ジョン・ゴーランド(John Golland)の『ユーフォニアム協奏曲第1番(Euphonium Concerto No.1)』(独奏:ジョナサン・スミス)のウィンドオーケストラ版日本初演をナマで聴けたこと。また、ナイターで行われたディスプレイでは、緑の天然芝の上で、伝統のマーチングを繰り広げるコールドストリーム・ガーズのフォーメーションが、カクテル照明に映え、とても美しかった。

▲藤田学園でのショー

翌日の10/11(水)、滋賀県の大津に移動。コンサート前の一仕事として、バンドは、JR大津駅前から会場の滋賀会館までパレードを行なった。途中、バンドの進行ルートの路上中央部に陣取ったどこかのメディアのカメラマンと衝突寸前のハプニングも。思わず、トロンボーン奏者が“あぶない!”と大声を張り上げたが、英語がわからないためか、いい絵を撮りたいためか、カメラマンはそのまま撮影を続行。結局、行進するバンドの中央部あたりを辛うじてすり抜けるような形となった。パレード終了後、メンバーも口々に“あれはクレージーだ!”と言い、同じ日本人として何とも言えない気持ちとなった。しかし、ハイノートが炸裂するアメリカのデニス・エドルブロック(Dennis Edelbrock)のファンファーレ『サリュート・トゥー・ア・ビギニング(A Salute to a New Beginning)』 でこの日のコンサートが始まると、気分一新、メンバーたちはいつものミュージシャンの姿に戻っていた。すっかり名物となったケヴィン・コーツ曹長独奏の『ポスト・ホーン・ギャロップ(Post Horn Gallop)』も場内からヤンヤの喝采を浴びていた。

▲JR大津駅前から会場の滋賀会館までパレード

▲滋賀会館でのステージ

コールドストリーム・ガーズとの珍道中もこの日でお別れ。

この間、主催者の要望に応えようとするバンドのミュージシャンシップ、臨機応変の対応をする音楽マネージャー、想定外のハプニングのカバーリングなど、聴衆が興奮するステージの裏側で、さまざまな人々がそれをサポートをしている姿を目の当たりにすることができた。特筆すべきは、この間1つとして同じスタイルの公演はなかったことだ。これは地元主催者との緻密な事前折衝と演奏者との信頼関係があって、始めて成立する世界だ。

現場では、小林さんの著『85%成功するコンサートの開き方』(芸術現代社)に書かれたノウハウが見事に具現化されていた。

2017年までに、コールドストリーム・ガーズは、都合13度の来日を果たしている。これは、このバンドがどれだけ日本人のハートを捉えているか、その証明のようなものである。

大津からバスで京都のホテルに到着後、この間すっかり仲が良くなったトロンボーン軍団が、筆者のために気持ちのこもった小さな誕生パーティーを開いてくれた。

若き日の想い出の1ページである。

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