10日目 慶州

9:00ゲストハウスを出発し、新南駅から東大邱駅まで電車に乗り、10時10分の高速バスで11時ごろ慶州に到着しました。

12:30バスに乗り、先生のお知り合いの方のお店でトッカルビを食べました。

14:20再びバスに乗り、石窟庵(ソックラム)に行きました。

石窟庵は新羅時代の景徳王10年、当時の宰相の金大城(キムテソン)によって創建され、当初は石仏寺と呼ばれました。1995年、仏国寺とともにユネスコ世界文化遺産に指定されました。

石窟庵本尊仏は1.58メートルのざだいの上に置かれた3.26メートルの巨大な仏像で、グプタ(Gupta)様式によって作られています。残念ながら、世界の宗教芸術史上、傑出した作品となっているため、仏像は撮影禁止で写真をとることはできませんでした。

16:00石窟庵を出発し、佛國寺(プルグクサ)に行きました。

佛國寺は、時の宰相であった金大城が現世の親である金文亮のために創建したと言われています。1972年の復元事業によって、創建当時の形をそのまま伝えるものは大部分の石材遺物と遺構だけで、東西両橋の下に広がっていた九品蓮池は見る影もなく消えてしまいました。


この階段の下にあるアーチ型のものは600〜700年代に作られて貴重なものです。その時代には高度な技術なため、なかなか作れないものだそうです。

これは仏国寺の三重石塔です。この塔は新羅時代の典型的な三重石塔で高さが8.2メートルあります。東側の多宝塔と対称に位置しています。1966年12月に修理が行われました。その際に、塔身石の上面にある四角の舎利孔から世界最古の木版印刷物の無垢浄光大陀羅尼経が発見されました。

17:35佛國寺(プルグクサ)を出発し、チュンアンシジャン駅で降りました。

18:35夕飯、サムギョプサルを食べました。

 

疲れも溜まってきましたが、残り少ないゼミ合宿、頑張っていきましょう!

ayane


『10日目 慶州』へのコメント
名前:yume 投稿日:2016/09/07(水) 02:50:17 返信 編集
石窟庵は、日本の植民地時代に発見されたもので、郵便物を運ぶときに発見された。
中はドーム型になっており、その中央に、石仏が配置されている。
石窟庵は、文化の中心であった出雲の方向、日本海側に向かって建てられている。
石窟庵自体、元々の形はそのままだが、一部は復元されている。また写真撮影が不可能であり、中には見張りの人もいたことから、非常に神聖な場所であることが感じられた。

名前:Reimi 投稿日:2016/09/08(木) 10:33:04 返信 編集
景福宮は文禄・慶長の役(イムジンウェラン)で日本軍が入る前に、王が王宮を捨てて逃亡した後、朝鮮民衆によって燃やされた。これは、身分の低い朝鮮民衆が、身分解放を目的に戸籍台帳を燃やすことで行われた。
そのため、景福宮を燃やしたのは豊臣軍ではないが、解説には日本が攻め込んで来た際に燃やされた、という曖昧な表記がされている。
王宮の敵は必ずしも外の者だけでなく、民衆の中にも存在することを改めて、気づかされた。それと同時に、観光物の解説には嘘は含まれていなくとも、あえて事実に触れないことで意図的に、もしくは無意識的に観光者に真実と食い違う情報を連想させることがあるのだと考えさせられた。