▲「月刊吹奏楽研究 復刻補完版」
▲「全日本吹奏楽連盟70年史」(社団法人全日本吹奏楽連盟)(2008)]
『例の、“吹奏楽研究”の雑誌になる前の話なんですが、いろいろ(な人と)話をしましたら、関東のどこかの連盟が記念事業として復刻したことがあったらしいんです。』
全日本学生吹奏楽連盟理事長の溝邊典紀さんから、まるで“トレジャー・ハンター”が“お宝”の噂話を聞きつけた時のように興奮した電話が入ったのは、2018年11月のことだった。
“吹奏楽研究”とは、第39話の「ギャルド:月刊吹奏楽研究が伝えるもの」や、第61話の「U.S.エア・フォースの初来日」などでお話した第二次大戦後に日本で初めて発行された吹奏楽専門紙で、後に内容を拡充して吹奏楽専門誌になった「月刊吹奏楽研究」のことだ。
発行元は、東京の“月刊吹奏楽研究社”で、1953年の創刊当初は、タブロイド版の“月刊新聞”としてスタート。1956年5月号(通巻31号)から雑誌に姿を変え、1964年3月号(通巻87号)まで刊行された。
雑誌時代のものには、国立情報学研究所の書誌番号(NCID)も与えられている。1959年創刊の“バンドジャーナル”誌(音楽之友社)より6年スタートが早い。
しかし、現在、全国の図書館の所蔵データにアクセスしても、蔵書数が日本一といわれる国立国会図書館にも所蔵はなく、全国で唯一、東京文化会館音楽資料館が25冊を所蔵しているだけだった。
残念ながら、雑誌は、どの図書館でも、一定期間を過ぎるとほとんどが破棄される傾向にあり、それは何も「月刊吹奏楽研究」に限った話ではなかった。
そこで、2018年、筆者は、どこかに眠っているであろう現物を求めて、知人、友人に“ウオンテッド(WANTED)”を立て続けに発信!
元東京佼成ウインドオーケストラのユーフォニアム奏者の三浦 徹さんをはじめ、前記の溝邊さん、たわらもと吹奏楽団(奈良県田原本)の団長、藤本義則さん、天理大学学務部長の佐々木孝幸さん、天理高校吹奏楽部の吉田秀高さんなど、多くの人々の協力を得て、1冊を除き、雑誌として発行された通巻31号以降のほぼすべての「月刊吹奏楽研究」に目を通すことができた。
そして、現物を実際に目にした時、紙の上の“事実”にただただ圧倒された!
メディアとしてのスタート時点が相当違うから当然だが、「月刊吹奏楽研究」に印刷されている情報の多くは、ネット上にはまったく存在しない。今ではほとんどが忘れ去られてしまったことばかりだ。
あらためて活字の力のすごさを実感した。
しかし、筆者の“ウオンテッド”に呼応した多くの人々の献身的な努力にもかかわらず、雑誌になる以前に発行されていたタブロイド版(通巻1号~30号、号外)の消息は、なかなか掴めなかった。
冒頭の溝邊さんの電話は、それらが見つかるかも知れないという連絡だった!!
氏はさらに、懇意にされている千修吹奏楽団の常任指揮者、井上 学さんが、実は、当時、復刻版を受け取っていたが、現在は“家庭内消息不明”になっているようだとも話された。
追跡は、もう少しで現物につきあたるかも知れないという寸前まで進んでいたのだ。
(これはどこかから出てくる可能性がある!!)
溝邊さんは、『“まなぶ(井上さん)”には、“絶対探せ!”って、言うてあります。(東京弁に翻訳:絶対に探し出せ!と指示してあります)。』と言われた。
その後、何日かして、再び溝邊さんから、元海上自衛隊東京音楽隊の谷村政次郎さんが復刻版をお持ちだとわかり、2週間に限って貸していただけることになったとの連絡が電話で入った。
溝邊さんの厳命を受けた井上さんが知人や関係者に当たった結果だった。
(関係各位には、大感謝だ!)
谷村さんが所有される「月刊吹奏楽研究」の復刻版は、その後“しばらく”して、井上さん、溝邊さんの手を経て筆者の手元に届いた。“しばらく”というのは、谷村さんから現物を受け取られた井上さんが、その中身のあまりの面白さに読みふけってしまい、少なくとも3日間、氏の手元で滞留したままになるという予想外の展開となったからだ。
井上さんにとっても、恐らく、まるで“未知との遭遇”のような内容だったのだろう!
思わず読みふけってしまった気持ちもよくわかる。
それはさておき、受け取った復刻版は、2004年(平成16年)12月5日、神奈川県吹奏楽連盟の創立50年記念事業として発行されたものだった。
“復刻”は、発行当時の原紙に一切手を加えず、そのまま複写(あるいはスキャニング)して原寸どおりの姿で製本するという丁寧な手法で行われていた。
復刻年の2004年は、オリジナルの発行元“月刊吹奏楽研究社”が活動をやめてから、ちょうど40年という節目の年。商業出版物としての著作権が完全に消滅する前だけに、“復刻版”の表紙にも“月刊吹奏楽研究社”の社名が印刷されていた。
“復刻”の実際にあたっては、各地に点在する“原紙”を集め直したようだ。
しかし、1955年(昭和30年)4月1日発行の「通巻18号」、同12月1日発行の「通巻26号」、1956年(昭和31年)1月15日発行の「号外」の3号は、なかなか見つからず、記念事業の“復刻版”の締め切りに間に合わなかったようだ。そのため、後日それら3号をまとめた“復刻補完版”が別に作られた。
そのような事情から、復刻版は、「神奈川県吹奏楽連盟創立50年記念 月刊吹奏楽研究 復刻版(昭和28年10月15日創刊)」と「月刊吹奏楽研究 復刻補完版」の2分冊に分かれている。
分冊にはなったが、“復刻”は、当時の神奈川県吹奏楽連盟がやり遂げた本当に価値ある仕事だ!
そして、そのコンテンツは、同紙創刊時にはまだ全日本吹奏楽連盟が存在しなかった、そんな時代の日本の吹奏楽の活動をありのままに伝える、まるで“タイムカプセル”のような存在だった!
ところで、「月刊吹奏楽研究」が大きく“全日本吹奏楽連盟”について触れたのは、1954年(昭和29年)1月15日発行の「通巻4号」に掲載された「社説 希望に輝く昭和二十九年 全日本連盟の結成に協力せよ」という、編集主幹の三戸知章さんが書いたその文中においてだった。
三戸さんは、社説の中で、『わが月刊吹奏楽研究社は今回の全日本吹奏楽連盟の結成に全面的に協力しこれが結実をはかるものであるが、特に全日本連盟は、全國千を越えるすべての吹奏楽團を全部網羅包含して名実共に打つて一丸とした強力なものたらしめたいのである。』(原文ママ)と檄をとばしている。
同紙は、その後も、「昭和二十九年度吹奏楽 大方針大要決定」(1954年2月15日発行 / 通巻5号)、「全日本吹奏楽連盟結成準備着々進む」(1954年6月1日発行 / 通巻8号)と続報記事を掲載。全日本連盟結成に向けての動きを刻々と伝えるとともに、関東吹奏楽連盟や全関西吹奏楽連盟など、各連盟が独自に行なっている吹奏楽祭やコンクールを詳報。まるで、吹奏楽連盟の機関紙のような役割までこなしていた。
そして、1954年(昭和29年)12月1日発行の「通巻14号」で、ついに「全日本吹奏楽連盟 全国待望裡に結成さる」という記事を掲載!!
引用すると、それは以下のような内容だった。
『菊花咲き乱れる十一月十四日に東京芸大奏楽堂で催された一九五四年度吹奏楽コンクール終了後、引きつづいて、全日本吹奏楽連盟結成式が挙行された。
これは昨年十一月十五日のコンクール当日上野公園明月園で催された東西吹奏楽関係者懇談会で決定され、その後準備中であつたもので、遂に今回その結成式挙行のはこびとなつたことは、躍進をつづけるわが国吹奏楽将来の発展のため大いに慶祝されなくてはならない。
当日は関東吹奏楽連盟各役員および関係者全員の外、大阪から辻井市太郎、東信太郎、菅野圀太郎、山口 貞、伊藤信雄、矢野清、竹本義弘、九州から長崎市警の磯田有志朗、北海道から室蘭富士鉄の高橋沢五郎、東海連盟理事山本誘の諸氏が列席、無事結成終了。理事長に堀内敬三(関東連盟理事長) 副理事長に神納照美(東海連盟理事長) 朝比奈隆(全関西連盟理事長)の諸氏の就任が決定、事務所を朝日新聞東京本社企画室に置き 今後吹奏楽を通じて日本文化の向上、国民情操の陶冶、吹奏楽の普及及発展のための一大運動展開の巨歩を進めることになつた。
組織及び事業その他に就ては今後具体的に協議するが、とにかくその結成を見た全日本連盟の前途の多幸を祈るのである。』(原文ママ)
少々時代がかった書きっぷりながら高揚感を伴うその文体から、この記事は、間違いなく社説と同じ三戸さんが執筆したものであろう。
以上を、2008年(平成20年)に出版された「全日本吹奏楽連盟70年史」(社団法人全日本吹奏楽連盟)とクロス・レファレンスすると、結成式が行われた会場が「日本青年館」だったこと以外、新しい事実はとくに出てこなかった。他方、主たる出席者の顔ぶれや当日の集合写真、結成に至る経緯などは、1953年以降、現場取材を継続した「月間吹奏楽研究」の独壇場だった。
だが、「全日本吹奏楽連盟70年史」にも、1972年(昭和47年)11月5日、普門館(東京)で催された第20回全日本吹奏楽コンクールの席上、第20回を記念して“特別に全日本吹奏楽連盟の発展に功績のあった方々”の1人として、三戸さんが連盟から感謝状を贈呈されたことが記録されていた。
「月刊吹奏楽研究」の紙面だけでなく、全日本吹奏楽連盟結成のバック・グラウンドやその後の発展に大いなる貢献があったからだろう。
今日、“三戸知章”の名は、共同音楽出版社から出版されていた多くの吹奏楽曲の編曲者としてオールド・ファンの記憶に留まるのみである。しかし、氏は、全日本連吹奏楽連盟の結成当時、吹奏楽のアレンジャーとしても、ジャーナリストとしても、間違いなく日本の吹奏楽の中心的人物の一人だった!
茶色く変色したり、劣化してボロボロになることもあるが、記録媒体としての紙と活字の力は絶大だ!
「月刊吹奏楽研究」が伝えた歴史の一頁!
それは、時間の流れの中に忘れ去られようとしていた史実を正しく今に伝えてみせたのである!
▲「月刊吹奏楽研究」(昭和28年10月15日、創刊1号、1面)
▲「月刊吹奏楽研究」(昭和29年12月1日、通巻14号、2面)
全日本吹奏楽コンクールデータベースを運営しております阿部と申します。「月刊吹奏楽研究」の復刻版があるという記事を拝見してコメントさせていただきました。
全日本吹奏楽コンクールの記録という観点で「月刊吹奏楽研究」はとても貴重な資料です。バンドジャーナル創刊以前のコンクール結果を集めた資料は他にないと思います。
しかし「月刊吹奏楽研究」は国立国会図書館にも所蔵はありませんし、東京文化会館の音楽資料室でも一部しか所蔵されていません。
何とかその内容を参照して全日本吹奏楽コンクールデータベースの欠落部分を埋めたいと考えています。
共有いただける情報がありましたらご教示いただけると幸いです。
不躾なお願いで恐縮ですが、よろしくお願いいたします。