第9話 鼓動の正体

 芽黎二十七年七月八日月曜日、午後九時半。

 稲尾家の屋敷にて。


「竜胆は眠ったよ。便所に行ったらうずくまっておる女がいて、心配になり声をかけたら殴られたと。全く腹立たしい。妾の息子に手出しするとは……」

「息子って……三十四世代離れてんだろ?」

「どんなに離れようと子は子だ。それより燈真、お主もいいのか? しこたま殴られたと聞いたぞ」


 台所でお茶を注ぎながら柊がそう問いかけてきた。

 燈真は掌を閉じたり開いたりしながら答える。


「俺は平気。この角のおかげかな」

「……お主はそれについて何も知らんのだな?」


 退魔局で事情聴取された際も、燈真は知らないと答えた。嘘ではないし、なによりこれについて何かわかることがあるのならこっちの方が聞きたいくらいだった。

 生まれてこの方十六年、自分に角が生える生物であると思ったことはないし、そんな経験もなかった。

 少なくとも今日この日まで己は人間であると、そう信じて疑わなかったのである。


「妾は知っておる。お主のソレについて」

「…………! 誰から——」


 柊はそっと手を出し、大声を出すなとジェスチャーした。

 そうだ、もう菘と竜胆は眠っている。騒ぐわけにはいかない。ましてこんな騒動があったのだ。大きな声を出して驚かすわけにはいかない。


「お主、心臓移植をしたな? 五つの時に」

「ああ……」

「その心臓のあるじはお主の叔父……浮奈の兄、和真かずまで間違いないな?」

「うん」


 タンブラーの中の氷をカラカラ鳴らし、麦茶を呷って、柊は言葉を続けた。


「和真は先代影鬼からその心臓を受容した後天的妖怪の一匹。お主はその心臓を図らずも受け継ぎ、影鬼となっていたんだろう」


 ドクン、と心臓が一際強く跳ねた。


 ——俺が、鬼?


「母さんは知ってたのか?」

「だから妾も知っておるのだ。何かあった時は頼むと言われていた。おそらく浮奈はお主が尋常な人間として生をまっとうすることを望んでいたに違いない。同時にそれが叶わぬことも察しておったのだろう。……すまぬ、燈真。妾のせいだ」


 頭を下げる柊に、燈真は言葉を詰まらせた。

 別に、柊が悪いわけじゃない。そう言おうとしたが、喉に言葉が引っかかってうまく出てこない。

 しばらくの沈黙のあと、燈真はようやく言葉を繰り出した。


「あれは、俺の意志だった。俺が決めて、俺がやったことだ。柊は悪くないし、まして竜胆のせいってわけじゃない。頼む、責めないでくれ。俺の方が苦しくなる」


 俺の方が苦しくなる。

 それが偽りのない本音だった。


 竜胆は純粋で、無邪気だ。もしこの一件を知れば自分を責めるだろう。

 そして燈真にとって恩ある柊が責任に感じるというのも耐えられなかった。

 なにより俺の意志——そう、あの戦いは燈真が挑み、燈真の手で選んだ過程と結果だ。他者があの場に介在したわけではない。誰かの意見で燈真が動いたわけではない。

 一から十まで、自分自身で考え、行動した結果だ。


「すまぬ。……それから、ありがとう、燈真。そういってくれる強い子で、妾も嬉しいよ」

「結局俺は半妖ってことなんだよな」

「そうなる。元来薄かったとはいえ混じっていた妖の血が、心臓との適合を経て覚醒した……そんなところだな」


 元々燈真自身に妖怪の血が入っていることは知っていた。それでもほぼ人間と言えるほどに希釈されていたのだ。

 けれどここに来てその生来の血が、鬼の心臓を己の肉体を結びつける役割を果たしてしまったのだろう。


 燈真は胸を撫でた。その奥の鼓動を確かめるように深呼吸する。


「竜胆が無事ならそれでいい」


 一言そう言った。

 柊はかすかに目を細める。


「自分の痛みに鈍感だと、他者にも鈍感になる」

「俺は……そんなつもりじゃ」

「いや、すまない。そうだな。お主の優しさは紛れもなく本物だった。それを忘れるでないぞ」


 柊はそう言って微笑みお茶の残りを呷って台所をでていった。

 残された燈真は氷が浮かぶコップを見つめ、今一度柊の言葉の意味を反芻するように噛み締めた。

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