▲ブラック・ダイク・バンド 松山(愛媛)公演チラシ(2016年11月4日)
▲同、チラシ裏の説明
▲コラボ企画チラシ
2016年11月4日(金)、筆者は、JR「新大阪」駅から、山陽新幹線「のぞみ23号」~予讃本線「しおかぜ13号」と特急列車を乗り継いで、JR「松山」駅に降り立った。
久しぶりに仕事とは無関係で、26年ぶりに来日がなったブラック・ダイク・バンド(Black Dyke Band)のコンサートを個人的に愉しむためである。
旧友の音楽監督ニコラス・チャイルズ(Nicholas Childs、第14話「チャイルズ・ブラザーズの衝撃」参照)や、大阪でのソロ・リサイタルの後、大盛り上がりしたプリンシパル・コルネット奏者リチャード・マーシャル(Richard Marshall)らと旧交を温めるのも目的だった。
特急「しおかぜ」の終点“松山”駅は、四国最大の都市、松山の表玄関だ。しかし、21世紀のこの時代に自動改札ではなく、列車の到着と同時に何人かの駅員が改札口に出て乗客の切符を検札するスタイルのままであることに、まず大感動する!
まるでタイムスリップしたような、昭和の国鉄そのものだ!!
“イヤー、なつかしい!”と結構ウキウキした気分で、何日か前に主催者のテレビ愛媛の事業部に電話予約したチケットを引き換えるため、市内電車の電車道を歩いて会場の松山市民会館に向かう。
スマホ世代には、“なになに? 今どき電話予約だって?”と呆れられてしまいそうだ。
しかし、日本の多目的ホールでブラスバンドをいいサウンドで聴くには、席のポジショニングがとても重要な要素になるので、実は、この前近代的予約方法がとてもありがたかった。
事前に席割りを確認すると、チケットは2種類(S席:6,500円、A席:4,500円)。その内、大部分がS席の設定で、数少ないA席はいいサウンドがまるで期待できない場所に設定されていた。“電話予約”では、S席の中から好みの席を選んで指定できたわけだ。
ホールに向かう途中、とても面白かったのは、すれ違う人の多くが“大阪弁”をしゃべっていたことだ。筆者も暮らす大阪は、公演地から外されていたから当然か。少なからず“東京弁”を話す人もいる。こちらは、東京公演を愉しんだ後のリピーターだろう。結構、遠くからファンが来ているのを知って、ちょっと愉快な気分になった。
しかし、この日は、ここからどんどん残念な方向に話が展開する。
窓口でのチケット交換は、名前の確認だけで、比較的スムーズだった。そして、“ハイ、承っております”という愛想のいい言葉に促されて代金を支払い、テレビ局の封筒入りのチケットを受け取った。
時計を見ると、開場まではまだかなり時間があるので、市内を散策することにした。
再び電車道に戻り、「松山」駅の方向に歩いていくと、進行方向正面のホテル1階ロビーに、見慣れた外国人が難しい顔をしながら2人の日本人と何やら話し込んでいる姿が目に飛び込んできた。
音楽監督のニック(ニコラス・チャイルズの親称)だ!
打ち合わせ中なら拙いが、どうもそんな雰囲気ではない。とても暗い。
それならとホテルに入り、難しい顔をしているイギリス人に声をかけた。
“ニック、久しぶり!!”
彼もすぐ気がついたようで、急に顔が明るくなった。
互いに“何年ぶりだろうか、元気にしていたか?”と会話が弾む。
しかし、“なぜ大阪がなかったのか? 大阪ではブリ―ズ・ブラス・バンドのスタート以来、ブラスバンドをよく理解しているファンがとても多いのに…。”と少し抗議を込めながら問うと、彼は少し真剣な顔になって、“そうなんだ。残念ながら、大阪は外されたんだ。そのことも含めて、今、招聘元(ジャパン・アーツ)に詳細なリポートを書いているところだ。来年(2017年)も来ることが決まったので、そのときは必ず行くから…。”と一気に話してくれる。
どうやら、大阪が完全に無視されたのは、彼の責任ではないことは分かった。
(大阪は、その後、2017年ツアーでも公演地から外されている。)
ニックの傍らにいる洗足学園音楽大学の滝澤尚哉さんは、彼が難しい顔をしていたのは、ホテルで用意された食事の内容にまったく融通が利かないことに対して激怒していたからだと説明してくれる。
昔から、ニックは、食べ物についてはひじょうに煩かった。そんな彼に、定食のようなものを喰えといったら、大変なことになることは否を見ることより明らかだった。
いやしくも、ブラック・ダイクの音楽監督である。もう少し、別の対応ができなかったのだろうか。主催サイドの基本的な落ち度と思えた。
そこへ、背後から声がかかった。振り返ると、プリンシパルのリチャードが立っている。
彼は、陽気に“車をとばして来たのか?何時間かかった?”と訊いてくる。そこで“列車で4時間くらいだ!”と答えると少しビックリした様子だったが、“約束したとおり、今夜は愉しませてもらうよ!”と続けると、“そうか、ではエンジョイしてくれ!”と言葉が返ってきた。
やがて、難しそうな顔をしていたニックも、少し気分が落ち着いたのか、“それじゃ、コンサートで”と言いながら、食事はまったくとらず、コーヒーだけを手にホテルの自室に戻っていった。
こうして、ロビーのソファーには、日本人だけが残された。そこで付き添っている彼らに、いろいろ事情を訊ねると、このツアーでは、他にもいくつか事件が勃発している様子だった。
実は、大阪を発つ前、“今日は、都合でフィナーレの「インモータル(Immortal)」(ポール・ロヴァット=クーパー)は、やらないらしい”との情報にも接していた。
滝澤さんは、コルネットのバックロー(後列)のヴィクトリア・ケネディのお父さんの訃報が入り、急遽帰国することになったためだという。
“本人は、最後まで演奏する”と言っていたらしいが、“すぐに戻れ”ということになったそうだ。その結果、演出上の都合もあり、この曲はカットされることになった。ブラック・ダイクのコンサートのために特別に書かれた曲だけに、ファンはガッカリするかも知れないが、事情を知ればみんな納得してくれるだろう。
世界中のブラスバンドは、ファミリーのようなものだから。
しかし、その一方で、この夜のブラック・ダイク公演は、完全に演奏者の“定足数割れ”、曲によっては“音の数まで不足する”かたちで行われることが明らかとなった。
いったい主催者は、これをどう説明するのだろうか。
筆者がミュージカル・スーパーバイザーを任されていた当時のブリーズ・ブラス・バンドの有償コンサートなら、入場料は間違いなく払い戻しにしていただろう。
もう過去の話なんで知らない人も多いだろうが、ブリーズは、ヨークシャーでブラック・ダイクとジョイント・コンサートを開いたこともある大阪のプロのブラスバンドだ。
そんなことを考えている時、ふと気になって、先ほど受取ったチケットを確認する。すると、その席番は“電話予約”したものとまるで違うものだった。“ここは、音が悪い!”
慌てて開場前のホールにとって返すと、“電話予約”したチケットは取り分けられてまだ残っていた。相手は、“米つきバッタ”のようにペコペコ謝罪するが、何とも意味不明の言い訳が実に空しい!!
しかし、当夜の事件は、ここからが本番だった。
まず、入場の際、手渡されたのが“この日の公演のチラシ”と“テレビ愛媛の番組表”など。不審に思って係員に訊ねると“そのチラシがプログラムです”と呆れた回答が返ってきた。怒りを抑えて、さらに“招聘元が作った有料のプログラム”なんかを別に売っていないのか訊ねると、“ありません。それがプログラムの代わりになります”という。
松山では、こんなコンサートが通用するのか!?
チラシ最上部には、明治乳業グループのロゴと「四国明治株式会社 Presents」との文字が入るれっきとした“冠興業(かんむりこうぎょう)”だ。“特別協賛”の文字まで入っている。
主催者や招聘元は、いったいどんな感覚でこのコンサートをやっているのだろうか?
恥ずかしくはないのか!!(たぶん、ないのだろう)
会場では、東京、大阪、広島などから聴きに来た知人からつぎつぎ声がかかった。話をすると、みんな“なんか変だ”と首をかしげている。
とにかく、素人以下の対応。聴衆を会場に迎え入れる準備がまるでできていないのだ。
コンサートは、テレビ愛媛のアナウンサーが案内役となり、手にした原稿を一字一句間違わないように“棒読み”しながら進行した。滑舌こそさすがだが、当然ながら、演奏以外、まるで盛り上がらない。
そして、案の定、“メンバーが個人的な事情で急遽帰国し、出演が叶わなくなったこと”や“プログラムが変更になったこと”“アンコール曲”についての説明や場内アナウンスも一切なかった。会場をくまなく見て回ったが、“張り紙”すらなかった。
なんだろう、これは!あまりにも稚拙、レベルが低すぎる!
同時に、ブラスバンドを舐めている!
これは、フィクションではない。
わが人生における“史上最低”のコンサート鑑賞記である!
▲CD – Black Dyke Band Japan Tour 2016(自主制作、WOS 102)
▲同、曲目
▲メンバー表
▲サイン
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第72話 史上最低のコンサート鑑賞記」への1件のフィードバック