公開された開智学校 文明開化の象徴 ここに長い教育の歴史が=1965(昭和40)年4月9日付紙面【モノクロをカラー化】
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昨年夏、その復元工事が完成した重要文化財の松本市・開智学校が、1日から一般に公開され、参観者でにぎわっている。この開智学校の建築は、いまから89年前の明治9年。そのころ西洋風の学校として有名だった東京の開成学校(現在の東京大学の前身)の設計を取り入れ、松本城の新御殿、奥御殿をつくったことのある町大工、立石清重を棟梁(とうりょう)に選んで、筑摩県松本町(現在の松本市本町)に建築された。建築費は、当時の金額で1万2千円で、工事に1年間をかけた。和洋混合の建て物で、本館中央屋根に八角塔をおき、窓にはギャマン(ガラス)をはめた開智学校は、そのころの「文明開化」の象徴として、松本町の人たちの目をみはらせた。
玄関にはエンゼルや竜の彫刻があり…
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