▲ピーター・グレイアム(大阪城天守閣、2006.2.6)
▲スタディ・スコア(ブラスバンド版)- Journey to the Centre of the Earth(英Gramercy Music、2005年)
▲DVD – European Brass Band Contest 2005(英World of Brass、WOB 112 DVD、2005年)
▲同ブックレット、曲目
▲CD – Highlights from The European Brass Band Contest 2005(英Doyen、DOYCD 196、2005年)
▲同、インレーカード
2006年(平成18年)2月5日(日)、イギリスの作曲家ピーター・グレイアム(Peter Graham)がやってきた!!本当に!!
ここでわざわざ“本当に”と断る理由は、この4年前の2002年(平成14年)11月8日(金)、大阪市音楽団(市音 / 民営化後、Osaka Shion Wind Orchestra)が、フェスティバルホール(大阪)で行なった「大阪市音楽団第85回定期演奏会」(指揮:秋山和慶)で、ピーターの『ハリスンの夢(Harrison’s Dream)』の日本初演を行なう、その少し前、東京から突如撒き散らされた“作曲者が聴きに来る!”という事実無根、本人未確認のデマによって、大きな騒ぎに発展したことがあったからだ。(参照:《第117話 ピーター・グレイアムとの交友の始まり》)
幸いなことに、そのデマの発信元は、すぐに特定され、その後、関係者からその軽口を厳しく諌められることになった。どこの世界にも口から先に生まれ出たような性格の人物はいる。しかし、SNSもなかった時代に、“よくもまぁ…”と思えるほど、それはそれは強力な感染力だった!
話を元に戻そう。
2006年、今度は本当に日本をめざしたピーターは、2月4日(土)、10時30分発のオランダ航空 KLM 1076便で、英マンチェスターを出発。経由地オランダのアムステルダムで、同日14時5分発のオランダ航空 KLM 867便に乗り換え、2月5日(日)、9時20分に関西国際空港に降り立った。
ピーターにとっては、これが正しく初来日だ!!
来日目的は、市音の自主制作CD「ニュー・ウィンド・レパートリー2006」(大阪市教育振興公社、OMSB-2812、2006年)に収録予定の新作『地底旅行(Journey to the Centre of the Earth)』のリハーサルとセッションの立会い、コラボーレーションだった。
未知の新曲の日本初演や初録音において、作曲者がその場にいるコラボレーションが持つ意味はとても大きい。とくに、世界の最先端を走るピーターのような現代作曲家の作品にとっては!
ましてや、2日ほどの練習で結果を出さなければならないプロの現場ではなおさらだ!
『地底旅行』は、フランスの作家ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne、1828~1905)の有名な同名小説にインスパイアーされた作品だ。原作は、ヘンリー・レヴィン(Henry Levin、1909~1980)監督によって映画化(20世紀フォックス、1959)もされているので、イメージが捉えやすい。
さて、ピーターの『地底旅行』だが、これは、ヴェルヌ没後100年にあたる2005年4月30日(土)、オランダ、フローニンゲン(Groningen)のマルティニプラザ(MartiniPlaza)で開催された“ヨーロピアン・ブラスバンド選手権2005(European Brass Band Contest 2005)”にエントリーされたイングランド代表、ブラック・ダイク・バンド(Black Dyke Band)が、選手権本番で課せられるセット・テストピース(指定課題)とオウン・チョイス・テストピース(自由選択課題)の2曲の内、“オウン・チョイス”のステージで“世界初演”する目的で委嘱された“ブラスバンド編成”で書かれたオリジナル作品だった。
ブラック・ダイクの指揮者ニコラス・チャイルズ(Nicholas Childs)にとっては、優勝をもぎ取るために準備してきた“秘中の秘”の曲であり、“世界初演”となった選手権本番の演奏では、100ポイント満点中、98ポイントという、ほぼ満点に近いセンセーショナルな成功を収めた!
(余談ながら、2005年大会のセット・テストピースは、オランダの作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)がこの選手権のために委嘱された『エクストリーム・メイク=オーヴァー(Extreme Make-Over)』で、ブラック・ダイクは、そちらでも100ポイント満点中、96ポイントという、エントリー9バンド中、最高点をゲット。セットとオウン・チョイスの両課題の合計が、194ポイントとなり、2位に7ポイント差をつける圧勝となった!)
今回の話は、ブラスバンドのために書かれたオリジナルをもとに、ウィンドオーケストラ編成用に新たなオーケストレーションを施して作り直し、それを市音が初演奏、初録音するというプロジェクトだった。
その経緯については、2006~2007年、《樋口幸弘の「ウィンド楽書(ラクガキ)ノ-トファイル」ファイル・ナンバー14》として、以下の7編をバンドパワーに寄稿したことがある。
プロジェクトのきっかけとなったのは、2005年5月、“ヨーロピアン”の直後にピーターから届いたこの新作に関するメールだった。その要旨は、ブラック・ダイクの初演の大成功と当初からウィンドオーケストラ・バージョンの構想があり、それに関心を示すような楽団がはたして日本にあるだろうか、という質問だった。
当時、英国BBC放送の番組「リッスン・トゥー・ザ・バンド(Listen to the Band)」をネットを通じて愉しんでいた筆者は、ブラック・ダイクの優勝ライヴを聴いて“凄い音楽だな!”と感じていたので即行動開始。すでにピーターの『ハリスンの夢』と『ザ・レッド・マシーン(The Red Machine)』を手がけていた市音に、まず打診した。
その結果、ブラスバンド版スコアを見た市音はたいへん大きな関心を寄せたものの、当時の市音は“大阪市”という行政組織の一部であり、年度内にウィンドオーケストラ版を委嘱するための新たな予算を計上することが不可能であることが判明。紆余曲折の末、筆者が委嘱し、作曲者立会いのもとでレコーディングが実現する運びとなった。
そして、その経緯から、たいへん名誉なことに、出版スコアの扉に以下のようなピーターの献辞が印刷された。
This wind transcription was commissioned
by Yukihiro Higuchi.
The premiere recording was given by the
Osaka Municipal Symphonic Band (Japan)
with Kazuyoshi Akiyama, Conductor, February 2006
(このウィンド版トランスクリプションは、樋口幸弘によって委嘱された。初の録音は、2006年2月、指揮者の秋山和慶と大阪市音楽団(日本)によって行なわれた。)
しかし、それからしばらくたって、市音プログラム編成の田中 弘さんから電話があり、この献辞が思わぬ事態を巻き起こしていることが判明した!
なんでも、市音のメンバーが吹奏楽コンクールの審査員として行った先々で『地底旅行』を聴いて審査したが、その際、プログラムに印刷されている編曲者の名前が筆者だったことにみんな驚いたのだそうだ。しかも、正しく実名だったので!!
またもや青天の霹靂だ!!
天地神明に誓ってまったく身に覚えがない筆者は、『そんなことで“小遣い稼ぎ”をしているようなヒマはないよ。』と笑い飛ばした。田中さんも、『そうでしょうね。どうもおかしいと思って電話したんです。』と笑う。
そのとき、ピーンときた。ひょっとしてスコアの扉の英文の“commission(委嘱する)”という動詞を訳せなかった(訳さなかった)のじゃないのか!?
オー!!無実だ!!ガセだ!!冤罪だ!!
お願いだから、辞書を引いてくれ!!
▲スコア(ウィンドオーケストラ版)- Journey to the Centre of the Earth(英Gramercy Music、2006年)
▲同上 – 扉
▲▼レコーディング風景(八幡市文化センター大ホール(京都府)、2006.2.8)
▲セッション・ルーム風景動画(八幡市文化センター大ホール(京都府)、2006.2.8)
▲ピーター・グレイアム・インタビュー(撮影:バンドパワー 鎌田小太郎)、2006.2.7)