第8話 鬼の鼓動

「祭り? ああ、そういや朝言ってたな」


 授業と掃除を終えた帰りのホームルームの挨拶のあと。

 教室で椿姫から問われた燈真は、今朝の会話を思い出していた。


 村にある神社で祭りが行われる今日は、夕飯を屋台で済まそうということになっている。学校が終わったらすぐに帰って着替え、神社へ行こうということになっていた。

 なので彼らは寄り道せずにさっさとバスに乗り、帰路に着くことにした。


 うつみ屋前のバス停から自宅まで歩いて行き、家に着くなりすでに着流しに着替えている竜胆や菘にせっつかれながら荷物を置く。


「はーやーくー。おまつりおわっちゃうよー」

「こんなにすぐ終わるわけないでしょ。いいから待ってなさい」


 燈真はまともな私服がないため椿姫が選んでくれた服で行くことにして、椿姫たちもほとんど変わらず学校の格好で行くことになった。

 万里恵だけが衣類を変えており、黒のTシャツとカーキ色のカーゴパンツ。その上から丈の長いジャケットに袖を通し、シャツの前側だけをインし、スタイルアップをさせていた。


 軽くシャワーを浴びてくると言っていたが、それだけでもう一時間は食っていた。燈真はシートで体を拭いた程度だが、それでも汗の匂いは抑えられている。椿姫たちもこうすればいいのに。

 各々の準備が完了すると、稲尾家は家を出て神社に歩き始めた。


 魅雲村では有名妖ゆうめいじんである柊たちだが、騒がれるのが好きではないと周りもよく知っているので、殊更に騒ぎ立ててもてはやす様子は見られない。せいぜい挨拶が飛んでくる程度で、それくらいなら田舎であれば普通によくあることの範疇だ。

 神社までは徒歩三十分ほど。神社自体はそこそこ大きく、近づくと祭囃子が聞こえてきた。


「燈真、前の高校ではバイトしておらんかったろう。小遣いだってもらえんかったというし。ほれ」

「もう貰えないって。昨日だって貰ったろ」

「未来の退魔師への先行投資だ。それにお主はどうせ子供に奢ってばかりで自分では使わんだろうし。何より祭りだ。受け取っとけ」

「じゃあ、ありがたく」


 断っても印象が悪いだろうし、それにありがたいのも事実だった。この世は金が全てではないが、先立つものは必要である。

 燈真はお駄賃にもらった三千円を財布にしまい、屋台を見て回る。すると隣に竜胆がやってきた。手にはたこ焼き。


「この前のお礼」

「ありがとうな。でもこれだけじゃ足りないだろ、いろいろ買ってこうぜ」


 燈真と竜胆は並んで歩き、屋台を巡った。

 祭りの雰囲気は明るく陽気で、祭囃子と笛の音色、太鼓の音が心地いい。小さな花火も上がっており、ドォン、と夜空に火炎の花が咲く。


「そういや狐ってイカって食うのか?」

「野生の狐は食べないよ。チアミナーゼとかアニサキスとか、そういうのであげちゃダメなんだ。でも僕は妖怪だし、それにしっかり加熱してあれば少しは大丈夫」

「じゃあ、イカ焼きは俺とわけようか。でもさ、妖狐ならイカ自体は普通に食えるんだよな?」

「うん。ある程度世代交代した妖怪と動物は、人間と猿くらい隔たりがあったりするし」


 妖怪は動物や事象が妖力を持って顕現した存在だ。先祖に近い個体は確かに獣の性質が強いが、妖怪は一世代子孫を経るだけで急速に環境に適応する——いわば、進化に近い現象を起こす。

 それは妖力が可能性元素とも呼ばれるからであり——。


「はいお兄さん、イカ焼きね。ところで竜胆君、この人は?」

「僕の兄みたいな人ですよ。燈真って言うんです」

「へえ。じゃあ百円おまけね。三百円お釣り」

「ありがとう」


 三〇〇円だったイカ焼きが二〇〇円になった。

 それから竜胆が欲しいという大判焼きと唐揚げ、ついでに甘酒を買って近くのベンチに座った。


「ここでまたカップルが通るなんてことはないよな」

「流石にないでしょ」

「っていうか魅雲村って屋台とか多いよな。しょっちゅう祭りしてるみたいだ。いただきます」

「いただきます。……まあね。ヤオロズのこともあるから陰の気を祓うために、なるべくみんなには楽しく過ごしてもらってるんだって」


 熱々のたこ焼きを頬張る。

 カリカリの生地の内側にはとろけるような柔らかさがあり、コリコリした食感のタコがアクセントになっている。魚介の出汁が沁み、ソースと甘めのマヨネーズと相まって美味い。


「ヤオロズは結局討伐——いや、魍魎はひとの負の感情から生まれるんだっけか。じゃあ倒したって再臨する可能性もあるってことだな」

「正確には復活、だね。柊がいうには魍魎は仕留めたんじゃなくて封印したみたいだし」


 切られているイカ焼きの一切れを竜胆が食べ、「美味いなあ」と頬を綻ばす。

 燈真は唐揚げを齧って、肉汁が溢れる肉の食感を楽しんだ。

 どちらかといえば野生的な思想を持つ妖怪は食事に対してかなり割り切ったスタンスを持っている。

 というのも「いつか自分たちも天敵に食われる。ならばそれはお互い様で、自分も生き抜くために仕留めたものを喰らう」という考えだ。

 なので鳥妖怪が特定の妖狐を恨むことはないし、妖狐も狼妖怪や猛禽類の鳥妖怪を憎むことはない。まあ、若干恐れることはあるらしいが。


 竜胆が大判焼きを食べて、それから尿意を催したのかモゾモゾし始める。


「便所か?」

「う、うん……ごめん、待ってて」

「ここにいるからな」


 燈真は竜胆を見送って甘酒を啜った。

 それから五分十分と待つが、一向に戻ってこない。トイレが混んでいるのだろうか。


「遅い……」


 貧乏ゆすりをする。竜胆に腹が立つのではない。心配なのだ。

 兄のような人——そう言ってくれた子を守らねば。


 燈真は荷物をまとめて神社を進んだ。たまたま近くを柊が歩いており、


「柊、これ持ってて」

「どうした燈真」

「竜胆がいない。探してくる」

「ふむ……わかった」


 柊がじっと燈真を見据え、頷いた。


「気をつけろよ」

「ああ。柊も探してくれ」


 柊と別れ、あちこち探す。

 社、トイレ、屋台が並ぶ道から参拝道、しかし竜胆はいない。


「くそっ、どこだ」


 と、一人の金髪の女が白髪の少年を担いでいた。腰には三本の尾。


「っ、竜胆!」


 燈真が大声を上げると、女はハッとして駆け出した。


「待ちやがれ!」


 燈真は一気に駆け出し、女を追い始めた。

 境内の階段を飛び降りた女は勢いをつけて道路を右に曲がる。すかさず燈真も急転して追いかけ、女の背中を睨んだ。


 と、女の腰から太い触腕が生えた。ずるんっ、と伸びたそれが近くの道路標識を引っこ抜き、それを燈真に向けて投擲してくる。

 瞬時に身を低くして回避。背後からガシャンと金属とアスファルトが削れる音がし、燈真は目をすがめて触腕の動きを見た。


「竜胆、起きろ!」


 燈真が怒鳴り、そこへ——触腕が伸びてきた。真っ直ぐに、こちらへ。

 まずい——死ぬ。


「〈威吹鬼いぶき〉」


 パンッ、と空気の破裂する音。烈風が駆け抜けて、触腕が両断された。

 ばしゃっと血が飛び散り、女が「ぐっ」と苦鳴を漏らして姿勢を崩す。竜胆を手放し、放物線を描いて前方へ飛んでいった。


「おっとと」


 その竜胆を抱き止めたのは万里恵で、燈真の隣で鬼の形相をしているのは椿姫である。


「私の弟に手ぇ出して生きて帰れると思うなよ」

「ふうん。呪術師認定が未定の相手を殺傷していいのか? しかも現役の退魔師が」

「なら俺が相手だ」


 燈真が拳を構える。


「俺はまだ正式な退魔師じゃない。五等級、仮だ。見習いだからな」

「見習いで私に挑むのか……まあ、見た感じ健康優良児だし、まずい血ではないかな」


 椿姫と万里恵は頷き、結界を展開した。それは徐々に空間を飲み込み、〈庭〉となる。

 好きなだけ暴れられる隔絶空間である。ヒトを騙す幻術ではなく、世界を欺瞞する幻術といえばいいか。


「術は使えねえけど、……喧嘩は強いぞ」


 燈真が走り出した。持ち前の身体能力は妖力による強化術いらずの敏捷性を発揮し、一気に加速。


「な——!」


 ——速い!


 女が瞠目。が、冷静に切られた触腕を再形成してそれで殴りかかってきた。

 燈真は塀を蹴って三角跳びの要領で回避。が、その塀をぶん殴った触腕はコンクリートブロックを叩き砕き、ガラガラと崩落させる。

 次々振り下ろされる触腕が杭打ちき機のように道路に穴を穿つが、燈真は捕まらない。


「歯ぁ食いしばれ!」


 右拳を腰に引いた燈真がそれを放つ。渾身の正拳突き。

 ドンッ、と打撃とは思えない音が響いた。


 椿姫と万里恵も目を丸くする。これが人間の膂力——? 明らかに生物種として人間の上位に君臨するものだ。超人レベルじゃないか。


 ただの人間が妖怪を殴り飛ばすというありえざる光景が繰り広げられた。

 女は髪を振り乱し電柱に激突。そこに燈真が前蹴りを叩き込んだ。破砕音がして、コンクリートの表面が砕ける。


「なんて威力だ……お前、人間か……?」


 触腕をたわめ、燈真がさらなる攻撃を仕掛ける。

 女は後ろに飛び退いて回避しつつ、触腕で燈真を殴りつけた。ゴンッ、と鈍い音がして燈真が吹っ飛び、地面を転がる。


「ははっ、モロじゃん! いいのかな、君たちの大切な友人が死ぬんじゃないかな」


 椿姫と万里恵は互いに顔を見合わせ、


「妖気でわかるでしょ」

「椿姫の言う通り。まだ消えてないよ」

「ねー。雑草並みにしぶといでしょ、燈真って」

「ゴキ扱いはしないんだ、まあ知ってたけど」


 女が舌打ちし、触腕を起き上がろうと手をつく燈真に叩きつけた。

 アスファルトの地面が蜘蛛の巣状にひび割れる。さらに二回、三回——四回目で、異変が起きた。


「……万里恵、燈真って人間だよね」

「……そのはず」


 椿姫たちは燈真の人間として超越した、あくまで人間として超越した存在——超さを思考に入れて見守っていた。

 けれど、たった今漏れた妖気は人間のそれとは違うものになっていた。


 ずる——と、青黒い妖力が起き上がった燈真にまとわりつく。


 そしてそれに関しては燈真自身も戸惑っていた。

 体が妙に軽い。それに、右のこめかみのあたりに異物感がある。


「あれ——角!?」

「うそ、椿姫、燈真って鬼——」

「な——ふざけるなあっ!」


 女が怒号をあげた。


「こんな五等級がいるはずがない! 私は手配等級レート三等級だぞ!」


 触腕が二本に増え、それが燈真に向かって伸びていく——が、燈真が両手を突き出すと青黒い妖力、影ともいえるそれが腕の形になり、女の攻撃を防いだ。


「なんだこれ……」


 燈真は戸惑いつつ、影を動かす。伸びた影の腕が女の触腕を掴み、持ち上げた。


「貴様——っ、よせ、やめろ!」


 グシャッ、と燈真の影の腕が女の触腕を根本から引きちぎった。


「がっ——ぁ」


 どぅ、と女が道路に落下し、意識を失ったのか昏倒。

 勝負がついたのだろう。椿姫と万里恵は驚きつつも庭を解除し、元の空間に戻した。


 道路とはいえ国道ではなく、普通に曲がりくねった田舎の隘路である。アスファルトで舗装されており、あたりには路駐された車が点々としている。

 結界からこちらに表出した燈真たちに、祭りから帰る客が気づいた。


「はいみなさん落ち着いて! 退魔師です! 危険な呪術師を捕縛しましたのでご安心ください!」


 抱えていた竜胆を椿姫に預けた万里恵がそう言って、エレフォンで退魔局に連絡を取った。

 燈真は自然と消えていく影に、なんとなく感謝した。「ありがとう」と、紛れもない自分の力にそう言って右のこめかみに触れた。

 椿姫が言ったように、六センチほどの長さをした三日月状の硬い角のようなものがある。


 次第に人だかりができていき、遠くから黒塗りのセダンが接近してきた。

 車の側面には退魔局と書かれており、降りてきた事務員が倒れた女を妖力封じの呪符を巻きつけた縄で両腕を後ろで縛り、車に乗せる。


「ご協力感謝します、霧島二等、稲尾二等」

「あー、いや……やったのは私じゃないんだよねえ……ね、椿姫」

「ええ。相手が呪術師認定されているか不明だったため、見習いが担当したんです。結果的に犯人は呪術師と認めましたが」

「見習い? 漆宮五等がですか」


 事務員の男が燈真を見て、それから角に視線を向けた。


「わかりました。一旦この件は退魔局で預かります。皆さんはひとまず事情聴取がありますので」

「ええ。その前に竜胆を病院に連れていきたいんだけど、いい?」

「手配します」


 竜胆は気絶しているだけで、息はある。燈真はひとまず安心し、それから自分に起きたことを振り返って——わけがわからなくなり、柊なら何か知っているだろうかと考えた。


 そのとき、胸の鼓動が少し変わっていることに気づいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る