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 ユリウスが誘拐されたのは、レオニードの不毛な結婚生活に終止符が打たれ、ユリウスを屋敷に呼び寄せようとした矢先のことだった。

 

 また、レオニードは陸軍親衛隊長の任を急遽解かれ、ペテルスブルク守備隊長に着任したばかりでもあり、隊と隊員の掌握、ペテルスブルクの守備計画の見直しに余念のないときでもあった。

 

 これら一連の出来事は無関係ではない。そこに、予期せぬ来訪者までもが現れた。彼らの狙いは、そんな状況にあるレオニードの心をかき乱し、利用することだ。

 

 そういうわけで、レオニードの心身には相当な負荷がかかっていたが、レオニードは、それでも冷静さを保ち、時間を捻出して、直々にユリウスの捜索を指揮した。だが、いっこうにユリウスは見つからない。

 

 まずは、事件に先立ってキーラが狙われたこととの関連性を疑い、シロコフを探させた。

 

 シロコフのいどころは簡単に判明した。強盗容疑で逮捕されていたのだ。直ちにイリューシンが面会に出向いて聞き出した。シロコフはユスーポフ家での経験を買われて裕福な男のもとで仕事をしていたが、あるとき、その男の知り合いからユリウスの誘拐を依頼されたそうだ。シロコフは、その依頼人がレオニードの父親を手にかけた狙撃手を雇ったことも明かした。

 

 「ぬれぎぬだ。おれは、はめられたんだ」

 

 シロコフは、ユリウスの誘拐に失敗したために、依頼人に強盗に仕立てられたと主張していた。路地裏でユリウスたちを助けたときは、たまたま下調べのためにユリウスをつけまわしていて、助けたほうがカネになると判断したということだった。

 

 レオニードの父親の殺害、皇帝の姪との離婚、左遷ともいえる人事、ユリウスの誘拐。ラスプーチンが立て続けにレオニードに攻撃を仕掛けてきている。次は娘かもしれないと思うと背筋が凍りつく。だが、ここでむやみにあがいたら、それこそ敵の思うつぼだ。

 

 それに、レオニードのほうもまったくの無策というわけではない。ラスプーチン側に探りは入れている。人事異動と離婚については、事前に情報を得ていた。したがって、ユリウスの消息に関しても何かあれば漏れ聞こえてくるはずだ。何も耳に入らないということは、シロコフの言うように、ラスプーチン側もユリウスの誘拐には成功しなかったようだ。

 

 そこで、シロコフから聞き出したカラマツ林一帯と近辺の幹線道路を捜索したが、林沿いの道で薬きょうが発見されただけで、目撃情報などは得られなかった。

 

  ――頼む。無事でいてくれ

 

 レオニードの祈るような気持ちが数週間続いたあるとき、ユスーポフ家と取引のある宝石商から連絡が入った。以前取り扱った指輪を見つけ、言い値でその指輪を買い取ってきたのだ。ユリウスの手書きのメモもあった。

 

 報告とメモをもとにいくつかの可能性を考えると、頭が割られるような衝撃を受けた。

 

 ――ボリシェビキか

 

 その指輪を売ったのは、ガリーナという名の、いかがわしい酒場で客相手に商売をしていた女だ。

 

 ユリウスの馬車が襲撃された前後に、異例ともいえる速さでクリコフスカヤがオーストリアから送還され、シベリア流刑が確定した。その直後にガリーナという女のいた酒場に憲兵の捜索が入り、その結果、ボリシェビキによるクリコフスカヤ奪還計画が明らかになった。

 

 クリコフスカヤとユリウスをつなぐものは明白だ。アレクセイ・ミハイロフだ。

 

 今回のユリウスの失踪は、シロコフの誘拐に乗じて、ユリウス自身、あるいはクリコフスカヤとその仲間が仕組んだ可能性もある。

 

 「あなたを裏切ることは決してしない。お願い、信じて」

 

 以前、ユリウスは、そう訴えていた。彼女は嘘をつけない人間だ。しかし、それは、ユリウスを愛するがゆえに、自分の見たい彼女の姿を見ているだけではないだろうか、とレオニードは自問した。

 

 破滅する人間にしばしば共通することは、自身の姿に対して盲目なことだ。他人のことは、はたから見るとわかるものだが、本人には自分の姿が見えないのだ。向き合うべき現実から目をそらし、自分に都合の良い解釈をして身を滅ぼした者たちを、レオニードはこれまでも見てきた。たいていは欲が過ぎていたか、女がらみだった。

 

 ――なぜユリウスでなければいけないのか

 

 レオニードは、過去にそれを何度か考えた。その答えはすでに出ている。それが自分の弱さに起因することも知っている。

 

 それでも、レオニードはユリウスを愛し、ユリウスが彼に与えてくれる甘やかな世界を愛した。彼女は、彼に居心地の良い空間を与え、疲れを癒やし、性欲を満たした。加えて、どんな宝物にも勝る娘を与えてくれた。母娘の姿を見ると、疲れが吹き飛ぶ思いがしたものだ。それゆえレオニードがユリウスの前で心の鎧を外すこともしばしばだった。

 

 しかし、ユリウスの安全も兼ねて、警戒は怠らなかったつもりだ。警備、家政婦、料理人、その他の使用人たちには、彼女を監視させてきた。

 

 ペトロワは館に出入りする人物や物品を把握し、ユリウスが身に付けた衣服も毎日あらためた。とはいえ、外出中に護衛たちの目を盗んで、小さなメモの受け渡しをすることは、不可能ではない。

 

 レオニードは、目を閉じ、深呼吸をして、思考を落ち着かせた。

 

 もし、ユリウスがボリシェビキのもとにいたとしても、無事で幸福であればいいではないか、という考えがレオニードの頭の片すみをかすめた。しかし、問題がある。あの極秘事項だ。

 

 数年前に、ユリウスがラスプーチンに連行され、あわや秘密が漏れそうになった直後に手は打ってある。財務大臣がフランクフルトに急行し、帝国銀行の金庫から資産の全てを回収し、主にベルリンとチューリヒの銀行に分散させたのだ。その後、財務大臣は、イギリスなど他国の銀行に預けた資産についても順次対策を講じた。

 

 帝国銀行の鍵の所有者は皇帝であり、財務大臣とアーレンスマイヤ氏は、その予備を預かっていたのだ。ユスーポフ侯爵は財務大臣の保管状況を監理する役目だった。

 

 万一、ユリウスの口から隠し財産の存在がボリシェビキに知られたところで、アーレンスマイヤ家が保管する鍵は、もはや決定的な証拠にはならない。だが、噂や疑念が将来に禍根を残すのは必至だ。したがって、レオニードにはユリウスを問いただし、現状を把握して、対策を立てる義務がある。

 

 ――だが、そのあとは?

 

 レオニードはユリウスを侯爵邸に呼ぶつもりでいたが、考え直す必要があるようだ。自分の浅はかな行動の結果は、自分にだけに降りかかるわけではないのだ。

 

 いずれにせよ、ガリーナという女はユリウスの所在等について何か知っているはずだ。

 

 そこで、オレグがその女の住居付近まで試しにブランシュを連れて行った。すると、ブランシュは激しくほえ始め、アパートのなかに入ろうとしたそうだ。ブランシュの反応から、オレグはそこにユリウスがいると確信したという。

 

 オレグの報告を受けたレオニードは、警備の者たちを憲兵隊に偽装させ、自らも憲兵に扮してアパートの一室に向かった。すると、ドアが内側から開き、プラトークをかぶった女が出てきた。ユリウスだった。

 

 「レオニード!」

 

 ユリウスは、レオニードの顔を見るなり両腕を広げて彼の胸に飛び込んできた。レオニードは、そんなユリウスの腕をとっさにつかんで武装していないことを確かめてから、彼女を胸のなかに引き入れた。

 

 ――ユリウス

 

 レオニードは万感の思いを込めて、ユリウスをきつく抱きしめた。そして、頬に軽くキスをして言った。

 

 「無事でよかった。イリューシンと館に先に戻りなさい」

 

 とまどうユリウスを帰して、レオニードは家宅捜索のために残った。

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