アメリカの国際金融資本が、政治的な動機に基づき、政府によって主導され、支配されるようになったのは、歴史上まれなことである。過去に他の国々が、政治的な目的に応じて外国の戦争でどちらか一方に資金を提供したことがなかったわけではない。しかし、政府の資本を利用して、世界に対して疑いの余地のない債権者となった国は、過去にはなかった。近代史上初めて、国際金融は一国の政府による国際資産の蓄積と集中によって支配され、民間資本による投資の影が薄くなった。
アメリカの国際金融資本がこのようなユニークな発展を遂げたのは、金融の常識から逸脱していたからであり、ジョン・ホブソン、カール・カウツキー、レーニンが予見していたことから逸脱していたのは確かである。予見されていなかっただけでなく、彼らの考えが形成された時代の経済と国際関係の発展においては、予見不可能であった。予想されていたのは、国際的な金融資本の増大と集中は、資本の全般的な蓄積と集中の不可避な段階であるということであった。カウツキーとレーニンは、ルドルフ・ヒルファーディングと同様、この見解をホブソンと共有していた。カウツキーは、これが戦争につながる可能性もあれば、金融資本の国際カルテルの間で適切で拘束力のある協定が結ばれれば、平和につながる可能性もあると推論した。
レーニンは同意しなかった。戦争は、私的金融資本の役割の国際化によって起こりうるだけでなく、起こらざるを得ない。資本主義世界の政府は、各国ブルジョアジーの執行委員会であった。競合する金融資本の国家グループ間の利害の対立は、事実上、政府を巻き込んだ国際紛争にならざるを得ない。その結果、戦争が起こるに違いなく、利害対立の産業的・地理的範囲が広ければ広いほど、戦争も拡大することになる。
カウツキーもレーニンも、アメリカが唯一の大債権国として出現するという特異な局面を予想も分析もしていなかった。この点については、両者とも誤りであっただけでなく、大多数の学者を含むアメリカ国民も同様であった。膨大な政府間債務に内在する移転の問題や、移転メカニズムの技術的な調整に注目が集まった。しかし、学者たちによって検討される必要がありながら、検討されなかった真の問題は、指導的な政府が、その国のブルジョアジーの利益を、国家政府の自律的な利益に従属させることが、世界に何をもたらすかということだった。そのような状況下では、国家の民間資本家の資源は、政府が適切と考える目的のために規制されることになる。そのような政府には、圧倒的な規模の国際的な財源がもたらされるだけでなく、外国政府は、そのブルジョアジーを含む自国民に、借入金や税金として義務を課すだろう。