▲ヨハン・デメイ
▲愛用のピアノに向かうヨハン
▲交響曲第2番「ビッグ・アップル」のスコア表紙の見本を見せるヨハン
交響曲第1番『指輪物語』(Symphony No.1 “The Lord of the Rings”)の世界的ヒットで知られるオランダの作曲家ヨハン・デメイ(Johan de Meij)のアムステルダムの自宅に招かれたのは、1993年6月27日(日)のことだった。
前夜、ブーニゲンで聴いたオランダ王国陸軍バンドのコンサート(第70話:オランダKMK(カーエムカー)の誇り”、参照)の興奮がまだ冷めやらない、オランダ滞在2日目のことである。
この日の朝、筆者の泊るホテルまで車で迎えに来てくれたヨハンは、“今日は、自分のことをいろいろ知って欲しいんだ”と言いながら、まず、彼が所属するコンテンポラリー・ミュージック(現代音楽)合奏団“オルケスト・デ・フォルハルディンフ(Orkest de Volharding)”の練習へと筆者を誘う。
オランダは、コンテンポラリー・ミュージックの演奏がひじょうに盛んな国だ。
ヨハンは、金管楽器、サクソフォン、ピアノ、ギターからなるこのグループのセカンド・トロンボーン奏者でもあった。
この日聴いた曲は、はじめて耳にするものばかりだった。しかし、練習は、近く予定されているレコーディングのためのリハーサルだということで、演奏はすでにほとんど仕上がっていた。それを、他に聴衆がいない中、自分の好みの“特等席”で自由に聴けるとは、正しく贅沢の極みだ!
オランダの管楽器プレイヤーの個々の実力を間近で聴くことができるすばらしい時間となった。
練習終了後、ヨハンは、“せっかくオランダに来たんだから、オランダ流のランチにしよう!”と言って、車でアムステルダム北方のどこかの田舎町(これが思い出せない)のパンケーキのレストランに連れていってくれた。
昨夜につづき、ヨハンは、『この店には、日本からの観光客はまだ誰も来たことが無いはずだ!』とやけに自信満々だ!
そこは、日本のような派手なネオン類が一切ない店だった。ヨハンの“ここのがうまいんだ!”という言葉に促されながら一歩店内に入ると、そこは常連とおぼしき人たちで一杯で、ワイワイガヤガヤと、まるで村の集会場といった感じだった。
しかし、オランダ語で書かれたメニューらしきものは、もちろん、まるでチンプンカンプン。なので、彼に注文を任せると、いろいろ違った種類のものが出てきた。
日本で知る“パンケーキ”とはまるで違う。しかもどれも結構ボリュームがあった。
“そうか、オランダ人は、こういうものを毎日のように喰っているので、あんなに背が高くなるんだ!”などと、勝手に自分を納得させながら、二人でランチを愉しんだ。
ランチの後、今度は、“マルケン”というアムステルダム近郊の港町で“ハーバー・フェスティヴァルをやっているので行こう!”ということになった。
マルケンのハーバーに着くと、大きな仮設テントがしつらえてあり、その中で4つの町のコミュニティ・バンドが得意の曲を披露していた。座席もテントの中にあり、各町の応援団が押しかけていた。
しかし、演奏するバンドは我々が知るいわゆる“吹奏楽団”ではなかった。 。ヨハンの説明によると、この日演奏した4つの団体すべてが、フリューゲルホーンを主たるリード楽器とし、ソプラノからバスまでのサクソフォン、若干のトランペットやクラリネットを加えた“ファンファーレ・オルケスト”スタイルのバンドだった。オランダでは、“ウィンドオーケストラ”スタイルより、“ファンファーレ・オルケスト”スタイルが一般的で、コミュニティ(町)を代表するバンドは、ほとんど“ファンファーレ・オルケスト”なんだという。
“ファンファーレ・オルケスト”のために作曲されたオリジナル曲もかなりあるというから、驚きだ。
そして、ヨハンは、ちょうど着いた時に演奏を始めたバンドでは、“少し前まで指揮を務めていたんだ”と説明してくれた。
道理で、サポーターからも演奏メンバーからもヨハンに向けて親しみを込めた目くばせが飛ぶ訳だ。
演奏が終わると、ヨハンから自分の後任だという指揮者テーオ・ヤンセン(Theo Jansen)を紹介された。
彼はなんとアムステルダム・ウィンド・オーケストラ(Amsterdam Wind Orchestra)のテューバ奏者だった。
自己紹介に続いて、氏から『日本からとは珍しい。実は来週に日本の東芝EMIのための録音があるんですが、のぞきに来ませんか?』と“お誘い”を受ける。
東芝EMIのための録音とは、第54話「ハインツ・フリーセンとの出会い」でお話ししたCD「吹奏楽マスターピース・シリーズ 第6集」の1枚、「バッハの世界」(TOCZ-0017)のセッションのことだった。
そこで、“そのために来た”と話すと、氏はビックリ仰天し、きびすを返すや、いきなりハイネケン(オランダのビール)を注文し“さあ、何杯でも呑んでくれ!”と熱烈歓迎状態となった。
大盛り上がりのマルケンの後、ヨハンは、アムステルダムの自宅に案内してくれた。
部屋に通されたとき、いきなり目に飛び込んできたのは、壁に飾られた交響曲第1番『指輪物語』の初演(1988年、演奏:ロワイヤル・デ・ギィデ)のポスターだった。
“すべてはそこから始まった!”
ヨハンにとっては、それは正しく“宝物”だ!
そして、“これを見て欲しい”と言いながら、最終頁あたりを残すだけとなっていた書いている最中の新作のスコアを見せてくれる。
曲は、アメリカ空軍ワシントンD.C.バンド(The United States Air Force Band, Washington D.C.)から委嘱された交響曲第2番『ビッグ・アップル(ニューヨーク・シンフォニー)』(Symphony No.2 “The Big Apple” – A New York Symphony)だった。
それは、“指輪”とは、かなり図柄の違うスコアで、音数がかなり多い。
もとは3楽章構成のシンフォニーとして書き始めたと説明されたが、目の前にあるのは、第1楽章「Skyrine(スカイライン)」と第2楽章「Gotham(ゴーサム)」の2つの楽章だけだった。“もう1つはどうなったの?”と訊ねると、“途中で考えが変って、対照的な2つの楽章の間に、ブリッジのようなつなぎのインタールードを入れることにしたんだ”という。
さらに“それは、どうなるの?”と尋ねると、“今度アメリカに行ったときにニューヨークの雑踏を録音して使おうと思うんだ。どうだい、面白いだろう!”との返答が返ってきた。
いかにも、コンテンポラリー・ミュージックを演奏するヨハンらしい着想だ。これは、後に「Times Square Cadenza(タイムズ・スクエア・カデンツァ)」と名付けられ、“ニューヨークの街の雑踏と地下鉄の音”の録音(楽譜では、付属CDに収録)として実現する。
食い入るようにスコアに目を走らしていると、ヨハンは愛用のピアノでいくつかのテーマを弾いてくれたり、シンセで作ったハーモニーの断片を聴かせてくれる。
中でも、第1楽章で現われる“スカイライン・モチーフ”のカッコよさは、とくに耳に残った。
しかし、話を聞いている内、なんとなくぼんやりとだが、目の前にいるこの作曲家が、既存の“吹奏楽”の固定的概念や限界を超える音楽を書き始めていることを感じ始める自分がいた。
交響曲第2番『ビッグ・アップル(ニューヨーク・シンフォニー)』は、その後、当初1993年10月に計画されていた“委嘱者による公式初演”が1994年3月に変更されたため、1994年2月20日、ユトレヘトで行われたハインツ・フリーセン(Heinz Friesen)指揮、アムステルダム・ウィンド・オーケストラによる“オランダ初演”が日としては先になるというハプニングもあった。
1つのウィンドオーケストラの作品が、国境という枠組みを簡単に超えて世界中で演奏されるようになったればこそのハプニングだった。
しかし、その“オランダ初演”直後に同じアムステルダム・ウィンド・オーケストラによってセッション・レコーディングされたCDは、発売されるや世界的ヒットとなり、ヨハン・デメイの名に再び脚光をあてることになった。
作品のルーツに思わぬハプニングあり!
これだから、バックステージは面白い!
▲「ビッグ・アップル」の紹介パンフ(1994年)
▲同、説明
▲“オランダ初演”の成功を伝える現地新聞(作曲者提供)
▲CD – The Big Apple(蘭World Wind Music, WWM 500.003、リリース:1994年)
▲同、収録曲