■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第159話 ヴァンデルロースト「いにしえの時から」世界初演

▲プログラム – タッド・ウインドシンフォニー第17回定期演奏会(2010年6月18日、大田区民ホール アプリコ)

▲鈴木孝佳(同上、撮影:関戸基敬)

2010年(平成22年)6月18日(金)、東京・大田区民ホール アプリコ大ホールで、ベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)の『いにしえの時から(From Ancient Times)』ウィンドオーケストラ版のパブリックな世界初演が行なわれた。

キャストは、鈴木孝佳指揮、タッド・ウインドシンフォニー。初演は彼らの「第17回定期演奏会」で行なわれ、客席には、演奏を聴くためにはるばる日本まで飛んできた作曲者の姿もあった。

タッドWSのコンサートでは、よく見かける光景だ。

初演された『いにしえの時から』は、ヤンがそれまでに書いた最も密度の濃いウィンドオーケストラ作品であり、出版社が“グレード6”と表示したとおり、技術的に見てもひじょうに高度な作品だ。

タッドの組合員でも準構成員でもない部外者ながら、例によって、作曲者と演奏者との橋渡しの役回りを担うことになった筆者にとっても、生涯忘れ得ぬ作品のひとつとなった。

“記憶に残る”という点では、この日の記念碑的演奏を担ったプレイヤーたちにもこの作品は相当鮮烈な印象をもたらしたようだ。当時の初演関係者が集まると、今なお“あのときの「いにしえ」は…”と口にする人が多い。彼らの演奏家人生でたった一度やっただけの曲にも拘わらずにだ。実際、2021年(令和3年)10月15日(金)にアップロードした前話の《第158話:ヴァンデルロースト「いにしえの時から」ができるまで》を目にしたプレイヤーからも多くのメールが届いた。

翌10月16日(土)、大阪・難波で夜のミーティングを行なったホルン奏者、下田太郎さんも、そんな中のひとりだ。

下田さんは、タッドWSでは今や絶滅危惧種化した、かつて鈴木さんが指導者としてタクトをとった福岡工業大学附属高校吹奏楽部の出身で、タッドWSでも長年セクション・リーダーをつとめてきた。都内各オーケストラのほか、東京佼成ウインドオーケストラやシエナ・ウインド・オーケストラ、東京吹奏楽団などでもプレイし、フレデリック・フェネル(Frederick Fennell)が佼成ウインドを指揮したCD「スペイン狂詩曲」(佼成出版社、KOCD-3579、1999年)の『ボレロ』のソロが実は下田さんだったりする。

この日は、下田さんが所属するオーケストラ・ジャパンが、同年9月から12月の約3ヶ月間に全51公演・33都市を巡る「ディズニー・オン・クラシック」ツアーの大阪・堺市のフェニーチェ堺における公演日で、ミーティングはその終演後になった。

南海電車「なんば駅」改札で待ち合わせた我々は、道頓堀に居場所を定め、大盛り上がり。ふたりの話題の中心は、もちろん“いにしえ”の世界初演だった!!

『あのとき、“いにしえ”以外、何をやったか覚えてなかったんです。』

そう口火を切った下田さんは、前話に載せたチラシを見て思い出したそうだ。それほど“いにしえ”の印象がインパクトがあった証しだ。

振り返ると、あのときは本番前練習から驚きの連続だった。

『練習は、確か前2日でしたよね。』の筆者の問いかけに、『ハイ、2日です。』と下田さん。

筆者は、ヤンを引き連れて2日目の練習から参加したが、案内されたリハ会場は、千葉県市川市内のとある高校の音楽室だった。そこへフル編成のウィンドオケの他に、同校吹奏楽部の生徒も加わって満員すし詰め状態。クーラーも全開だったが、やたら暑い。いつも借りるリハ室が改修のために使えないための緊急措置という説明だったが、これにはヤンも目をシロクロ!

掛け値なしにギューギュー詰めだったので、筆者とヤンに用意された席も、サクソフォン奏者の新井靖志さんの真横約1メートルの位置。あまりにも近いので、目が合った新井さんから『緊張しますね。』との声も。そりゃそうだろう。自席のすぐ隣りにスコアを手にした怪しい部外者ふたりが座っているのだから…。

練習は、『バランスは、明日ホールのゲネでとります。お疲れでした。』という鈴木さんの言葉とともに終了。我々ふたりにマエストロとその長男でトランペット奏者の鈴木徹平さんを加えた4名(前話の写真参照)は、メンバーさんが運転する車で当夜のネグラに定めた大田区蒲田へと移動。

車中と夕食の間に、2日間のリハの成果を根掘り葉掘り訊ねたが、一時スコアリングで難渋していた作曲者にマエストロが『手加減は無用!』と言って励ましたという逸話が残るこの曲はさすがに手ごわかったようだった。

マエストロは、『セクション練習をやったり、みんなよく復習って(さらって)きてくれていましたが、それでも、初日、トロンボーンが“アッ”とか“ウッ”とか言っているので、“トロンボーン、そこはアッとかウッとか書いてないんだけど!”と言ったら、全員サッと立ち上がって“すいません!”ですよ。彼らがすばらしかったのはそこからで、2日目の練習前にあった所属オケの練習のノリ番の曲順を調整してもらってしっかりと復習ってきて、2日目にはもう完璧でした。』と賞賛を惜しまない。

下田さんとの夜のミーティングでも、当然話題に上ったが、『あのとき、桒田さんらは、(管楽器専門店の)DACに電話してミュートを練習場所まで持ってきてもらったりしてるんですよ。』と、トロンボーン・セクション(桒田晃さん、古賀 光さん、伊藤敬二さん、篠崎卓美さん)がミュートを吟味してからこの本番に臨んだという裏話があることを知った。

他方、曲を書いた張本人がその場にいることも、もちろんプラスに働いた。曲冒頭に出てくるフランドルの古い教会の鐘の音のイメージはヤンからパーカッションへの直伝だったし、オフ・ステージからのユーフォニアム(円能寺博行さん、齋藤亜由美さん)の聞こえ方もヤンのイメージが尊重された。また、曲中、ハートフルなソロを見事に聴かせたフリューゲルホーン(鈴木徹平さん)やソプラノ・サクソフォン(新井靖志さん)とのコラボレーションでも、ヤンは『何も言うことが無い。』と手放しでOKサイン。本番が最も高速だった細かいフレーズの動きが重なって“のるかそるか”の展開になるトリッキーな全合奏をぐいぐいリードしたコンサート・ミストレスの三倉麻実さんのプレイにも大絶賛を表していた!

というわけで、6月18日のステージは、冷静でありながらも、その一方で全身全霊を傾けたようなモチベーションの高いパフォーマンスとなった。恐らく、会場内でもっとも自由でハッピーだったのは、この作品をものにできたヤン自身だっただろう。

余談ながら、2日目練習の休憩中、突然現れたヤンをさして、マエストロが『この人、誰か知ってる?』と高校生に質問を投げたら、『知りません。』と返答が戻ってきてガックリ。『じゃー、あなた方、“カンタベリー・コラール(Canterbury Chorale)”って曲、知ってる?』と質問を変えたら、全員から『はい。』の回答。そこで、『彼はその曲を書いた作曲家なんだよ。』と言うなり、突然“エーッ!?”と大騒ぎが始まり、顧問の先生のところへ猛ダッシュでご注進。それを聞いてさらに驚いた先生も『すぐに色紙を買ってきなさい。』と指示を出す騒ぎとなった。

そんな事件勃発も手伝ってか、タッドWSの練習終了後は、プレイヤーもつかまって賑やかな大サイン大会に発展!

下田さんによると、世界初演の演奏会には、同校の生徒さんも大勢で駆けつけてくれたんだそうで、その中からは、その後、専門家への道を歩む人も出てきたという話だった。

作曲家と演奏家がガチンコで望んだ『いにしえの時から』の世界初演!

そのドラマは、ひとりタッド・ウインドシンフォニーだけの伝説にとどまらず、次世代を担う若い世代のハートへも受け継がれることになった!!

▲▼ヴァンデルロースト「いにしえの時から」世界初演(2010年6月18日、大田区民ホール アプリコ、撮影:関戸基敬)

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