第12話 妖巧人形のエメル

 椿姫がローキックを放ってきたのを、燈真は持ち前の動体視力ではっきりと認知していた。

 三戦立ちで重心を落とし、左足の踵を右足の膝裏に向けるように曲げて脛で受け止める。頑丈な骨が盾となり、椿姫は蹴り足をゆっくりと戻した。

 普通の喧嘩ならこの時点で相手にダメージが与えられ、場合によっては蹴った側が悶絶している。しかしさすがは妖怪、妖力で薄く防御膜を張っていたためまるで無傷だった。


「できたわね。私の蹴りについてこられるのは流石だけど、それは鬼ってよりあんたの場数がなせる技かしら」

「どうなんだろうな。でも、最近は本当に力が湧いてくる」

「さ、行くわよ。次は連続で出すからね」


 素早い蹴り。今度はローキックだけではない。中段、上段にも飛んでくる。燈真はそれらを受け、躱し、封じるためカウンターを仕掛けて対応する。

 夏休み初日の朝はランニングの後で、そのような訓練を行なっていた。


 やがて燈真たちは道場から屋敷に戻る。燈真は洗面所の方の風呂場で、椿姫は別館の風呂場で汗を洗い落とし、それぞれ家にあった着流しを着て居間に向かった。

 部屋着兼ちょっとした外着である。近所をぶらつく分なら、これで上等だった。

 しっかりと朝食をとった後は、昼まで自由時間。燈真は自室に戻り、八時まで学校の課題を進める。面倒臭いが、提出物を出さねば卒業できないし、これが今必要な訓練の一種だと思えば、耐えられないことはない。

 それに、少しずつとはいえ知識が身についていくのはRPGのレベルアップだったり、スキル習得みたいで面白いというのもあった。


 課題を終えた燈真は伸びをした。関節が小気味いい音を立て、何度か屈伸と前屈をした後で首を回し、ショルダーポーチを着流の上からつけて部屋を出る。


「あれ、どっか行くの?」

「椿姫。ああ、ちょっと散歩にな。昼飯までには戻ってくる」

「そ。気をつけてね」


 ずっと頭を使っているとただでさえウニのようにぐにゃっとしている脳みそが、さらにしわくちゃになる。シワが多いほど頭がいいという説が流れたこともあったが、今では半信半疑というレベルの認知が一般的だ。

 つまり、燈真は脳に溜め込まれたサビのようなカスを捨てるために外を歩く。それだけである。


「ロイ、この前問題集の答え見つけてくれたのお前だろ? ありがとうな。無くさないように気をつけるよ」


 廊下の突き当たりのドアに、聞こえているかどうかはわからないがそういって歩き去った。


 家を出ると夏の陽気が、二十八日の午前中の大地を照りつける。

 夏休みシーズン開始の最初の日曜日。小中高それぞれ一つの魅雲村は、学生は一斉に休みである。郡内の大学や、外の高校大学に行っていた生徒も里帰りをしてきており、いつも以上に賑わっていた。


 魍魎を退けるという名目で毎日がちょっとした縁日のようになっているため、広く取られた歩道の脇には屋台が並ぶ。昼食前だが、軽く食べるくらいなら若者の甲斐性だろうと解釈した燈真は、屋台の一つでケバブを購入した。

 大きな丸焼きの肉をケバブナイフでこそげ落とし、ピタパンにレタスと一緒に盛り付け、最後にチリソースをかける。


「おまちどうさん」

「ありがとう」


 代金を——芽黎現代では電子マネーと現ナマは半々という流通具合で、燈真は今回現金で渡した——支払い、ケバブを受け取る。


 どこかで落ち着いて食べたいなと思って歩いていると、立ち食いでひととぶつかるのを防ぐためあちこちに置いてあるベンチの隅が空いているのを見つけて、そこに腰掛けた。

 隣には線の細い緑髪の少女が座っていて、物憂げに斜め下を睨んでいる。

 嫌なことでもあったのだろうか。


 なんとなく食べづらい。しかし座ってすぐ立ち上がるのも申し訳ない。

 そう思っているとこちらの葛藤を見抜いたように、少女が顔を上げて燈真の目を見た。

 彼女の瞳には歯車型の円が浮かんでいる。


「それ、一口いただいても構いませんか?」

「えっ」


×


 妖巧人形あやくりにんぎょうとは妖力で動く機巧からくり人形。最古の記録では平安初期にまで遡り、悪名だかき人形神ひんながみをインスタントに再現しようとして——そもそも人形神自体まじないでお手軽に幸福を手に入れようと作られたものなのだが、こちらは機械的に、という意味だ——作られたものという説がある。


 初期の頃には木製、鋳鉄製といったそれも、現代では高分子導電性人工筋肉やカーボン骨格、可塑性スキン素材などを用い、限りなく人間に近しい人形を作れるようになっている。

 人間原理主義的に言えばこれらの技術は、人間が高次の存在に進化するための一歩で、妖怪的に言えば精神文化的退化の具現で、融和派にとっては両者をつなぐ技術ということになる。


 それはさておき機械といえば動力だ。

 水力、ガス、電気——なんでもいいが、物を動かすにはエネルギーがいる。当然そのエネルギーとは無から捻出できるわけではなく、妖巧人形の核となる妖力もどこかから作り出さねばならない。


 それが、最新鋭の人形の場合は経口接種による食物であった。


×


「ごちそうさまです」

「一口って言わなかったか……?」


 食べながら自分が妖巧人形で、買ってくれた主人が所持記録を抹消した上で不法投棄したらしいことなんかを聞かされた燈真は、エメルと名乗った彼女がどこか哀れでケバブを恵んだのだが、まさか全部一人で食べ切るとは夢にも思わなかった。

 せめて半分くらいで済ませてくれるのかと思っていたが。


「お礼は、必ず」

「いや、いいって。そんな余裕ないだろ」

「はい……あ、あの、でしたら……いえその、でしたらというのも大変不躾ですが」

「?」


 エメルは翡翠の目をこちらに向けて、


「私を家政婦として雇っていただけませんか? 家事炊事家庭教師、なんでもします。報酬は食べ物を、捨てるものを分けてくれるだけでいいんです」

「……首を縦に振ってやりたいけど、俺だけじゃ決められないよ。とりあえず屋敷にきてもらっ——」

「小僧」


 後ろ。


 燈真はエメルを抱えて飛び退いた。

 ガシャンッ、と甲高い破砕音がして鉄パイプの骨組みでできたベンチが砕け散り、あたりに悲鳴と、嬌声が上がった。


 喧嘩は妖怪の花。口喧嘩は挨拶、殴り合いはハイタッチ。ひとによってはそんな物騒なことまで言う始末であるが——現代に適応しつつも扁桃体に忠実な一面を持つ妖怪らしい発言である。


「なんだよ」

「いい反応だ。その鉄屑をこちらによこせ」

「鉄屑?」


 ——癇に障る野郎だ。

 相手を見る。

 かなり大柄な男だ。上背は二メートルを超えるほどで、こんな真夏日に黒塗りのコートを着込んで首下から爪先まで覆い隠している。

 両手には機械仕掛けのガントレットを取り付け、ガンッ、と火花を散らしながら打ち付ける。


「悪いけど紙屑しか持ってねえ」


 ケバブを包んでいた紙屑を投げつけると、男の胸に当たって落ちた。


「俺たちに喧嘩を売るか。後悔するぞ」

「御託はいい。てめえが呪術師なら叩きのめすだけだ。——どっちだ」

「レート三等級だ」

四等級・・・退魔師だ」


 燈真が素早く式符を抜く。妖力を流すとそれに反応して、内部に封印されていた刀が顕現する。

 帯に鞘を差し込んで抜刀、燈真は二尺三寸五部のそれを構え、切り掛かった。


「速い——」


 エメルは瞠目する。妖力の質、額の角からしても低級の鬼というところか——そう思っていたが、それでも鬼は鬼。身体能力は段違いだ。

 少しずつ鬼の肉体に適応している燈真の体重は、もともと六三キロだったのが現在は七六キロ。増加分は全て筋肉の密度増加によるものだ。


 下段から足を狙い切り払い、相手がブーツの装甲で防ぐのを見越して刃を跳ね上げて胸をスライス。真上に振り上げた切先をくるりと回転させ、袈裟懸けに切り下ろす。

 手首を捻って脇腹に刺突、素早く引いて刺突。


「ち——」


 男が燈真を払うように拳を薙いだ。素早く相手の肩を掴んで背後に周り、脊髄を切り払う。

 相手は生物。どんな生き物だって背骨を切られれば無事ではない。少なくとも、独立して生きていく上での健康優良児としては、どんな妖怪でも超人であっても死ぬ。

 それを構わずに獲りにいく冷徹さは、退魔師に求められる必須のスキルであり——燈真の中に宿る妖怪の、鬼の冷たさでもあった。


 パキンッ、と乾いた金属音がして、男のコートの切れっ端がはらりと舞った。

 陽光を照り返す、黒銀色の輝き——機械の背骨。あれは、


「外骨格だ、小僧。妖力式のな」

「!」


 ブンッ、と拳が払われた。燈真は咄嗟に妖力を込めた刀で防ぐが、凄まじいパワーに押し負けて吹っ飛んだ。

 シャッターを下ろしてある何らかの会計事務所の一階に突っ込み、停めてある軽自動車のフロントガラスに大きくヒビを入れて停止する。


「さて。来い鉄屑。〈スピア〉の在処を吐いてもらうぞ」

「誰が……!」


 男とエメルの距離は十メートル弱。しかし、男はそこから数歩進んだところで気づいた。

 足元に一枚、式符が落ちている。真ん中には〈炎〉の文字。


「この————!」


 バウゥッと炎が舞い上がった。車から這い上がった燈真は切った口の中の血を拭いながら笑う。


「よかったな。火葬が安上がりに済んで」


 いくら外骨格でも着ているのは生身。焼かれれば死ぬ。まして普通の炎ではなく、妖力防御越しに攻撃できる炎の術だ。さぞかし痛いことだろう。

 他妖たにんを鉄屑呼ばわりした野郎には相応しい末路だ。


「ぎいっ」


 男が燃え盛りながら燈真に突っ込んできた。


「な——」

「燈真さんっ、逃げて!」


 後ろには自動車。万が一ガソリンに引火すれば、大火災。死者が出たっておかしくない。

 一か八か——!


 燈真はその場で納刀。

 腰を落とし、鞘を握り込んで柄に手をかける。

 精神を研ぎ澄ませ。俺がここでミスをすれば、大勢が死ぬ——。


「っ、威吹いぶ——」


 乱れた。抜刀の瞬間、妖力が過剰に注がれた刀身がぬるっと滑り、威力が激減。精々、ちょっと加速された抜刀術程度になる。しかもそれは人間の剣術家なら余裕で越えられる程度の技にすぎない。

 それがプロの命のやり取りで通じるわけがない。


 本来であれば彼我八メートルを余裕で切り裂く〈威吹鬼いぶき〉は不発——最悪の事態に、


「〈断巻たつまき〉」


 凛と鈴の音。

 男を包むように吹き荒れた烈風の嵐が炎ごと外骨格を断ち切り、一瞬で無力化する。

 無抵抗の男の手首に縄をかけたのは、稲尾家の猫又——霧島万里恵だ。


「爪が甘いぞ燈真。やるんならしっかり息の根を止めるか牙を折らなきゃ」


 可愛らしい笑みにどこか猛獣のような色を含ませながら、さながら猛虎のようなセリフを吐くのだった。

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