▲東京佼成ウインドオーケストラ第141回定期演奏会&第3回大阪定期演奏会のチラシ
▲同、プログラム
▲同、演奏曲目ページ
2018年(平成30年)11月24日(土)、筆者は、「東京佼成ウインドオーケストラ第3回大阪定期演奏会」が催される大阪のザ・シンフォニーホールに向かっていた。
とっても懐かしい“ある曲”に再び出会うために!
指揮者は、シンガポール出身のカーチュン・ウォン(Kah Chun Wong)。ドイツのバンベルク交響楽団が催した2016年の第5回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝した話題の俊英だ。
この大阪定期では、前日の11月23日(金・祝)に東京芸術劇場大ホールで催された同ウインドオケの「第141回定期演奏会」と同一の、以下のようなプログラムが組まれていた。
・呪文とトッカータ(ジェームズ・バーンズ)
Invocation and Toccata(James Barnes)
・交響詩「スパルタクス」(ヤン・ヴァンデルロースト)
Spartacus, Symphonic Tone Poem(Jan Van der Roost)
・ピータールー序曲(マルコム・アーノルド / 近藤久敦編)
Peterloo Overture(Malcolm Arnold / Hisaatsu Kondo)
・組曲「展覧会の絵」(モデスト・ムソルグスキー / 高橋 徹編)
Pictures at an Exhibition(Modest Mussorgsky / Tohru Takahashi)
筆者が再会したかったのは、ベルギーのヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost、1956~)が作曲した交響詩「スパルタクス」だった。
完成および初演は1988年。ベルギー王室の至宝とも謳われる、ノルベール・ノジ(Norbert Nozy)指揮、ロワイヤル・デ・ギィデ(Orchestre de la Musique Royale des Guides / 第55話 ノルベール・ノジとの出会い、参照)の演奏で初演された作品だ。
初演翌年の1989年にオランダの出版社デハスケ(de haske muziekuitgave bv)が出版。この作品は、その後、世界的に演奏されるようになった。
作曲者によると、フランスのギャルド・レピュブリケーヌが演奏した唯一の自作品でもあるそうだ。
また、個人的には、作曲者との交友が始まるきっかけを与えたくれた作品であり、日本における初演奏や初レコーディングをオーガナイズした作品でもあった。
作品は、日本でも大ヒット!
その上で“再び出会うために”とワザワザ書いたのには、理由がある。
第47話「ヨーロピアン・ウィンド・サークルの始動」でお話した、ヨーロッパのオリジナル作品の“今”にスポットをあてる佼成出版社のシリーズCDの第1弾、交響詩「スパルタクス」(佼成出版社、KOCD-3901、リリース:1991年12月10日)のために、東京佼成ウインドオーケストラが録音して以降、本当に久しぶりにこの作品を演奏することを知ったからである。
(ついに、定期で取り上げられる!)
東京佼成ウインドオーケストラが、オランダ人指揮者ヤン・デハーン(Jan de Haan)のタクトで、レコーディング・セッション(於:普門館、東京)を行ったのは、1991年(平成3年)9月27日(金)のこと。筆者が知る限り、今度の東京・大阪の両定期演奏会における演奏は、それから27年ぶりのことだった。
メールやスカイプなんかでやりとりできる21世紀の今からみると、まるで信じられないかも知れないが、その当時、国際間の主な通信手段は、もっぱらエア・メール(手紙)かFAXだった。もちろん国際電話という手もあったが、他と比べて通信費がべらぼうに高く、電話は本当にいざという場合の最後の伝達手段として使用された。
しかし、紙の力はすごい!
四半世紀を超える年月が経過した今も、ヤンが送ってきた最初の手紙が筆者のファイルの中にそのまま残っているのだ。ファイルを開いて見ると、その手紙の日付は、1990年10月31日!
タイプライターで印字されたそれは、購入した交響詩「スパルタクス」のスコアの感想とともに日本でも録音プランがあることを知らせた筆者への返信だった。
『ミスター・ヒグチ。私は、大編成のウィンド・バンド(吹奏楽)のために書いた自作「スパルタクス」に関して、あなたが熱狂していると聞き、とても喜んでいます。また、有名な“東京佼成ウインドオーケストラ”とのCDレコーディングを企図されているとも聞かされました。もし、それが現実となるなら、私がとても名誉に思うのは、言うまでもなく明らかなことです!』
こちらが出した手紙が英語だったので、母国語ではなく、得意としない英語で返信してきた彼の気持ちがよく伝わってくる文面だった。
そして、その後の文面がとくに興味を引いた。
『ここでちょっとお知らせしたいことがあります。私は、(スコアの)編成リストにいくつか補足パートを加えます。それらは、もしレコーディングが本当になされるなら、お知らせいただければ送ります。それらは、ダブル・バスーン、コントラバス・クラリネット、ハープ、ピアノ及びチェレスタです。これらのオプショナル・パート譜は、ひじょうに読みやすい手書きで書かれています。….。』
はじめてこれを読んだ瞬間、きわめてシンプルな疑問が頭をよぎった。
(去年出版されたばかりの作品に、もう変更を加えるのだろうか??)
しかし、その後、ヤンや出版社とやりとりを繰り返す内、彼が手紙で知らせてきたこれらのパートは、実際には作曲時からすでに存在したもので、初演にも使われたことが判明した。
それらが出版譜にないのは、以下のような作品の出自と出版社の規模が微妙に絡む事情があった。
まず、交響詩「スパルタクス」は、誰か、もしくは、どこかの楽団からの委嘱作ではなく、作曲者の自由な発想によって書かれた作品だった。
加えて、ロワイヤル・デ・ギィデが初演するぐらいの作品だから、使用楽器の選択も自在であり、当然、編成も大きかった。
また、出版は、作曲者からデハスケに持ちかけたものだった。
この当時、デハスケは、創業間もない社員数5名ほどの“吹けば飛ぶような”弱小出版社で、話を聞いた音楽部門責任者のヤン・デハーン(指揮者、作曲家としても知られる)は、当初、スコアを見る以前に、“そんな規模の大きな作品は、残念ながら当社としは出版できない”といったん断っている。演奏時間が長い上、販売楽譜に“特殊”なパートまで入れると、楽譜がまったく売れない恐れがあると判断したからだった。
しかし、作曲者は粘った。彼は、『スコアを送るので、出版できなくてもいいから、とにかく見てほしい。』と言って、ついにヤン・デハーンからスコアを見る約束を取りつけたのだ。
結果、交響詩「スパルタクス」は、前記パートを除いた姿で出版されることが決まった。
スコアを一読したヤン・デハーンから、『たとえ1冊も売れなかったとしてもいい。当社はこの曲を出版することにした。』と電話がかかってきたその日のことを、作曲者のヤン・ヴァンデルローストはけっして忘れられないという。
この経緯については、彼の60歳を記念して2016年に制作された自伝的CDブック「ヤン・ヴァンデルロースト~マイルストーンズ」(de haske、DHR 16-016-3)でも、彼自身の語り口で書かれている。
そして、1991年、出版を決めたヤン・デハーンを指揮者に起用することが決まった東京佼成ウインドオーケストラのセッションでは、オットリーノ・レスピーギの色彩感豊かなオーケストレーションに触発されて書かれたというこの作品とその作曲者をリスペクトする意味で、出版譜からは省かれたパートもすべて入れた“オリジナル”の形で行なうことにした。
この決定は、作曲者を何よりも喜ばせた。
そして、セッションのために来日したヤン・デハーンもまた、普門館のステージ横でこう言った。
『出版社のレコーディングではないんだから、これでいい!』と。
▲ヤン・ヴァンデルロースト(1980年代後半)
▲交響詩「スパルタクス」初版スコア
▲CDブック – ヤン・ヴァンデルロースト~マイルストーンズ(de haske、DHR 16-016-3)
▲同、曲目
「■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第78話 ヴァンデルロースト:交響詩「スパルタクス」の物語」への1件のフィードバック