第11話 風雲急を告げる夏休み

 ギアをチェンジし、山道を駆け抜ける。

 一台のオフロードが裡辺地方の山中を走行していた。ライトが闇を切り裂き、荒っぽい運転で上り坂を突き進む。

 こぢんまりとした車両は石を踏んで跳ねたが、それに構わず加速。背後から三台のバイクが迫り、運転手は舌打ちした。


 バスッ、ボボボボッ——と減音器サプレッサー越しの銃声。三つのサブマシンガンの銃口がオフロードを狙い、火花を散らした。

 弾丸がタイヤを撃ち抜く——バーストし、派手に横転した。しかもガードレールを突き破って真下へ転落。高さはゆうに二十メートルを超えており、ゴシャッガシャンっという車の悲鳴の後で、川のせせらぎが聞こえてきた。


 少し遅れて火の手が上がり、バイクの乗り手は頷き合って何事もなかったかのように走り去った。


 それは七月も終わりの頃、燈真たちが夏休みを迎える数日前の出来事である——。


×


「今日から夏休みだが、みんな羽目を外しすぎないようにな。休み明けにまたここで会えるよう、健康管理には気をつけるようにな。先生も飲みすぎないようにするから。では学級委員、挨拶」

「起立、礼——」

「さようなら〜」

「はい、いい夏休みを」


 芽黎二十七年七月二十七日土曜日、終業式を終えた燈真たちは教室で担任の犬飼ミロと挨拶を交わし、教室を出た。

 今日から九月二日の月曜日まで夏休みだ。燈真にとっては地獄の修行期間の幕開けである。朝から晩まで——ということはないが、それでも今までの夏休み史上最も濃密なサマーバケーションとなるだろう。


 バスに乗ってそれに揺られている間、椿姫と万里恵は互いの私服のファッションセンス面での意見交換をしていた。燈真は黒をベースにした夏服であり、彼女らの会話にはついていけないので窓辺でぼーっとしている。

 歩道橋の上で会話する若者、電柱に寄りかかって携帯エレフォンをいじる者、コンビニの前でアイスクリームを食べる少女——いずれも妖怪が多く、今日も魅雲村は平和である。


「あっつー」

「もーすぐ家だから、椿姫。私まで暑くなってくる」

「尻尾に熱が籠るんだろ、椿姫は。狐だし」


 降りて道を歩いていると、山を吹き下ろす風に夏の匂いが濃くなっているのを感じた。

 椿姫は風をより浴びようと尻尾をもさっと広げており、万里恵が伸びをした。


 平和な夏休み。

 そう思っていた。——このときは。


 屋敷に着くと、見慣れぬ車が停まっていた。

 黒塗りのセダンである。パーツ一つ一つが丹念に磨かれており、鏡のように周囲を反射している。特別な高級車というわけではないが、立ち振る舞いに気品が感じられる、そんな感想を抱かせる車だった。


「椿姫、今日って誰か来るのか?」

「知らないけど……まあ家柄的に客はたびたび来るしねえ」

「だよね。一番あるのは退魔局のひとでしょ」


 椿姫、万里恵はあまり不審に思っていないようだ。けれど燈真は嵐の前の静けさを思わせるような、そんなえも言われぬ胸騒ぎを禁じ得なかった。


 家に上がって手洗いうがいを済ませ、部屋に荷物を置く。廊下に出て、突き当たりのロイの部屋をなんとなく見た。

 部屋の中自体が庭化しているらしく、入ったら迷うなどとも噂されているが……一体、どんな妖怪があそこに住まうのだろうか。

 引きこもりの情報屋といえば映画なんかでは使い古されたキャラだが、実際にそばにいるとなんともプロファイルを掴みづらいものがある。


 燈真は思考を払うように首を振って、一階に降りた。居間に入ろうとすると襖が開いて、スーツの男性とぶつかりそうになる。


「すみません」

「ああ、いや。こちらこそ済まない。……では柊様、よろしくお願いします」


 スーツの男は無言で寄り添う、ベージュのタイトスカートがよく似合う秘書らしき女性を伴って居間を辞した。

 玄関で革靴を履き、見送りの伊予と二、三談笑して家を出ていく。


 なんとなく大手の商社に勤める営業マンという印象を受けた。


「伊予さん、今の誰?」

「燈真君、あの人は退魔局東京本部からいらした方よ。詳しくは柊が話すから、集まってもらえる」

「? うん」


 随分と神妙な面持ちである。燈真は懐疑と不安、それから不謹慎かもしれないが少しドキドキした高揚感を抱き、居間に入った。

 そこには椿姫と万里恵がすでにおり、さらに現役の専業退魔師である黒塚奏真とその式神、クラム・シェンフィールド——そして、


「君が燈真君か」

「聞いてるわ。期待の新人だってね」


 機械仕掛けの肉体を持つ女と、黒髪の三尾の妖狐。


「えっと……どなたですか」

「俺は八十神澪桜やそがみみお。ガワは女だけど、中身は男だ。五十年くらい前に置換手術をしてこの体になった。よろしく」


 差し出された右手を握る。機械なのに人間のような質感。いや、この場にいるということは——。


妖巧あやくりですか」

「そうだ。俺は妖力機巧人形の肉体に人間の脳をホロスキャンし、移植した存在だよ。まあ、端的にいえばサイボーグさ」

「私は稲宮黒奈いなみやくろなよ。澪桜の相棒。よろしくね」


 黒髪の妖狐とも握手をする。年齢的には椿姫より僅かに下だろうか。


「挨拶は済んだな?」


 上座に座る柊が目で着席を促すので、燈真たちはそれぞれ座布団に腰を下ろした。


「燈真は仔細を知らんだろうから、ひとまずその説明から入る。令和の頃になるが、当時世界は極めて混迷の最中といえる状況下に置かれていた」


 戦争、疫病、異様なまでの機械技術の進歩。柊はその三つを語る。


「科学が進みすぎた結果に訪れるものを技術的特異点というが、これが限りなく近づいた頃、人間はひどく弱り、そして荒んだ。

 人間原理主義は人工知能による救済を求め、妖怪至上主義的なものは人間を駆逐しようなどとも企む始末。人間と妖怪、さらには機械までもが入り乱れた最悪の騒動が起きかけておったのだ」


 それは歴史で習った。西暦二〇三四年頃に起きた世界人妖危機である。


「そして、欧州のある国がとうとう人工知能による国家治安システムを導入。起こったのが、技術的特異点——その暴走による、国家消失だった」


 東欧にあった小国、ワグノール共和国は欧州においてはドイツに並ぶほどの技術国家だった。特に人工知能研究に力を入れており、その成果を信じきっていたのだ。

 そのワグノール消失は有名だが、結局なにがどうして消えたのかは謎である。


「妾は稲尾家には信用した者しか置いておかぬ主義。当然同じ釜の飯を食うお主らには全幅の信頼を置いておる。その上で言うぞ。……ワグノールはあるAIが独立した自我を持ち、それを消し去ろうと当時の大統領が核融合炉を臨界させた結果、消滅したのだ」


 核融合炉——その臨界。端的にいえば、ミニチュアの太陽を生み出したのだ。


「待ってくれ柊、なんで消し去ろうとした? そもそもAIって知能なんだから多少なりとも自我はあるんじゃないのか」


 燈真の指摘に、柊はこう答えた。


「今でこそ馴染んでおるからいい。特に妖怪なんぞは憑き物だとかそういうものが身近だし、器物に意思が宿ってもさほど気にならん。とはいえワグノールは人間原理主義の中心地で妖怪の存在は御法度。作ったモノに意思が宿るなど、前例がないのだ。恐れ、震え、支配される恐怖から抵抗したのだ」


 確かに裡辺で暮らす燈真にとっては、妖怪は結構身近だ。ものを大事にしていれば魂が宿って恩返ししてくれる——みたいな常套句は、多くの家庭で親が口にする。そして実際に、モノに宿った精が新しいモノを引き寄せることもあるのだ。

 だから、器物に魂が——知性が宿ると言われても抵抗がない。


「で、だ。世界がパニックに陥り、小競り合いが起きた。難民が山のように出た。酷かったのはアフリカ、南米、中東、アジアの一部地域あたりだ。

 ここから本題だぞ。

 世界的に難民の受け入れが進みはじめた二〇三八年頃、日本はリーマンショックの再来、無理な国際交流で景気も治安も悪化しておった。

 そんな中自国民を無視し、難民を優遇する政策が推し進められたのだが……このあたりのチグハグな話は昔っからだから珍しくないな」


 現在日本はその名を、正式には『共和制日本皇国』と変えている。

 今の日本は旧来の政治思想を払拭し、ぬらりひょんと人間の半妖が評議員議長——つまりトップに立つ新生国家として成り立っていた。


「当然国民はキレる。敵の敵は味方というか、原理主義と至上主義が手を組んでテロ組織を作り上げた。オオクニヌシに準えオオクニと名乗り、疫病を治すと言ってな。

 やつらはワグノールの生き残りと国内の技術者をかき集め、当時徐々に規制されつつあったAI技術を再結集し、第二の国家級知能を生み出すに至った」


 椿姫が「なんでそんなことをしたの? 日本を消し飛ばそうとしたの?」と問う。

 柊は首を左右に振り、


「敵対国を消し飛ばすためだ。ワグノールのように、な」


 現在、電気エネルギーは核融合炉で賄っている。その安全管理は政府が徹底して行なっており、万が一の際には妖怪をも動員し、最大規模の術式で被害を封じる構えをとっている。

 そういった、機械と人間と妖怪の協力体制が過去の悲劇あってこそなのだとしたら、あまりにも皮肉的だ。

 おそらくオオクニはクラッキングを通じてそれらの施設を臨界させようとしたのだろう。けれどそれだけではなかった。


「長くなったな。オオクニは中東から核を奪ったのだ。そしてそれを日本に持ち込んだ。AIに警備機能をクラッキングさせ、欺瞞して」


 それは、非核三原則に背く行為だ。

 日本が核を持たないのは世界大戦の悲劇もあるが、一番は——というものである。


 言ってしまえば柊が本気を出せば国の一つ二つと対等に戦えるほどだし、彼女が声をかければ裡辺にいる多くの強者が集結する。

 その上核を持ち込んだ、となれば世界の警察を気取る国が黙っていないし、せっかく手に入れた平和が崩れる余計な火種になる。


「つまり、だ。今回の仕事は核を見つけ、退魔局経由で破棄すること。オオクニのAIが自我を持った挙句、妖巧人形に宿ったため、これが付喪神扱いになっておってな。厄介な扱いだが、こういうことになった」

「最後のそれが一番重要じゃないんですか、柊様」


 澪桜がそう言って、言葉を続ける。


「俺たち退魔師は全員がこの依頼を受けているんですよね?」

「裡辺の一定等級以上はな。燈真はたまたま居合わせ盗み聞きしたくらいの感じで扱ってくれ。ああ、でもここまで突っ込んだ話を知っておるのはお主らだけだ。他言は無用だぞ」


 夏休みの始まりとともに告げられた、かつて世界で起きた事件の真相、そして今一度起こる大騒動のうねり。

 燈真はここに呼ばれた以上自分も戦力としてあてにされているのだと実感し、身構えた。

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