■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第96話 スコッツ・ガーズと1812年

▲「万国博記録写真集」第3巻・第5号(万国博グラフ社、1970年5月)

▲プログラム – 英国近衛兵軍楽隊(1970年4月23日、東京体育館)

▲スコッツ・ガーズ・バンド(1970年4月23日)(知人提供)

管楽研究会編の月刊誌「バンドジャーナル」(音楽之友社)の1970年(昭和45年)の各号は、21世紀の今見返しても本当に面白い!

あくまで、個人的趣味の領域を超えない範囲の話で恐縮だが、《第95話:ナショナル・バンド・オブ・ニュージーランド来日》でもお話したように、地元大阪の千里丘陵で行なわれていた“日本万国博覧会”につぎからつぎへと来演する海外のバンドの紹介記事やインタビュー、グラビアなど、筆者の琴線に触れる記事で溢れていたからだ。

そして、嬉々として万博会場に足を運んで、実際にナマを聴いたときの鮮やかな印象!!

日本のバンドとはまったく違うサウンドやレパートリー、そして、音楽の運び方。そこでの実体験は、間違いなく筆者の音楽観の幅を拡げさせる一因となった。

当時の「バンドジャーナル」を注意深く見返してみると、数ある来日バンドの中で、同誌が最も注目し、ページを割いていたのは、4月22日(水)に行なわれたイギリスのナショナルデーのために来日し、翌23日(木)、東京体育館でも東京公演を行なったスコッツ・ガーズ・バンド(The Band of the Scots Guards)だったことがわかる。

ロンドンのバッキンガム宮殿の華やかな衛兵交代のセレモニーで世界的に知られる近衛軍楽隊の1つだ。もう少し詳しく言うなら、5隊ある近衛連隊の内、“スコッツ(スコットランドの)”という語を冠する“スコッツ・ガーズ(近衛スコットランド連隊)”に所属するバンドだ。

4月19日(日)に大阪入りした彼らは、22日に万博会場で3度演奏した後、東京へ飛び、23日の東京での1回の公演を終えて25日に帰国した。

来日メンバーは、バンド(Regimental Band)60名に、バグパイプ鼓隊(Pipes & Drums)27名。東京公演のプログラムに掲載されているリストを整理すると、来日時のバンドは、以下のような編成だった。

2 ピッコロ&フルート
1 オーボエ
1 バスーン
1 Ebクラリネット
14 Bbクラリネット
5 サクソフォン
11 コルネット
4 ホルン
7 テナー・トロンボーン
2 バス・トロンボーン
2 ユーフォニアム
5 バス
5 パーカッショ

(計60名)

音楽監督は、ロンドンっ子から“ジミー”の愛称で親しまれたジェームズ・H・ハウ(Major James H. Howe、在職:1959~1974)。当時のガーズ・バンドは、複数の楽器を演奏できるマルチ・ミュージシャンを積極的に採用していたので、実際には、低音部クラリネットやトランペットなど、演奏機会や曲に応じていろいろな楽器の持ち替えが行なわれていた。

「バンドジャーナル」が、このバンドの来日を告知したのは、1970年3月号。巻頭グラビアの“万博に来日する二つのバンド”の頁に、3枚のモノクロ写真を掲載する扱いだった。

やがて、バンドが来日すると、6月号の巻頭グラビアで、カラー2ページ、モノクロ4ページの東京公演フォト・リポートを入れ、48~53頁にインタビュー記事“スコッツ・ガーズ来日!近衛スコッツ連隊軍楽隊長J・ハウ少佐にきく”、53~54頁に保柳 健さんの“スコッツ・ガーズ来日!素顔の「女王陛下の軍楽隊」”、92頁に赤松文治さんの“スコッツ・ガーズ・バンド演奏会”というサイド記事を入れるほどの大特集を組んでいる。

当時の「バンドジャーナル」がいかにこのバンドに関心を寄せていたかがよくわかる。

日本盤こそリリースされてなかったが、1950年代後半のステレオ初期にハウの前任の音楽監督であるサミュエル・S・ローズ(Lt.-Col. Samuel S. Rhodes、在職:1937~1959)の指揮で録音された数々のレコードがアメリカから輸入され、日本でもすでに高い評価を得ていたこと。

そして、1959年にローズの跡を継いだハウの指揮でも、デッカ(Decca)、フォンタナ(Fontana)の各レーベルに積極的なレコーディングが続き、来日当時のバンドは、フィリップス(Philips)やフォンタナを傘下にもつフォノグラムの専属という人気バンドとなっていたこともあったのだろう。

そんなバンドの初来日にレコード会社も敏感に反応した。

まず、キングが、来日記念盤として、英デッカ原盤の「栄光のスコッチ・ガーズ・バンド(The Scots Guards)」(キング(London)、SLC 298)を1970年3月新譜としてリリース。

英語の“Scots”を“スコッチ”と印刷してしまうキングの“センスの良さ(?)”は、今もって理解不能だが、兎にも角にも、ハウが、スコッツ・ガーズ着任後に初めてレコーディングしたデビュー・アルバムの国内初登場は、ハウ時代の端正な演奏スタイルをわが国に紹介する上で大きな役割りを果たした。

一方、《第19話 世界のブラスバンド》でとりあげた「ESSSプレゼンツ・スーザ・マーチ」(日本ビクター(Philips)、45X-103)」や「世界のブラスバンド」シリーズ(日本ビクター(Philips)、SFL-9060~61、ほか)など、ハウが指揮をしたレコードの国内発売をすでに始めていた日本ビクターも負けてはいなかった。

ビクターは、〈イギリス近衛歩兵スコッツ連隊軍楽隊来記念盤〉と謳って、フォンタナ原盤の「序曲「1812年」/ スコッツ連隊軍楽隊(1812)」(日本ビクター(Philips)、SFX-7197)と3枚のフォンタナ盤からマーチだけをピックアップしたコンピレーション・アルバム「近衛兵スコッツ連隊がやってきた(Marching with the Scots Guards)」(日本ビクター(Philips)、SFX-7198)の2枚のLPをリリースした。

後者はいかにも“マーチや軍歌が大好き”なビクターらしいが、これら2枚がリリースされると、ビクターの思惑とは異なり、高い評価を得たのは「1812年」の方だった。

日本の吹奏楽ファンの音楽的嗜好は、確実に変化していた!

そして、このアルバムは、実は、戦前戦後を通じて吹奏楽の演奏だけでノーカットで録音された世界初の「1812年」の商業レコードだった。

セッション会場は、“ガーズ・チャペル”の通称で知られ、美しい残響で知られるロンドンのロイヤル・ミリタリー・チャペル。イギリスでは、1969年9月に「1812」(英Fontana、LPS 16264)として発売されたばかりの最新盤だった。

指揮者のハウは、世界的な話題となったこのアルバムについて、方々でこう語っている。

『オーケストラと共演して“1812年”を演奏する機会はたびたびあるけれど、長い時間ずっと待たされて最後に少しだけ登場というのはちょっとね。我々だってちゃんとできるのに!』

スコッツ・ガーズを定年で退職した後、ロンドン市中のオーケストラを指揮する機会も増えたハウならでは言葉だ。

今や40分を超える楽曲もどんどん登場するようになったウィンドオーケストラの世界!!

時の流れの速さを感じる今日この頃である!

▲LP – 栄光のスコッチ・ガーズ・バンド(キング(London)、SLC 298)

▲SLC 298 – A面レーベル

▲SLC 298 – B面レーベル

▲LP – 序曲「1812年」(日本ビクター(Philips)、SFX-7197)

▲SFX-7197 – A面レーベル

▲SFX-7197 – B面レーベル

▲LP – 近衛兵スコッツ連隊がやってきた(日本ビクター(Philips)、SFX-7198)

▲SFX-7198 – A面レーベル

▲ SFX-7198 – B面レーベル

▲ 「バンドジャーナル」1970年3月号(管楽研究会編、音楽之友社)

▲「バンドジャーナル」1970年6月号(管楽研究会編、音楽之友社)