■樋口幸弘のウィンド交友録~バック・ステージのひとり言 第76話 ヤン・ヴァンデルローストのメモ

▲ヤン・ヴァンデルロースト(2018年9月30日、飛騨芸術堂)(提供:月刊さるぼぼ)

▲高山市民吹奏楽団創立50周年記念誌(2018年6月発行)

▲高山市吹50周年の特集記事が組まれた「月刊さるぼぼ」(2018年11月号)

2018年(平成30年)9月29日(土)、モーレツな暴風域を伴った台風24号が日本列島を窺う中、筆者は、オープン・キャンパスが開かれている名古屋芸術大学を訪れていた。

2日前、教授の竹内雅一さんからの電話で、ヤン・ヴァンデルロースト(Jan Van der Roost)の来学を聞かされていたからだ。ヤンは、同大学の名誉教授でもある。

実はこの時、ヤンには、訊かねばならない質問が山のようにあった。しかし、午前中のウィンド・オーケストラのリハを終え、3人で昼食をとったとき、こちらが何かを切り出す前に、彼はポケットから何やらメモのようなものを取り出しながら、こう言った。

『ちょっと相談にのって欲しいことがあるんだ….。』

(こういうノリの“相談”が、実は怖い!)

ペン書きのメモには、何やら箇条書きのような文字が並んでいた。

『明日、タカヤマで50周年委嘱作のリハーサルをやるんだけど。まだタイトルが固まっていないんだ…。』

(ほーら、きたきた!)

ヤンの言う“タカヤマ”とは、春・秋に行われる有名な“高山祭”で知られる岐阜県高山市で活動する“高山市民吹奏楽団”のことだ。記念演奏会は、竹内さんの指揮で、11月18日(日)に予定されていた。

バンド創立以来のメンバーもプレイする、そんなこのバンドと付き合いが始まったのは、ヤンのジングシュピール「むかしむかし…(Es War Einmal…)」日本語版の世界初演プロジェクトが立ち上がった2014年のことだった。(第34話、参照

そして、同公演(2016年9月18日、高山市民文化会館)を満員札止めの大成功に導いた飛騨高山文化芸術祭実行委員会会長の大萱真紀人さんが、実は高山市民吹奏楽団の理事長でもあった。

頂戴した「高山市民吹奏楽団創立50周年記念誌」に、団長の原田政彦さんが書かれている“市吹半世紀の時を刻む”という挨拶文を拝見すると、このバンドは、1968年(昭和43年)に高山ウインドアンサンブルの名で誕生。その翌年の1969年に現在のバンド名に改称し、今日に至っているという。

“我々団員は、吹奏楽を通して団員各自の教養と情操を高め、団員相互の理解と親睦を深めるとともに、地域社会の文化発展と国際交流に寄与しよう。”という、活動の理念としてまとめられた綱領がすばらしい。

その言葉どおり、“仲間と、音楽と、地域と・・・”と綴られる50年の活動をみると、1994年、2000年、2014年の3回に渡って、高山の姉妹都市デンバー(アメリカ合衆国コロラド州)を公式訪問。コンクール出場をめざすのではなく、この地域の吹奏楽祭を主催したり、コンクールの運営協力を行うなど、積極的に地域と係ってきた。

また、高山の子供たちにいいものを聴いてもらおうと、エリック・ミヤシロ、津堅直弘、田中靖人、小田桐寛之、露木 薫など、ポップからクラシックまで著名なソロイストが招かれ、客演指揮者にも、アルフレッド・リード、ヤン・ヴァンデルロースト、ヤン・デハーン、岩井直溥など、多彩な顔ぶれが招かれてきた。

とくに“ニュー・サウンズ”でおなじみの岩井さんとは、1993年(平成5年)からほぼ20年にわたって定期演奏会での共演が続き、このバンドに関わるすべての人々の音楽的財産となっている。

円谷プロの協力を得て、ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマン・ジャック、ウルトラマンタロウ、バルタン星人、レッドキングが出演したことまであった。

話を元に戻そう!

ヤンは、曲名のアイデアが書かれているメモを見せながら、こう続けた。

『明日のリハーサルの後、タカヤマのみんなと曲名について議論することになっているんだけど、議論のまとめ役をしてほしいんだ。』

(“一緒に高山に行ってくれ”というわけ?)

ヤンはまた、『英語の出版タイトルには、最終的に“ネイティブ”(アメリカ人の責任者)のチェックが入るんだ!』とも言う。

これにはさすが驚いた!

アメリカとヨーロッパでは、英語の単語1つをとっても、発音だけでなく、意味やニュアンス、使われ方が違うことが多いからだ。こんなところにまで、アメリカン・スタンダードが押し出してくるのか!

第一、“作曲家に自由な曲名の裁量権がない”なんて!?

すぐ演奏課に戻り、ホテル情報をチェックしてもらうと、台風直撃予想のためか空室が多く、アッという間に高山行きが決定! オープン・キャンパス終了後、3人で高山に向かうことになった。

9月30日(日)、ヤンが指揮をした“飛騨・世界生活文化センター 飛騨芸術堂”(高山市千島町)でのリハーサルは、“飛騨 地域みっちゃく生活情報誌「月刊さるぼぼ」”の取材も入り、とても充実したものとなった。

これまで何度も高山を訪れ、この町の風土や歴史をよく噛みしめていたのであろう。ヤンは、冒頭部分に特に感情移入し、まるで日本人作曲家が書いたようなピッコロ・ソロ(もしくは、ソリ)のメロディーを書いていた。それは、和音階(和のペンタニック)を見事に消化し、和楽器の篠笛に持ち替えてもいいほど、和に同化していた。実際、高山祭では“祭笛”が大活躍する。

中間あたりでは堂々とした展開が聴かれる。曲を書いた本人は、『ここは高山を支配した“将軍”の権威をあらわしている…。』と説明してくれたが、『高山は、確かに天領(幕府直轄領)だったが、“将軍”が暮らしたのは江戸(今の東京)だった。』と言うと、大笑い。彼も『それじゃ、ここはこの地方を治めた“支配者”の権威ということにしよう。支配者はいたんだろう?』と、なんとか“落としどころ”を見つけて一件落着。ただ、ヤンに“天領”とか“代官”、“郡代”を理解させることは、とうてい不可能なことのように思えた。

また、曲には、直接的な引用ではないが、祭りのイメージも随所に盛り込まれ、ヤンが曲名から、アルファベットの“TAKAYAMA”という文字だけははずせないと言った理由もよく理解できた。

ヤンがあまりにも見事に和音階を取り込んだ音楽を書いてきたため、リハーサル後の食事会を兼ねたミーティングでは議論百出!日本文字の“宴”とか“祭”を曲名にできないだろうか、という意見まで出た。

他方、曲は、高山市吹50周年の祝典曲の性格も担っていた。ヤンのメモには、「TAKAYAMA ~」という候補がいくつも書かれ、その最上部に「CELEBRATION」という文字があった。ヤンもかなり前向きだったことから、この日は、意見集約の第一案として、臨機応変にこの2つの意味を組み合わせ、サブに「U-TA-GE」とするのはどうだろうかとヤンに提案した。もちろん、“ネイティブ”がどう言うかはまったく気にせずに!

次の日の10月1日(月)、朝起きると、台風24号の被害のため、交通網は大混乱。帰路は、午後になってやっと動き出した高山本線の特急「ひだ14号」となった。

その車中、車窓を流れる景色と、聴いたばかりのヤンの新作の印象が重なり何度も何度もリフレインする。そのとき、不意に『高山の印象』という日本語が頭をよぎった。英語に訳すなら、「Impressions of Takayama」もしくは「Impressions from Takayama」という感じになるかも知れない。

(曲想ともマッチングする!第二案は、これでいくか!)

その後、第一案を持ち帰ったヤンからも、出版社とのバトルを終え、メールが入った。

そこには、こう書かれていた。

『TAKAYAMA IMPRESSIONS』

2人は、同じことを考えていた!

▼リハーサル風景(2018年9月30日、飛騨芸術堂)(撮影:竹内雅一) 

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