清義明(せい・よしあき) ルポライター
1967年生まれ。株式会社オン・ザ・コーナー代表取締役CEO。著書『サッカーと愛国』(イースト・プレス)でミズノスポーツライター賞優秀賞、サッカー本大賞優秀作品受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
しかし、さすがにアゾフについては問題視されはじめた。
英紙のガーディアンは「プーチンはロシア人ではなく、ユダヤ人だ」と主張するアゾフの兵士のレポートを掲載して、彼らは「ウクライナの最強の武器であるとともに、もっとも深刻な脅威かもしれない」と警戒をよびかけている。例によって、ナチスのハーケンクロイツの入れ墨をする兵士についてアゾフのメンバーが聞かれると、「太陽のシンボルにすぎない」と否定する。彼は、自称「国家社会主義者」であるそうだ。多くの兵士は北欧の神話に興味があるだけだ、とも。これらはネオナチが自分達がナチス信者ではないという時のお約束の決まり文句である。(注25)
ガーディアンのこの記事では、まだアゾフの兵士はウクライナ軍では部分的にすぎないとも言って、これがロシアがいうように彼ら「ネオナチ」が「ロシア人をジェノサイドする」危険はないだろうとも付けくわえている。また、アゾフが親衛隊に編入されたとき、その数はせいぜい千人程度だったとも言われている。
ただし、彼らが「強力な独裁者が権力を握る必要がある」という思想を共有していることもつけくわえている。彼らが考える、白人至上主義的な思想をもつ集団による独裁政権の姿は、少しずつウクライナ社会の各所で姿をあらわすようになってきている。ちなみに、ビレツキーによると、アゾフの支持者は数百万人とのことだ。東部紛争で同じようにユーロマイダンを経て民兵化したアゾフ以外の極右グループは30から40程度あると見られている。(注26)
こうした極右グループが、軍隊に正規軍として編入され、ユーロマイダン後の官邸や国会に晴れ晴れとした表情で、しかも英雄として姿を現すようになると、ウクライナ社会ではヘイトクライムが至るところで発生するようになった。
アゾフも軍事部門は正規軍に吸収されたが、その政治活動のフロントとして「国民部隊」という団体を組織した。キエフの夜の街に国民部隊があらわれるようになると、ある日、彼らは目だし帽をかぶり、ウクライナを腐敗とアルコールの害から守ると称して自警活動をはじめた。ターゲットは有色人種の不法移民である。彼らは自分達が警察よりも優秀であるとうそぶいた。「マイダンの時に警察に、なにができた?」 そしてキエフの警察署長にはネオナチのエンブレムをつけたアゾフのメンバーが就任した。
あるとき市議会にこの集団が乱入し、予算案が通過するまで離れないと脅す事件も発生した。この行為には内務省が関与しているのではないかと噂された。(注27)
少数民族のロマに対する迫害も問題になった。アムネスティインターナショナルは極右グループによるものとして非難し、警察がこの捜査を進めないことも問題視している。この襲撃が、国民部隊と警察の癒着が背景にあることは多くの人が指摘している。(注28)
ロシアのクリミア併合後に故郷を逃れ、ウクライナのリヴィウに移り住んだ、クリミア・タタール人の難民が、イスラム主義の拡大をねらった宗教的な宣伝をしたということで、アゾフは批判した。この時はさすがに問題になったため、この主張を掲載したネットの記事を削除したという。(注29)
東部紛争の最前線でも、極右民兵による問題は頻発した。アゾフのような民兵組織はおおよそ40グループあると言われている。それが政府によるコントロールが必ずしもきかないまま紛争の最前線になった。それはすぐに問題化した。NGOヒューマンライツウォッチは、ウクライナ政府軍とアゾフを含むウクライナ民兵による、市民への無差別ロケット砲攻撃があったことを伝えている。
国際連合人権高等弁務官事務所は、民間人の殺害、拷問および虐待、略奪などがあったことを報告している。そればかりか、アゾフが裁判までを妨害していることを問題視している。(ただしアゾフはその規律正しさゆえに、略奪などの行為は関わっていないとの指摘もある)
アムネスティインターナショナルは、アゾフと同じ極右の民兵組織であるアイダー大隊による誘拐や違法拘束、虐待、恐喝、略奪や、違法な殺害などがあったと指摘している。そして事実上、国の管理下におかれていないことも問題視している。(注30)