量子学でも語られてる、この世界は"仮想現実"かもしれない。
について、
僕的に解釈している事を話していきたいと思う。
一つの"音の物質"を、
二つの穴に向けて発すると、
穴を通り抜けた"音の物質"は二つの"音の物質"に増えて、
振動していく。
その現象から、
音には"物質"だけではなく"波動"も存在する。
と言われているみたいだ。
"物質には、物質以上のモノが、
同時に存在している"
ティンダーの猫の実験では、
箱の中に入った猫が、
その箱を開けて"観測"するまでは、
その猫が死んでいるか、生きているかを、確定できない!
とされている。
つまり、箱の中では、
死んだ猫と生きた猫が"同時に"存在している事になる。
これも、
一つの"物質"が、箱を使った事により、
二つの"物質"に増えた事になる。
物質には波動が存在している事がわかる実験だ。
そんな風にして考えていくと、
実は僕達のいるこの世界は、
実は本当でもあり、
嘘でもある。
という見解に行き着く。
僕という人間も、
一つの物質だが、
いつくものパラレルワールドがこの地球にはあるとしたら、
その世界線A、B、C、、とあるとしたら、
僕は一つの物質だけれど、
最初に話した、
一つの音の物質は二つの穴を通り抜けると、
二つの音の物質に"増える"のと同じく、
世界線A、B、Cの入り口に僕が入ることにより、
一つの僕という物質には"波動が加わり、
何通りの物質にもなり得るのだ。
一つの僕という物質が、
世界線Aの入り口に入ると、
生きて元気な僕がそこにはいるかもしれない。
世界線Bの入り口に入ると、
生きていても病気な僕がそこにはいるかもしれない。
世界線Cの入り口に入ると、
死んでいてこの世には僕はもう存在していないかもしれない。
それらの一つの僕が、
異なる世界線で、
異なるパターンで、
いくつも同時に僕は存在しているのかもしれない。
そう考えると、
この世界は"仮想現実"となるのだ。
去年からずっと、
僕は世界線Bにいる気がする。
色んな意味で病気な世界線だ。
僕の身内はそこの世界線ではもうこの世にはいない。
今、僕は世界線Aを目指してる。
健全な世界線だ。
僕の身内もそこの世界線ではまだ生きてる。
ただ、
世界線Bでやっている事、人間関係、状況、は、
世界線Aとは、
何から何まで違う気がする。
最近、
今までやっていた事や人間関係を築こうとすると、
その直後に"違和感"を覚えたり、
"体調不良"として、そのやっていた事や人間関係を"止めてくる"イメージがある。
おそらく、
僕が今、世界線Aを生きる!と決めているからか、
今まで通りの世界線Bをやろうとしてもできない状況になるのだ。
でもそれは決して残念な事ではなく、
むしろ光栄な気がしている。
順調なんだなって感じです。
世界線Aに早く"移りたい"
移りたいというより、
今は、
世界線Bが僕の意識の中で"確定"されちゃっているので、
世界線Aを僕の意識の中で"確定"させたい。
その上で、
世界線Bでは身内が亡くなってしまっているのが僕の意識の中で"確定"されちゃっているので、
その意識を、
世界線Aの身内がまだ生きているとこに"確定"させるのは容易い事ではない。
最近は、
そこへの意識を移らせる事よりも、
色んな意味で健全な世界線Aには、
身内も生きている気がするので、
僕自身にとっての"健全な生き方はなんだろう?"の追求に入りはじめてる。
そう考えると、
今日までの生き方への"卒業"をする事が、
健全な生き方に繋がりそうだな、と、
今はそう思う。
世界線Aを目指して、
引き続き僕は生きていきます。