■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第80話 ギャルドとジャケット写真の謎

▲Peter Martland著、SINCE RECORDS BEGAN – EMI – The First 100 years(英Batsford / 1997年)

▲LP – ギャルド・フランス・アメリカ行進曲集 (Angel(東芝)、CA 1027 )

▲ LP – ギャルド・シンフォニック・マーチ名曲集 (Angel(東芝)、AB 7008)

かつてイギリスに“EMI”(イーエムアイ)という世界的なレコード会社が存在した。

ファンにとって、それは芸術の香りを我が家へと運び、身近なものにしてくれる夢や憧憬の担い手であり、演奏家にとってはステータスの証しだった。間違いなく、レコード史に燦然と輝くブランドである。

歴史を紐解くと、EMIは、1931年、英Grammophone(グラモフォン)と英Columbia(コロムビア)の合併によって誕生した。それは、当時のイギリスを代表する2大レコード会社が1つになることを意味する大事件だった。

EMIとは、正式な社名“Electric and Musical Industries Limited”の頭文字だ。

旧社名の“グラモフォン”、それ自体が、円盤の上に音の溝を刻んだレコードを再生する“円盤式蓄音機の登録商標名”であるぐらいだから、それをルーツとする社名をもっていた事実1つをとっても、レコード業界でどれほどの“老舗”だったかをよく物語っている。

EMIのドル箱は、合併前から Grammophone が発売していた“蓄音機から聞こえる主人の声に耳を傾ける犬の絵”をトレード・マークとする《His Master’s Voice(ヒズ・マスターズ・ヴォイス)》と、Columbia が発売していた“音符”のマークの《Columbia(コロムビア)》の2大レーベルだった。契約アーティストとの個別の兼合いもあり、両レーベルは合併後も存続され、録音・制作体制も維持された。

1997年のEMI100周年を記念して出版されたピーター・マートランド著の「SINCE RECORDS BEGAN – EMI – The First 100 years」(英Batsford)を読むと、その100年間に信じられないほどすごい顔ぶれのアーティストがEMIのカタログに加わっていたことがわかり、とても興味深い。

EMIの歴史は、レコードの歴史と言って過言ではなかった。

日本国内で、日本ビクターが“犬の絵”を、日本コロムビアが“音符”を登録商標に使っているのも、第二次世界大戦前から個別に両レーべルと契約関係を結び、日本国内への販売権をもっていた名残りである。

さて、前話(第79話「ギャルドとコロムビア・レーベル」)でお話したように、“ギャルド・レピュブリケーヌ交響吹奏楽団”(公演名)が来日した1961年当時、この吹奏楽団の主なレコードは、英Columbiaが子会社として1923年に設立した仏Columbiaレーベルからリリースされていた。

当然、日本での販売権は、英Columbiaとレーベル契約を結んでいた日本コロムビアが持っていた。

コロムビアは、1956年(昭和31年)、手始めに『フランス行進曲集/アメリカ行進曲集(MARCHE MILITAIRES FRANCAISES ~MARCHES MILITAIRES AMERICAINES)』(日本コロムビア、KL-5005)(モノラル)をリリース。1961年の来日が決まると、同盤のタイトルを『ギャルド行進曲集(MARCHE MILITAIRES FRANCAISES ~MARCHES MILITAIRES AMERICAINES)』(日本コロムビア、SL-3072)(モノラル)と改めて再リリースし、来日後の1962年には『ギャルド・グランド・マーチ集(MARCHES CELEBRES)』(日本コロムビア、OL-3234)(モノラル)という、クラシックの名行進曲を集めたアルバムをリリースした。

しかし、1962年、EMIグループの全世界規模の再編の結果、英Columbiaと日本コロムビアとの契約関係が解消すると、英仏Columbia盤の日本国内における販売権は、すべて東芝音楽工業に移行。このとき、コロムビアが販売していたギャルドのレコードも、一定期間の販売継続は許されたものの、追加プレスは認められず、すべて廃盤。マスターも東芝へ移されることとなった。

実は、この前後、東芝は、コロムビアの動きを睨みながら、ギャルド来日中の1961年11月16日(木)、杉並公会堂(東京)でレコーディング・セッションを行ない、来日直後の1962年3月、團 伊玖磨の『祝典行進曲』など、日本のマーチ6曲が入った17センチEP『ギャルド・レピュブリケーヌ日本マーチ集』(Angel(東芝)、YDA-5001 / ステレオ)およびそのシングル・カットをリリース。7月には、日本公演で注目を集めたフローラン・シュミット(Florent Schmitt)の「ディオニソスの祭り(Dionysiaques)」などが入った25センチLP『ギャルド名演集』(Angel(東芝)、5SA-5003)(ステレオ)をリリースし、大きな成果を挙げていた。

その経緯は、第23話「ギャルド、テイクワンの伝説」でお話したとおりだが、そんな折、日本コロンビアがリリースしていたアルバムのマスターも移管されることになった訳だ。

後年、仕事上いろいろご一緒することになる東芝EMI洋楽クラシックのプロデューサー、中田基彦さんから伺った話だと、この当時、東芝の洋楽部門は『吹奏楽は、イギリスのロイヤル・マリーンズで行く。』と決めていたんだそうで、ちょうどスタートしたばかりの「エンジェル吹奏楽シリーズ」の第1集(Angel(東芝)、ASC-5286)と第2集(同、ASC-5292)も、ヴィヴィアン・ダン指揮、ロイヤル・マリーンズ・バンドが演奏するマーチ・アルバムだった。

同社も、やはり、“吹奏楽=マーチ”をポリシーとしていたのだ。

結果、コロムビアが出していたギャルドの2タイトルも、このシリーズの中でカバーする流れとなった。

■エンジェル吹奏楽シリーズ(第3集)
ギャルド・フランス・アメリカ行進曲集

ANGEL:MARCHES ON PARADE(Vol.3)MARCHES MILITAIRES FRANSES ET AMERICANS
(Angel(東芝)、CA 1027 / モノラル / 30cm LP)
(Matrix: XLX 311 / XLX 312)

■エンジェル吹奏楽シリーズ(第4集)
ギャルド, シンフォニック・マーチ名曲集

ANGEL:MARCHES ON PARADE(Vol.4)MARCHES CELEBRES
(Angel(東芝)、AB 7008 / モノラル / 30cm LP)
(Matrix:XLX 763 / XLX 762)(1964年2月新譜)

データ末尾のマトリクス(Matrix)を見れば明らかだが、先行した“フランス・アメリカ行進曲集”は、仏Columbia原盤や日本コロムビア盤と同じ曲順のリリースだが、もう一方の“シンフォニック・マーチ名曲集”は、日本コロムビア盤では組み換えられていた曲順を仏Columbia原盤当時に戻し、A面をB面に、B面をA面に入れ替えてのリリースとなった。

東芝は、両盤につづいて、フランスでステレオ録音されたフランスのマーチ集をリリースした。ルイ・ガンヌの「ロレーヌ行進曲(Marche Lorraine)」とジャン・ロベール・ブランケット/ジョセフ・フランソワ・ラウスキーの「サンブル・エ・ムーズ(Sambre et Meuse)」などを除くと、収録曲は日本ではほとんど知られていない曲ばかりだったが、ステレオ効果も満点で、“これぞギャルド”という、湧き立つようなサウンドが喜ばれた。

■エンジェル吹奏楽シリーズ(第5集)
ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)

ANGEL:MARCHES ON PARADE(Vol.5)MARCHES MILITAIRES
(Angel(東芝)、AA 7048 / ステレオ / 30cm LP)
(Matrix:YLX 1040 / YLX 1041)(1964年4月新譜)

東芝時代の国内盤では、ジャケットにギャルドのカラー写真が使われるようになった。しかし、その後、CD時代も経て半世紀以上たった今、もう一度振り返ってみると、東芝から発売されたギャルドのレコードやCDのジャケットに使われてきた多くが“馬に跨ったラッパ手”の写真であることに気がつく。

唯一、例外的だったのが、『ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)』(AA 7048)で、ジャケットには“馬”の写真ではなく“ギャルド”の全体写真が使われた。しかし、その写真を注意深く見ると、かなりの数の弦楽器奏者が写りこんでいる。これは、来日した“吹奏楽団”だけを写したものではなく、その後、ジャケットには二度と使われなかった。

種明かしをすると、前者は、当初、来日予定だった馬上演奏が人気を呼ぶ別編成の“バテリー・ファンファール”のラッパ手を写したもので、後者は、83名定員の吹奏楽団に40名の弦楽を加えた“グラン・オルケストル”編成のものだった。いずれも招聘元の朝日新聞社を通じて入手した写真だった。

“グラン・オルケストル(Grand Orchestre)”編成は、楽長のフランソワ=ジュリアン・ブランがベルリオーズの「葬送と勝利の交響曲」のスコアからアイデアを得てスタートさせたギャルド独特の編成で、その編成で録音されたレコードも仏Deccaから発売されていた。

 公演プログラムの表紙(第22話「ギャルド1961の伝説」、参照)にも、『ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)』とは別の、後方から俯瞰で撮影された“グラン・オルケストル”の写真が使われていた。

 ひょっとすると、ブランは、弦楽奏者までを含めたギャルド全員を連れてきたかったのかも知りない。

▲LP – ギャルド・イン・ステレオ(軍隊行進曲集)(Angel(東芝)、AA 7048)

▲Angel(東芝)、AA 7048 – A面レーベル

▲Angel(東芝)、AA 7048 – B面レーベル

▲EP – BATTERIE-FANFARE DE LA GARDE REPUBLICAINE DE PARIS(仏Decca、450573)

▲仏Decca、450573 – A面レーベル

▲ 仏Decca、450573 – B面レーベル

▲EP – LE GRAND ORCHESTRE DE LA GARD REPUBLICAINE(仏Decca、458501)

▲仏Decca、458501 – A面レーべル

▲仏Decca、458501 – B面レーべル

「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第80話 ギャルドとジャケット写真の謎」への1件のフィードバック

  1. 須摩洋朔一等陸佐が1960年にギャルドを訪問した際に、来年(61年)にギャルドを招へいする計画があるとブランに告げた。ブランはグランド・オケと吹奏楽とどちらが良いかと須摩氏に尋ね、須摩氏は吹奏楽を希望し、ブランもそれが良いだろうとなって決定したのです。

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