▲チラシ – タッド・ウインドシンフォニー第17回定期演奏会(2010年6月18日、大田区民ホール アプリコ)
▲ CD – Highlights from the European Brass Band Championships 2009(英Doyen、DOYCD260、2009年)
▲DOYCD260 – インレーカード
▲DVDブックレット – Highlights from the European Brass Band Championships 2009(英World of Brass、WOB138 DVD、2009年)
1991年(平成3年)10月、在京のオーケストラやウィンドオーケストラ、自衛隊、スタジオ、専門学生などの演奏家が自発的に集まり、月に1度か2度、定期的にリハーサルを繰り返すセルフ・オーガナイズ(メンバー自主運営)のリハーサル・バンドとしてスタートした「タッド・ウインドシンフォニー(TAD Wind Symphony)」。
当初は、アメリカから音楽監督として迎えられた指揮者の鈴木孝佳さんと交した“演奏会はやらない”という約束もあり、公開演奏を行なう気配などまるで感じられないグループだった。(参照:《第157話 タッド・ウインドシンフォニーとの出会い》)
タッドの初代団長で、後に代表となった田島和男さんの回想によると、音楽監督との鉄の約束が脆くも崩れ、演奏会を開くことになったのは、あるリハーサル後の楽器の積み込み作業中、当時、新星日本交響楽団のホルン奏者だった田場英子さんから『田島さん、凄いイイ演奏するんだから本番やりましょうよ! リハだけじゃ勿体ないですよ!』と言われたのがきっかけだったという。さらに、『もし田場さんのこの一言がなかったら、本番は数年遅れていたかも知れませんね。』という、ウソのような証言までとび出した。
すべて音楽監督の鈴木さんがまるで知らない中での出来事だった。
タッド・ウインドシンフォニーの初コンサートは、発足3年目の1993年(平成5年)2月6日(土)、ルミエール府中(市民会館)で開かれた「タッド・ウインドシンフォニー コンサート(結成記念公演)」。以後、年に一度のペースで、定期演奏会を開く流れが定着した。
しかし、もともとがセルフ・オーガナイズ。それだけに、広告宣伝費など皆目ゼロで、コンサート告知もチラシの手配りと口コミのみ。チケットも、広い東京で直接メンバーをつかまえて買わなければ“残っていても極めて入手困難”という、何から何まで異例づくしのグループだった。当然、音楽メディアにその名が登場することも、ほとんどなかった。
しかし、一度、彼らが楽譜と向かい合うと、プロ意識に溢れ、マエストロとの信頼関係から生み出されるパフォーマンスは、知る人ぞ知るワンダー・ワールド!
熱心なリピーターが多いことでも知られていた。
さて、そんなタッド・ウインドシンフォニーだが、その名が東京ローカル限定から広く認知されるようになったのは、2010年(平成22年)6月18日(金)、大田区民ホール アプリコ(東京)における「タッド・ウインドシンフォニー第17回定期演奏会」で、ベルギーの作曲家ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)を客席に迎え、その最新作『いにしえの時から(From Ancient Times)』ウィンドオーケストラ版のパブリックな世界初演が行なわれたあたりからだった。
よく知られるように、ヤンは、自国の先人たちから受け継いだものをとても大切にする作曲家だ。もう少し具体的に話すと、彼の暮らすフランドル地域は、15世紀から16世紀のルネサンス期にポリフォニー(2つ以上の旋律を同時に重ねる多声音楽)の技法を駆使して黄金時代を迎えた“フランドル楽派(フランダース・ポリフォニスト)”を生み出したエリアだ。他方、サクソルンやサクソフォンなどの楽器体系を構築した楽器製作者アドルフ・サックス(Adolphe Sax、1814~1894)もまたベルギーの生まれだった。
『いにしえの時から』は、そんな彼の音楽的バック・グラウンドを一つの曲に昇華させた作品で、オリジナルは、2009年4月30日(木)~5月3日(日)、ベルギー、オーステンド(Oostend)のクルサール(Kursaal)で開催された「ヨーロピアン・ブラスバンド選手権2009(European Brass Band Championships 2009)」のチャンピオンシップ部門の指定課題(セット・テストピース)として委嘱された“ブラスバンド編成”の楽曲だった。
ヤンにとっては、自国開催の栄誉を担って委嘱された曲だけに、ポリフォニーの技法を駆使するだけでなく、自国のヒーローであるアドルフ・サックスにも敬意を表す作品となったのは、当然の帰結だった。
選手権の優勝者は、指定課題のこの曲で、100点満点中、98点をゲットし、自由選択課題(オウン・チョイス・テストピース)として世界初演したピーター・グレイアム(Peter Graham)の『巨人の肩にのって(Standing on the Shoulders of Giants / 初演当時の原題)』でも98点を獲得して合計196点のぶっちぎり優勝を飾ったウェールズ代表のロバート・チャイルズ(Robert Childs)指揮、コーリー・バンド(Cory Band)だった。
筆に力の込められた自信作だけに、ナマ演奏を聴いたヤンの興奮も半端ではなく、選手権後、間髪をいれず『スコアを送るので….。』という連絡が入った。つまりは“すぐに感想を聞かせろ!”という訳だ。
ご承知のとおり、ヤン自身、ベルギー初のブラスバンド“ブラスバンド・ミデン・ブラバント(Brass Band Midden Brabant)”の副指揮者だった時期があり、筆者が大阪のブリーズ・ブラス・バンド(Breeze Brass Band)のミュージカル・スーパーバイザーをつとめた頃、何度か客演指揮で招いた間柄だった。そして、そんな付き合いから、ヤンはブラスバンドのための新作が出来上がるたび、必ず知らせてきた。近況報告と自作のプロモーションを兼ねて!(参照:《第5話 ヴァンデルローストの日本語教師》)
しかし、このときのヤンのメッセージには、文末に次のような気になる記述があった。
『今、ウィンドオーケストラ版の構想を練っているんだ。』
この話にいち早く関心を寄せたのが、ほかならぬ鈴木さんだった。ヤンの音楽に全幅の信頼を寄せていたからだ。
鈴木さんは、『スコアが出来上ったら、ぜひ見せて下さい。できれば次の定期に取り上げたいので!』と言った。2009年夏の話だ。
実は、この一年前の2008年(平成20年)6月12日(木)、同じアプリコで行なわれた「第15回定期演奏会」でタッド・ウインドシンフォニーが演奏したチャイムを加えた『カンタベリー・コラール(Canterbury Chorale)』の録音を聴いたヤンが激賞。両者の間には音楽家どうしの特別な信頼関係が生まれていた。2010年のタッドWSによる『いにしえの時から』ウィンドオーケストラ版の世界初演は、そんな流れの中で決まった話だった。
しかし、最高グレードのブラスバンド作品を、やはり最高グレードのウィンドオーケストラ作品に書き換える作業は難航を極めた。
ヤンは、ピアノやハープのほか、コントラバス・クラリネット、バス・サクソフォンなどの充実した低音楽器を加えるアイデアを、すぐ思いついたが、実際にオーケストレーションに取り掛かると、ポリフォニーを多用する作品だけに、『あまりにも難しい曲になってしまう。』という悩みが頭をもたげてきた。つまりは、金管だけのときには問題にならなかったハーモニーが木管が加わることで、なかなかうまく処理できないという和声上の課題にぶつかってしまったのだ。
シンセサイザーやPCソフトでスコアを作るのではなく、ナマの管楽器が発する現実の音のキャラクターを熟知し、実際に五線紙の上に一音一音鉛筆で音を書いていく作曲家らしい悩みだった。
また、曲に込められたアドルフ・サックスへのリスペクトの表明にしても、ブラスバンド作品のときは、金管楽器であるサクソルンのキャラクターをフィーチャーすることに専念すればよかったのが、ウィンドオーケストラ作品にするなら、木管楽器のサクソフォーンへのトリビュートも必要になるとの意識も持つようになっていた。
これらをすべて盛り込みたいという作曲家の想いには、外野からリミッターは掛けられない。しかし、盛り込みたい課題と管楽器の実音との板ばさみになったヤンは一時ドロ沼にはまり、作業をストップしてしまった。
そのヤンに、再びスコアに立ち向かう勇気をもたらしたのが、鈴木さんのつぎの一言だった。
『手加減は無用!』
2009年12月、アメリカのシカゴで開かれたミッドウェスト・クリニック(The Midwest Clinic International Band, Orchestra and Music Conference)でヤンに会った鈴木さんは、“思いどおりに筆を進めてくれ”と、ヤンを激励したのだ。これはまた、タッドWSに参加するプレイヤーたちを信頼しての言葉でもあった。
アメリカから帰国したヤンは、スコアリングに再びアタックを始めた。
しかし、本人曰く、その作業は新しい曲を書くのと同じぐらいの労力と時間を要したそうで、何度も何度も加筆訂正を繰り返したため、完成予定も遅れに遅れ、筆者のもとへオランダの出版社デハスケ(de haske)のエディターが浄書を終えたスコアとパートのプルーフが届いたのは、4月半ば過ぎのこと。そこから使用楽器の最終確認などを開始した訳だから、舞台裏はてんやわんやの大騒ぎに発展した。結果、実際に鈴木さんや各プレイヤーに楽譜が渡ったのは、5月の連休明けとなった。6月のコンサートには、もうギリギリのタイミングだった。
一方、やっとのことで約束を果たしたヤンの気分は、ハッピーそのもので、やりとりを繰り返している内、『どうしても聴きたい!』と言い出して、日本に飛んでくることになった。
渡航費はもちろん自腹!
ヤンも、いつの間にか、タッド流に馴染んでいた!
▲ブラスバンド版スコア – From Ancient Times(蘭de haske、2009年)
▲ウィンドオーケストラ版スコア – From Ancient Times(蘭de haske、2010年)
▲演奏会前夜。鈴木徹平、鈴木孝佳、ヤンの各氏と(2010年6月17日、東京・蒲田某所)(鈴木徹平氏提供)
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