Text:樋口幸弘
Contents [とじる]
第3話 スパーク“ピッツバーグ交響曲”
イギリスの作曲家フィリップ・スパークは、これまでウィンドオーケストラのための交響曲を3曲、シンフォニエッタ(小交響曲)を4曲発表している。だが、彼が“交響曲”とネーミングした作品は、前記以外にも2曲ある。
最初の交響曲は、10代に書いた管弦楽作品だった。
フィリップと知り合った頃、それがどんな作品なのか一度質問したことがある。
その時、彼は『若気の至りで書いた習作のようなものなんで、その後行方不明になったスコアが二度と陽の目を見ないことを祈っているんだ!』と笑い飛ばしていた。
スコアが紛失されているので、それは永遠に謎となってしまった。
もう1つは、ブラスバンドのための作品『ピッツバーグ交響曲(A Pittsburgh Symphony)』だ!
そのルーツは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ(Pittsburgh)を本拠とするプロのブラスバンド“リバー・シティ・ブラス・バンド(River City Brass Band)”の委嘱作として1987年に作曲され、1988年2月に初演された“山の歌(Mountain Song)”(後に、シンフォニーの第3楽章に組み込まれる)にまで遡る。
リバー・シティ・ブラス・バンドは、ピッツバーグ市のBGMに演奏が使われるほど同市では有名な存在。実際、『市内のBGMから「山の歌」が流れてきたのには驚きました!』という土産話を木村寛仁さん(大阪音楽大学教授)から聞かされたことがある。
フィリップとスタン・キッチン(英Studio Musicのボス)に誘われ、3人でクリスマス・コンサートを聴きに行ったことがある。テナーホーンの代わりにフレンチ・ホルンが使われていた以外は、イギリスのブラスバンドと同じ編成を採用していたが、トータル・サウンドは、ややアメリカナイズされていた。
作曲家としても知られる指揮者のロバート(ボブ)・バーナット(Robert Bernat、1931-1994)は、開演前に5番目の奥さんと仲良く連れだって現れた。フィリップとおしゃべりを楽しんでいる筆者を見つけると、遠い国から現れたかつての敵国人“ジャパニーズ”に興味津々。ニヤリと笑いながら『日本人と話すのは、小澤征爾以来だ。』と嘯く挑発的な第一声は、パンチが効いてなかなか強烈! しかし、その一方で、アメリカでのプロ楽団の運営についての質問には丁寧に答えてくれ、コンサートでは、超満員の聴衆に向って、ユーモアを交えながら筆者を特別なゲストとして紹介してくれた。
そして、ロバート・バーナット、この人こそ、『ピッツバーグ交響曲』成立の推進役を果たした人物だった。
1987年に完成した委嘱作“山の歌”に感銘を覚えたバーナットは、ついで作曲者に“2曲を加えて組曲にしてほしい”という追加リクエストをする。当時、フィリップは多くの委嘱をかかえ多忙を極めていたので、“1年に1曲を書いて完結させる”という条件をもとにそれを承諾。その際2人は、完成時の曲名を「リバー・シティ組曲」とすることでも合意した。
この流れで“山の歌”についで1988年に書き上がったのが、“リバー・シティ・セレナーデ(River City Serenade)”(後に、シンフォニーの第2楽章に組み込まれる)である。
アレゲニー川とモノンガヒラ川の2つの流れが合流し、オハイオ川の起点となるロケーションに広がる都市ピッツバーグのイメージから着想した川の流れを感じさせる美しいセレナーデだ。
“リバー・シティ・セレナーデ”のスコアを受け取ったバーナットはたいへん喜び、この後、約束どおり1989年にフィリップがもう1曲を書き加えてくれれば、2人の組曲計画は無事成就するはずだった。
しかし、ここで思いもよらぬ事件が勃発する!
なんと、組曲完成予定の1989年、フィリップが3曲目を書く前に、やはりバーナットから新作を頼まれていたアメリカの作曲家ジェームズ・カーナウ(James Curnow)が、その名も『リバー・シティ組曲(River City Suite)』というブラスバンド作品をリバー・シティ・ブラス・バンドの委嘱作として完成させてしまったのだ!
ここで、カーナウの名誉のために書いておかないといけないが、彼は2人のプランをまったく知らなかった。曲名が同じになったのもまったくの偶然だった。
一方で、大慌てのバーナットは、フィリップにさらに1曲を加えて4楽章構成の“交響曲”にして欲しいとリクエストを拡大する。
作曲の構想が完全に崩れてしまったフィリップは、最初難色を示したが、この当時(1989)、スイスのバンド・コンテスト“ムジークプライス・グレンヘン 1990(Musikpreis Grenchen 1990)”から委嘱されてテストピース(課題)として書き上げたばかりのウィンド・バンド(吹奏楽)のための作品『シアター・ミュージック(Theatre Music)』の第3楽章“フィナーレ(Finale)”を改作すれば、曲をしめくくる終楽章らしい音楽になると思いつき、バーナットにこれを提案。同意を得られたことから作曲を再開する。
こうして、1989年に吹奏楽曲『シアター・ミュージック』の第3楽章“フィナーレ”を改作し、シンフォニーの第4楽章となる“バーレスク(Burlesque)”が完成。
ついで、1990年、作品の幕開けにふさわしいファンファーレで始まり、シンフォニーの第1楽章となる“ピッツバーグ序曲(A Pittsburgh Overture)”が作曲され、1991年に初演。4楽章からなる『ピッツバーグ交響曲』が完結した!
手許にあるこのシンフォニーの手書きスコアのファクシミリ・エディション(現在、入手不能)を見ると、以上の経緯がよくわかる。
単独曲として書かれた第3楽章“山の歌”、組曲の1部として書かれた第2楽章“リバー・シティ・セレナーデ”のページには交響曲を類推させる記載が全くないのに、4楽章構成の交響曲になることが決まった後に書かれた第4楽章“バーレスク”のタイトルまわりには[From “A Pittsburgh Symphony”]、第1楽章“ピッツバーグ序曲”にはカッコに入った[A Pittsburgh Symphony I]という作曲者手書きの文字が現われる。
また、『シアター・ミュージック』第3楽章“フィナーレ”と『ピッツバーグ交響曲』第4楽章“バーレスク”はまったく同一ではない。『シアター・ミュージック』第3楽章には、その第1楽章“序曲(Overture)”に使われている音楽的フラグメントの影響がハッキリと現われる一方、『ピッツバーグ交響曲』第4楽章では、可能な限りそれを省こうとしている。別の作品として音楽を扱っていたことが分かっておもしろい。
どちらかというと交響曲というより組曲の性格を有した作品だ、と作曲者が自ら語ったのも以上のような経緯から。
音楽のバック・ステージにドラマあり!!
『ピッツバーグ交響曲』の初演は、1992年2月6~15日、作曲者を客演指揮者に迎えたリバー・シティ・ブラス・バンドのシリーズ・コンサート“スパークラーズ&フローリッシ―ズ”で行われ、公演初日の会場は、モンローヴィルのゲートウェイ・ハイスクールのホールだった。
▲SPARK(E)LERS AND FLOURISHES プログラム
▲SPARK(E)LERS AND FLOURISHES 曲目
【関連作品】
■山の歌
作曲:フィリップ・スパーク
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8279/
■ピッツバーグ序曲
作曲:フィリップ・スパーク
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-9926/
■シアター・ミュージック
作曲:フィリップ・スパーク
https://item.rakuten.co.jp/bandpower/set-8137/
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言:第3話 スパーク“ピッツバーグ交響曲”」への1件のフィードバック