家族愛と報復感情は同じか?
そもそも世の中に家族愛が本当にあるのか、という疑問がある。たとえば日本での離婚率は35%である。本当に離婚する人だけで35%なのだから、離婚を考えて踏みとどまっている人も加えたら、不仲な夫婦の方が多いと言ってもよい。仲が悪い家族というのは普通なのである。それにも関わらず、家族が殺されたとなれば、復讐の鬼になるし、そもそも大衆が黙ってはいない。「うちの家族がこんな目にあったら」と狂い出す。仲が悪いはずなのに不思議だな、ということだし、賠償金目当てというのもあるだろうが、愛と復讐は別腹なのである。愛とは違って、復讐のエネルギーは強い。賠償を求めるのは、一万円札がたくさん欲しいというのもあるが、なにかしら傷ついた自尊心の回復でもある。この激憤は愛情とは別腹なのだが、大多数の人は混同しており、「こんなに愛していた」と錯覚したりもする。愛情は弱く憎しみは強いのが人間である。外敵に攻撃されなければ団結できないような家庭ばかりだし、家庭内が愛で溢れていたというよりは憎しみで溢れていたことも多々あるだろう。もしかすると犯罪者は仮想敵として大事なのかもしれない。縄張りを侵害するのが犯罪なのであるし、権利侵害に対する激怒である。愛情は枯渇しているが、憎しみはマグマのように湧き出すのが人間である。殺された被害者を美化するのも、遺族の都合が強いにせよ、生々しく生存している人間はまがまがしく、死んでいると理想的な家族愛という幻想を託しやすいのがある。現在目の前で生きている人間を愛せるのか、という問題でもあろう。