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2021年(令和3年)の年の瀬、もうあと少しで寅年の新しい年を迎えようとしていた12月18日(土)、筆者は、JR「新大阪」駅10時09分発、東海道新幹線“のぞみ8号”に飛び乗り、一路東京を目指した。どうしても年内に解決しておきたいテーマが出てきたからだ。
その命題とは、前話の《第160話 オール関西の先駆者たち》の中でもお話しした、かつて兵庫県西宮市立今津中学校教諭として同校吹奏楽部の指導にあたり、全国的にその名を知られた得津武史さん(1917~1982)が月刊誌「バンドジャーナル」(管楽研究会編集、音楽之友社)に連載した自伝エッセイ「吹奏楽部の息子たちといっしょに」の全貌をリサーチすることだった。
掲載当時、得津さんが本音で綴ったこのエッセイは、吹奏楽をこよなく愛す人々がこれまた吹奏楽をこよなく愛す人に向けて執筆、責任編集した本作りに特化していた“管楽研究会編集”当時の「バンドジャーナル」の中でもかなり異色の連載で、全国的に大きく話題を呼ぶ読み物となった。(参照:第135話 我が国最高の管楽器奏者による《マーチの極致》)
筆者も、若い頃に何回かバックナンバーで読んだ記憶があり、2006年(平成18年)に刊行された西谷尚雄著「天国へのマーチ ─ ブラスバンドの鬼 得津武史の生涯 ─」(かんぽう)にもリライトされて引用されていることは知っていたが、実のところ、オリジナルの連載がいつ始まって、いつ終わったものだったかについては、まるで情報を持ち合わせなかった。“昔、読んだことあるなぁ”という程度の記憶である。
ところが、2021年の7月からOsaka Shion Wind Orchestraの事務局に加わった齋藤庸介さんから個人所有の1966年(昭和41年)1月号を見せられ、あらためて得津さんの懐かしい文章に接した瞬間、筆者の中で何かがスパークした!
書いた人の人となりが伝わるオリジナルを埋もれさせてはならない!
殊に、伝説の多い個性の塊りのような人物については!
だが、瞬間的にそうは思ったものの、実際に半世紀以前の雑誌情報を見つけ出すのはなかなか至難のワザだった!
ただ、齋藤さん手持ちの1966年1月号に掲載されていたのが“第20篇”と“第21篇”だったことから逆算すると、連載が1965年のいずれかの時点から始まったことだけは、ほぼ間違いなかった。
その一方、その後どこまで続いたのかについては、現物を当たるしか方法が見あたらなかった。ただ、幸いなことに、手許に1967年1月号、3~7月号、10~12月号の現物もしくはコピーがあり、それらには「吹奏楽部の息子たちといっしょに」の頁がまったくなかったので、いかにも短絡的だが、1966年12月号あたりまでチェックできれば、ほぼ全貌がつかめるのではないかと予想できた。
そこで、いつものように、図書館データに蔵書検索を掛ける。
しかし、この当時の雑誌は蔵書がまるでなかったり、蔵書していても欠号が多いものだ。加えて、コロナ禍で一般に蔵書を開放していないところもあったりで、専門大学を含め、希望がかなう図書館は地元では見つからなかった。
こうなると東京に出張るしか手段がない。もっとも頼りになるのは、国立国会図書館だが、入館は時間帯で予約抽選制となっていたので、筆者のように田舎から出張るものには、不便なことこの上ない。検索のエリアを広げると、以前「月刊吹奏楽研究」(月刊吹奏楽研究社)の閲覧で利用したことがある東京文化会館の音楽資料室に、閲覧希望号が蔵書されていることがわかった。コロナ禍のため、利用時間に制限(換気のための途中閉館など)があったが、泊りがけで2日もあれば、希望資料の閲覧と必要箇所のメモ出しや複写が可能だと思えた。
そこで、1年3ヵ月ぶりの上京をいきなり決定。筆者の乗る“のぞみ”は、前夜からの関ヶ原付近の大雪による遅れも「名古屋」駅以東の爆走でかなり取り戻したようで、およそ11分遅れで「東京」駅に到着。「上野」駅界隈で昼食を済ませ、音楽資料室に入った。
資料室では、半年分ごとに合本として綴じられている1965年1月号から1966年12月号までの24冊を1頁ごとめくりながらチェックし、「吹奏楽部の息子たちといっしょに」の頁を探し出し、同時に休載号の有無もチェックした。
その結果、掲載号とエッセイ中の各小題は以下のとおりだった。
【1965年1~6月号】《掲載なし》
【1965年7月号】吹奏楽部の息子達と一緒に
(掲載初回)
この道を行く
その瞬間
文化さい果ての地
死んでもラッパは離しません
【1965年8月号】吹奏楽部の息子たちと一緒に
(目次頁の表記:吹奏楽部の息子達といっしょに)
(5)吹奏楽部に入るならヘルメットをかぶれ!
(6)物は使いよう
(7)アサター・ヒルター・ナイター
【1965年9月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(8)三六二日
(9)お弟子制度
(10)精神注入棒
(11)あいつ、コロシタル!
【1965年10月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(12)合言葉
(13)予算のとり方
(14)新兵器登場
(15)ジャリ・ゴミ・チリ
【1965年11月号】《掲載なし》
【1965年12月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(17)阪神キチガイ
(18)アルバイト
(19)夏の演奏旅行
【1966年1月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(20)今年もまた
(21)わが恩師
【1966年2月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(22)わが交友録
【1966年3月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(23)わが参謀録
(24)オカヤン
【1966年4月号】《掲載なし》
【1966年5月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(25)ホントに不思議な話
(26)おヨメさんさがし
(27)おもろいヤツら
【1966年6月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(28)送別会の演説のこと
(29)卒業する息子の中から
【1966年7月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(30)得津比紗子先生方 たけしさま
(31)校長先生のこと
【1966年8月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
ソーセージのこと
市会議員立候補のこと
Aのこと
マニキュアのタコハチ
ワルターズ氏との会話
【1966年9月号】《掲載なし》
【1966年10月号】《掲載なし》
【1966年11月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
○吹奏楽と野球のこと
○息子たちのアタマ
○わが教育長の巻
○演奏旅行の良いところ
○大マネージャーの松ちゃん
【1966年12月号】《掲載なし》
予定どおり、この日は、以上24冊の内容を確認。タイトルに微妙な使用文字の違いやナンバリングのズレ、《休載》もあったが、ついに2年間に13回掲載された人気エッセイを読むことができた。
また、事前チェックで、この後につづく1967年1月号、3~7月号、10~12月号の9冊には掲載がないことは確認済みだったので、普通に考えるなら、連載もここで終わった可能性があると思われたので、この日はここで調査を一旦終了。池袋のホテルにチェックインした。
翌19日(日)の朝食後、メモ類を点検して、複写モレの有無や追加必要事項を確認するため、再び上野の音楽資料室に参上した。午前中の冷静なアタマでもう一度現物と付き合わせるためである。
しかし、上野に向かう山手線の車中、ふとある不安が頭をよぎった!
ひょっとして、大阪で確認できなかった1967年2月号、8月号、9月号に何かあるかも知れないという心配性特有の直感である。
というのも、《休載》中の1966年10月号に、米盗勉(べいとうべん)さんの「今津中にもの申す」、同12月号にも、鈴木竹男さん(1923~2005)の「得津武史先生の西宮市民文化賞受賞」というエッセイつながりの記事を見つけたからだ。言うまでも無く、当時、阪急少年音楽隊や阪急百貨店吹奏楽団の指揮者として活躍中の鈴木さんは、かつて今津中学校吹奏楽部を創り、関西有数の中学校バンドに育てたあとを得津さんに委ねた前任の指導者であり、実際、記事中にも得津さんの秘話がいくつか語られ、とても面白かった。(参照:《第77話 阪急少年音楽隊の記憶》)
そして、結果からいうと、筆者の悪い予感は見事的中した。新たに資料請求した上記3冊の内、1967年2月号にも、もう一本、「吹奏楽部の息子たちといっしょに」が見つかったのだ。
そこで当然、前記リストには、以下を加えねばならない。
【1967年1月号】《掲載なし》
【1967年2月号】吹奏楽部の息子たちといっしょに
(掲載最終回)
おめでとう、豊島第十中学校
涙・いろいろ
拝啓 審査員殿
ありがとう、東北のみなさん
【1967年3~12月号】《掲載なし》
以上が、「吹奏楽部の息子たちといっしょに」のすべてである。
2021年の大晦日、わが家恒例の清荒神参りの道中、かつて梶本りん子マーチングスタジオに所属した弟と得津さんの話題でひとしきり盛り上がった。
聞けば、あるとき電話番をしていると、“梶りんさん”から『得津先生から電話がかかってくるから、くれぐれも粗相のないように。』と言われたことがあったそうだ。しばらくして電話がかかってくると、電話の相手は名乗ることなく、『ワシや!』とだけ言い、いきなり用向きを話したという。弟は、聞いていたからすぐ誰かわかったけれど、吹奏楽の指導者の中に『ワシや!』で通じる人がいると知って面喰ってしまったんだそうだ。
今、この『ワシや!』を覚えている人がどれほどいるだろうか。エッセイに触れた結果、遠い日々を思い出してしまった年末の午後だった。
▲LP – 栄光のトクツ・サウンド(日本ワールド、W-80005)
W-80005 – A面レーベル
▲W-80005 – B面レーベル
▲LP – 栄光のトクツ・サウンド 2(日本ワールド、W-80010)
▲W-80010 – A面レーベル
▲W-80010 – B面レーベル
バンドジャーナルは、赤松文治さんの所有していた創刊号から亡くなるまでの号が、LPその他資料と共に日本近代音楽館に寄贈されておりました。
その後、明治学院大に移されています。
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