法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第23話 譲れない優しさ

 クワイエット・ゼロをめぐる攻防はつづく。スレッタとエリクトが戦いつづける隙に、ミオリネたちはクワイエット・ゼロに侵入をはたした。一方、議会連合は戦況全体をくつがえす兵器を動かそうとしていた……


 大河内一楼シリーズ構成と中西やすひろの共同脚本で、クワイエット・ゼロをめぐる戦闘は今回だけで予想外にきちんと完結した。親世代の因果を背負わされた子供たちが無駄な争いをつづけ、対等な目線であろうとする子供たちが止めるという構図が一貫している。ストーリー展開としてはノイズでしかないグエルとラウダの兄弟戦闘が、今回のエピソード全体の縮図になっていることで逆に理解を助けてくれる。
 ただ地球を搾取する宇宙勢力の主導権争いという世界観の大枠が、地球への差別や搾取を放置したまま企業と議会の戦いに収束して最終回にむかうのは、いろいろな意味で不安なところがある。現時点で主人公側の協力者に位置する大人たちが、どれも地球への差別や搾取を前提視している者ばかり。選ばれた上澄みの学生だけの友好を描いても搾取や差別の解決として納得しづらい。たぶん地球の状況を知ったラウダやミオリネあたりが援助するという、中途半端な落としどころにするのがせいぜいだろう。
 また、それまで言葉だけで語られていたクワイエット・ゼロが超巨大な機械装置として登場した第21話*1は良くも悪くも「ガンダム」作品らしいサプライズだったが、今回に議会連合がもちだした巨大兵器は設定そのものは理解しやすいだけに前倒しで登場させてほしかった。劇中で語られる偽装的な使用法で、あたかも地球と宇宙をつなぐ理想的な機械として視聴者に印象づけていたなら、その正体をあらわす今回のインパクトが増しただろう。


 巨大構造体の内部で複数の大人や子供が侵入して等身大の戦闘が行われ、さらに外では三つくらいの戦いが同時進行しながら、きちんと画面が成立しているところは感心する。むしろ他の捨て回よりも作画に隙を感じないくらいだった。
 しかしTVアニメで絵コンテが7人というのはなかなか見ない。どうやって割りふって全体の統一感をはかっているのだろうか。麻宮騎亜米たにヨシトモのような作品初参加のコンテマンが多いのに見ていて違和感ある芝居もなかった。